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日本では唯一無二の宮殿:迎賓館赤坂離宮【お宅訪問10:片山東熊・谷口吉郎】東京都港区

お宅訪問という軽いタイトルでカテゴライズしていますが、住宅とよぶにはあまりにもゴージャスすぎる建築物があります。邸宅とか豪邸とも段違いのレベルにある、日本では唯一の宮殿。
しまなみ海道を渡って四国・今治へと向かう途中で見えてくる焼肉のタレの宮殿のコトではありません(アレはアレで見え方のインパクトには度肝を抜かれます。工場ですけど)。


赤坂御用地はかつての紀伊徳川家の中屋敷。紀伊家は江戸時代の武家では将軍家に次ぐ家格。明治期に御所(皇居)が火災に遭った時には、紀伊家の屋敷が仮皇居として使用され、その後紀伊家から皇室へと土地・建物が献上された経緯を持っています。
ちなみに当時のお屋敷の一部は日光田母沢御用邸(栃木県日光市)に移築され現存しています(数少ない江戸の大名屋敷の生き残り)。
今回はその後に建てられた、やんごとなき方々の元お住まいを。

目立たないデザインの赤坂離宮前休憩所
庭というよりフツーに公園


迎賓館赤坂離宮

赤坂離宮は1909年に東宮御所(大正天皇の皇太子時代の御所)として建設されたネオ・バロック様式の宮殿で、設計は片山東熊。
ただし完成後に明治天皇からは豪華すぎるとされ、当時の東宮御所としては使用されませんでした。後には昭和天皇の御所(摂政時代)の時代も。
太平洋戦争後に国へと移管され、様々な施設として利用されたヒストリーを持っています。

東京都港区元赤坂2-1-1

増えつつあった外国の賓客を迎えるのに白金迎賓館(旧朝香宮邸:現在の東京都庭園美術館)ではキャパ不足になってきていたため、赤坂離宮は1968年から改修され新築した和館を加えて新たな迎賓館となりました。本館改修は村野藤吾むらの とうご(1891-1984)の手によるもの。
平成期にも大改修が加えられ、当時の官房長官菅義偉すが よしひで(元総理大臣)により観光振興政策の一環で一般公開枠を大幅に拡大(開放に対する官僚の抵抗は厳しかったそうです)。
2009年には主要な建物が国宝に。明治以降の建物としては初の国宝指定。

旧朝香宮邸も単体で見るとけっこうな邸宅ですが、迎賓館はそのスケール感が全くの別物です。

パンフ2022年版
豪華版パンフ 2022年版

入場料は本館、和風別館、庭園の組み合わせ方で変わります。
ただし和風別館の見学は要予約のガイド付き。本館や庭園は気軽に足を運べますが、和風別館は予約による見学時間の制約と当日の天候がネック。予約倍率も結構高めのようです。
入場には通常のミュージアムにはないセキュリティチェックがあります(ほかには箱根の岡田美術館ぐらいしか記憶がない)。まあ入館してみるとその意味は理解できます。
パンフは本館、和風別館ともに簡単なモノと豪華版小冊子(35ページ)が配布。庭園や建物外観は撮影可能ですが、本館、和風別館の館内は撮影不可。
撮影ネタが溢れているので、館内の撮影不可はヒジョーに残念でした。ただココが撮影可能だったら収拾がつかなくなるのは容易に想像できます。

主庭の噴水にはにグリフォン(鷲の上半身とライオンの下半身)が。他には亀としゃちも。

主庭からは極力周辺のビルが見えないように樹木が配置・管理されているそうですが、近年の高層化によって覆い隠せないレベルに。
上の写真は主庭から東方向に見えるホテルニューオータニ。
下の写真は南方向ですが、この先には警備員が常駐&巡回中。
実はこの先には赤坂御用邸があり、やんごとなき方々のプライベート空間。また警備には国賓をお迎えするための備えも含まれています。

片山東熊という人

本館設計者の片山東熊かたやま とうくま(1854-1917)は長州の人。そして日本近代建築の父ジョサイア・コンドル(1852-1920)クラスの1期生。
他の作品には
奈良国立博物館・なら仏像館(旧本館:1895年 重要文化財)
京都国立博物館・明治古都館(旧本館:1895年 重要文化財)
東京国立博物館・表慶館(1908年:重要文化財)
と重厚、かつ現在では歴史的価値も認められた建築物たち。
さすがはコンドル・チルドレン!

