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キッコーマンの館1:茂木佐平治邸 野田市郷土博物館・市民会館・茂木本家美術館【お宅訪問5】 千葉県野田市

首都圏のベッドタウンとして発展している国道16号沿線。千葉県側の北部には田畑が広がっていますが、高速道路のインター付近では巨大な物流拠点が北へと拡大しています。
そして新興の住宅地ではなく、太平洋戦争での空襲被害を免れた邸宅群が今もなお残っている町があります。それはよくある武家の城下町ではなく、江戸時代からの町人の手による企業城下町。コアとなるのはお醤油です。
今回はキッコーマン創業家の邸宅とその周辺を。


野田市の人口は153,000人で、船橋、市川、松戸、柏と40~60万人の大きな市を抱える千葉県の中では小さい方。
ロケーションは千葉県北西端、チーバくんの鼻にあたる部分で、茨城と埼玉に鋭く切り込んでいるエッジな市。その先端の関宿せきやどは利根川と江戸川の分岐点でかつては交通の要衝。

現代の醤油王国の千葉県は、全国出荷量が約40%に及びます。江戸時代には日本最大のマーケット江戸に近く、そして利根川・江戸川の水運という交通インフラを利点に発展しました(銚子の醬油も利根川経由で江戸へ)。
野田はその醤油王たるキッコーマンの本拠地。町はインフラ整備の歴史も含めキッコーマンの企業城下町です。
野田醤油の発祥は、戦国時代(1560~1570年ごろ)に飯田市郎兵衛が甲斐武田氏(武田信玄のころ)にたまり醤油を納めたコトから。そして1661年に高梨兵左衛門が商品化して、規模を拡大していきます。


茂木本家美術館と周辺

瓦が壁面のアクセント

千葉県野田市野田242

まず最初は美術館から。
茂木本家美術館はキッコーマン創業家の1つ茂木本家12代茂木七左衛門しちざえもん(1907-2012)が蒐集した日本画を展示する私設美術館で、開館は2006年。得意カテゴリーは浮世絵や近代日本画の約4,300点。

@野田市郷土博物館

美術館のアイコンは茂木本家が使用していたくしがたの商標がモチーフ。
茂木家はいくつかに枝分かれしていて、各家で商標が違います。ちなみにキッコーマンのマーク亀甲萬は、当時最も人気のあった茂木佐平治家の商標を採用。

パンフ2022年版

実は茂木本家美術館に足を運んだのは2015年とかなりの昔。当時は所蔵作品の知識もなく、浮世絵を見たぐらいの記憶しかありません。明確に覚えているのはキャラが濃過ぎる館長さん。

入口から入ると1人の女性が近づいてきました。
「館長のモギでございます! 今日はどの作品をご覧になりにいらしたの!」
全く予想外のお出迎えに反応出来ずにいると、

「あーらっ バイクでいらっしゃったそうですね! スゴイわねー。わたくし自転車にも乗った事がございませんのよ!」
どこで見てたのかと思いつつ、育ちの良さが気になる発言。そして、

「ゆっくりご覧になっていって下さいね。 ホッ ホッ ホッ!」とお付きの方を連れ、終始マイペースのまま颯爽と去っていきました。

茂木と名乗られたので創業家の方とは思いましたが、帰って調べてみると館長さんは13代七左衛門(賢三郎けんざぶろう:1938- )の奥様瓊子けいこさん。なんだかパワフルでスゴイ人に出会ったなーと、館長さんがこの美術館の印象のすべて。
(実はこの1年後ぐらいに館長さんは亡くなられています。 合掌)


茂木本家(七左衛門邸)

美術館に隣接して本家邸宅がありますが、現在もお住まいのようで見学は不可。この辺りを中心に他の茂木邸やキッコーマンの施設が集まっています(
茂木七郎治邸も見学不可)。

茂木七郎治邸
キッコーマン中央研究所
キッコーマン本社


野田市郷土博物館

町の歴史を知るなら歴史資料館(博物館)。
野田市郷土博物館は1954年の開館で、千葉県初の登録博物館。設計は日本武道館や京都タワーを設計した山田守(1894-1966)。隣接する市民会館(茂木佐邸)と調和するよう校倉造あぜくらづくりを意識してデザイン。


2024年4月ー6月 @郷土博物館・市民会館
パンフ 2022年版


館内は昭和です。設計資料もありましたが、展示品はほぼ醤油一色。

1840年の醤油番付。当時の醸造家が並びます。野田醤油の祖飯田市郎兵衛やあとに続いた高梨兵左衛門の名前も見えます。キッコーマンの源流となった高梨家や茂木家が多数ランクイン。


こちらは1890年の野田醤油醸造組合の広告。やはり高梨、茂木家が多数。


茂木佐平治家の商標が8家を代表

キッコーマンは野田と流山の醤油醸造家8家(茂木6家、高梨家、堀切家)によって1917年に誕生します。それ以前にも14家による野田醤油醸造組合によって、原料の合同購入や鉄道の敷設や誘致、銀行設立、醸造試験場設立が進められています。
ちなみに江戸時代には、高梨兵左衛門家と茂木佐平治家が江戸幕府の御用達を命じられるクオリティに。

博物館のスタッフの方によると、キッコーマン誕生のきっかけは渋沢栄一、当時すでに海外進出や資本力増強を頭の中に描いていたそうです。
ただ実力者同志の各家のバランスをどう取るのか、そこをうまくクリアできたのがキッコーマンのスゴさのポイントだとスタッフの方は解説。
深掘りすると、創業8家の人は1世代1人しか入社出来ないそうです。つまり親子同時とか兄弟が2人以上が在籍できない仕組み。
また完全実力勝負の世界で、創業家以外からトップになった方も。
各家にはそれぞれ家訓があり、お互い切磋琢磨しつつ(他家には負けたくないらしい)ガバナンスのあり方も互いに一定の緊張感を維持する組織。
同族経営権力の持つネガティブな部分を組織として克服しています。
そういう家だからこそ、あのような館長さんが現れるのでしょう。

また市内中心部は道も狭く(昔から変ってない?)城下町のようだとスタッフの方に印象を伝えると、作家の大宅壮一おおや そういちは野田を醤油藩の城下町と評したとうれしそうに教えてくれました(野田の殿様は関宿が拠点)。


茂木佐平治邸:市民会館

茂木佐平治さんはその邸宅と庭園を1956年に野田市に寄贈され、現役の市民会館として今も市民に愛されています。邸宅は1924年ごろの建物。
建物の見学は無料ですが、お部屋の利用料も格安です(市外の人でも可)。

茂木佐邸 パンフ2015年版

衝立の飛魚図(藤山鶴城作)は茂木さんが使われていたモノで、こちらも寄贈品。ただしこちらは複製で、原本は別に保存されています。

半分畳で半分板敷

派手さは感じられませんが、家業専念と質素倹約は長く続く実業家の基本。
それではお庭へ。

芝生の庭園にはかつて書院と呼ばれた来客用の建物があったそうで、写真の沓掛石のみ当時の面影を残しているそうです。


茶室の松樹庵しょうじゅあんは明治初期の建物。別のオーナーを経て1984年に現在の地へ移築されています(2020年に屋根を葺き替え済)。もちろん茶会に利用可。



残念ながら見学不可だった邸宅もあった茂木一族の足跡。しかし更なる引き出しがあるのが野田醤油の奥深さ。その驚くべき歴史と文化度の高さは次回に。



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