(参考)トーハク表慶館(東京都台東区)

そして師匠コンドルと同じく、当時は珍しかったと思われる洋風住宅も手掛けています。

(参考)仁風閣(鳥取県鳥取市)

仁風閣じんぷうかく(1907年:重要文化財)は、フランス風ルネッサンススタイルの鳥取池田侯爵別邸(現在改修中)。
白亜の洋館は当時の皇太子行啓時の御座所としても使用されています。写真に見える石垣は鳥取城。

ちなみにトーハクには、偶然にも鳥取の殿さまの江戸屋敷遺構があります。

(参考)因州池田家屋敷表門(トーハク)

因州池田家屋敷表門(重要文化財)は、トーハクでは黒門と呼ばれ、元高輪東宮御所の正門を移築したもの。門だけでこの物量(時々開門します)。
表慶館のすぐソバにあり、表慶館でショーやレセプションが行われるときは招待客用の入口にもなっているようです。


赤坂離宮に戻ります。

黒松もデザインされています

予約制の和風別館のタイムテーブルに合わせそちらから見学。本館はそのあと自由に見学可能(早めに行って先に本館見学も可能。ただし豪華すぎる本館の見学所要時間は読みづらい)。

本館主庭の脇に別館ツアーの集合場所が設定されていました。
6月末でしたが気温も高く、集合用テントでは日差しは避けられますが少しツライ。ちなみに建物内は飲食不可なので水分補給ポイントは限定的。

別館ツアーは玄関からではなく裏側?から向かいます。


和風別館:游心亭ゆうしんてい

游心亭(以下和館)は赤坂離宮内では比較的新しい建物で、谷口吉郎設計の昭和生まれ(1974年)。


游心亭パンフ2022年版

谷口吉郎という人

谷口吉郎たにぐち よしろう(1904-1979)は石川県金沢の人。
和館のほかには、東京国立博物館・東洋館(1968年)やトーハクの斜向かいにある日本学士院(国立科学博物館ウラ:1974年)も谷口設計。
和館は東洋館にやや遅れての設計。こうして見ると同じデザイン文脈にあるような(池のせい?)。
結果論ですが東熊さんとは赤坂離宮とトーハクでの共演に。

(参考)トーハク東洋館


和館へ戻ります

当初は池ではなく水盤だったのを、当時の総理大臣田中角栄たなか かくえいが錦鯉を放流するようにと指示し、現在のスタイルに(鯉は新潟産。おもてなしセンス抜群)。来賓の予定がある時はエサが減らされるそうです(来賓が餌をまく時の喰い付きをよくするため)。
年に1度ほど稚鯉が見られるそうですが、成長する事なくいつのまにか姿を消してしまうそう(たぶん鳥のエサに)。

軒の光の反射したゆらぎは吉郎さんの計算

玄関側からではなく池の脇から入館。まずエントランスの坪庭の説明が。
玄関脇の坪庭(枯山水)には白川砂(京都産)のみだったのを、これまた時の総理大臣中曽根康弘なかそね やすひろが「景色がさびしい」と鶴の一声、その結果貴船石(京都産)を追加(確かにバランスが良い)。

見学時には敷地内の位置関係が把握できていませんでしたが、和館のすぐそばには迎賓館東門があります(見学者は西門から入場)。
東門は紀伊徳川屋敷の遺構で、和館の入口にはベストマッチ。門付近には警備が巡回していて近づけるのは手前の柵まで(動線の関係で内側から東門は見学できませんでした)。

上智大学のグラウンド側

ちなみに和館へは玄関から入る来賓は少ないそうです。よく耳にしたのは「忙しい方々なのでショートカットして庭側からが多い」という説明。

和館らしく靴を脱いで館内へ。もちろん撮影不可。
大広間内をぐるっと見回し室内から池を眺めると、なんだか見た気がする光景が広がります。実は和館をオリジナルとする大広間や茶室が、石川県金沢市にある谷口吉郎・吉生記念金沢建築館(2019年開館:谷口吉生設計)に完全再現されています(ともに同じ工務店の仕事という再現度)。

以下金沢建築館の写真を代用

(参考)@谷口吉郎・吉生記念金沢建築館

和食が提供されるテーブルは掘りごたつ式とされ、イスに慣れた外国の方々にも対応。しかもテーブルは収納式で、フラットにすれば47畳の大広間にもなる仕掛け。

(参考)日舞などの披露会場にも
(参考)こちらはオリジナルと違い水盤

吉郎さんは六角形を好み、照明等にそのデザインが使われています。
金沢では池の代わりに水盤が。

(参考)
(参考)茶室の掛け軸(大徳寺管長の揮毫)も完全コピー

お茶を点てるお役目は、その時々で茶道各流派にお願いするそうです。
和館には人間国宝作の茶碗が多く所蔵されていましたが(リストで紹介)、説明では使用された例はないと(各流派が自慢の茶碗を持ち込むため)。
立礼式にも対応し、イスもいくつか用意されていてます。茶の湯を接待と鑑賞のどちら側でも楽しめる設計。

また別室には、カウンターでお寿司やてんぷらを賞味できる小料理屋的スペースもあります。

現在では和館の機能は京都の迎賓館にも拡張されています。

続いて本館へ
本館には当然のごとく玄関からではなく建物西側から入館。
入口スタッフからは、壁には触れないようにとのお達しが。

本館内の壁は驚くほど真っ白。先ほどの注意も納得できます。
そして圧倒されるのは天井の高さ。溜息しか出ません。
上の写真のトビラの向こう側には、玄関から2階へと階段が続いています。
細部はもちろん手の込んだ豪華な装飾がテンコ盛りなのですが、その圧倒的な空間に宮殿とはどういうものなのかを理解させられます(メンテナンスや日常の清掃も気になります)。

ところどころスタッフが配置されていますが、質問には警備上の問題で応えられないコトがあるようです(例えばこの裏側どうなってます?とか。撮影禁止にも同様の理由があるようで)。

廊下のドアに「201」とか部屋番号らしき表示があったので、客室番号かと思って聞いてみると「そうとは限らない」と。部屋数が多いので「〇〇の間」と呼ぶと覚えるのが大変になるかららしい。ホテルとは違います。
実際迎賓館に宿泊する例は最近ではあまりないそうです。警備の問題もありそうですが、機能的にもやや不便なのかもしれません(国宝だし)。ただ客室を1室ぐらいは見せてほしいものです。
全館セントラルヒーティングがご自慢のようでしたが、稼働すればこのスケールだと恐ろしいほどの光熱費になると思われます。

最も気になったのは、来賓のサービスはどなたが担当されているのか?
担当は常駐ではなく大手ホテルから入札で決められているそうです。来賓客の国(好みや習慣等を勘案)によって過去の経歴をふまえその都度外務省がチョイスしているというお話でした。小さなミスも許されない世界。
来日する外国の方目線では、赤坂離宮より京都の日本的なもてなしの方が喜ばれるのかもしれません。

撮影については、2024年は限定的に一部の部屋を可能にしているようです。

本館の玄関頭上には阿吽あうんの鎧武者と4羽の霊鳥。

外国人の考えるなんちゃって鎧武者的なユーモラスなデザイン。

各所に菊の御紋と桐紋がちりばめられていますが。「菊の御紋が格上! 桐紋は後醍醐天皇が下賜連発してるからね」とは某館内スタッフ。

前庭にはお茶や軽食を提供するスペースもあります。当日の気温を考えると、季節は選ぶ必要がありそう(地面は石畳)。

西欧列強に追いつき追い越せと頑張りまくった明治期の先人たち。国家の威信をかけてのプロジェクトで設計を任された東熊さんのプレッシャーは計り知れません。
その作品が現代では国宝文化財として評価され、初期の目的とはやや変わってしまいましたが迎賓館という現役の役割を持ちつつ、たくさんの人々を感嘆させる建物になっています。


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