曜変天目茶碗【 1/3 】 静嘉堂文庫美術館@丸の内1・明治生命館【岡田信一郎】 東京都千代田区
東京都心では再開発がいつもどこかで行われ、都市の進化?に終わりがありません。破壊と再生・再構築を繰り返し、利便性は増して視覚的にもキレイになっていきます。SDGsとはやや矛盾する部分がある気もしますが、企業側はもっともらしい大義名分を掲げ、経済発展に突き進みます(笑)。
そんな終わる事のない再開発が絶賛進行中の丸の内。そこに2022年にオープンした静嘉堂文庫美術館の記録です。
静嘉堂文庫美術館は旧三菱財閥系の私設ミュージアム。以前の美術館は世田谷区岡本にありましたが、2022年に丸の内の明治生命館内へ引っ越してきました。丸の内の大家さんと呼ばれるのはグループ会社の三菱地所。三菱の歴史ある建物内に、創業者一族蒐集の美術品・文書類を所蔵・展示。世田谷にも文庫の機能は残しています。
原点回帰的な手法は三井記念美術館と似ています。
ちなみに丸の内には三菱一号館美術館もあります(現在メンテナンスで休館中)。あちらは西洋系の展示が多い印象。
静嘉堂文庫美術館
静嘉堂文庫は1892年に起源を持ち、美術館としては1992年に開館。岩﨑彌之助(1851-1908:三菱2代社長)と小彌太(1879-1945:4代社長)親子(創業者彌太郎(1835-1885)の弟の系譜)の蒐集品をベースに、現在は国宝7点、重要文化財84点を含む約20万冊の古典籍と約6,500点の古美術品を収蔵。茶道具は明治期に旧大名家が伝来の道具類を売却し始めたころに、仙台伊達家のものを一括購入しているそうです。
東京都千代田区丸の内2-1-1
明治生命館を取り込んだカタチの丸の内MYプラザ。通路はアトリウムに。
初めてだと美術館の入口が分からずに迷うかもしれません。
参考に移転前の美術館も少し。
多摩川沿いの国分寺崖線上にあり、ザックリ国道246号線をはさみ西に静嘉堂文庫、東に五島美術館(歩けない距離ではありませんが、楽でもない)。丸の内と比べるとアクセスは良くありません(電車の人)。さらに門から建物までが長ーい、お金持ちの御屋敷スタイル(プラス高低差あり)。
世田谷での移転前最後の展示。所蔵品オールスター的で静嘉堂文庫ベスト盤でした。これで最後かーと思っていたら・・・ 実は・・・でしたけど。
そして丸の内での第一弾。
移転して最も驚いたのが建物のゴージャス度。歴史的にはこちらの方が古いのですが、世田谷のTHE昭和的な建物から格段にセレブ感が上昇。Tシャツ・短パンではつまみ出されそうな雰囲気が漂います。
所蔵品の中では最も話題になっていると思われる逸品を(チラシの左下の茶碗)。
曜変天目茶碗
曜変天目(耀変、窯変とも)は日本に3碗、というより世界に3碗しかない唐物茶碗(中国伝来)。3碗すべてが国宝。現代の作家もその再現制作にチャレンジしていますが、難易度は超高いようです。原産国の中国でもよく分かっていないトコロがロマンを増幅。
曜変天目は掌におさまる小宇宙(文章力不足)。静嘉堂文庫のモノは光彩と斑点がハッキリとしていて、興味のない人でもただものではない感が伝わると思います。
徳川将軍家所蔵(柳営御物)だった曜変天目茶碗を、3代将軍家光(1604-1651)は乳母の春日局(1579-1643)に下賜します。それが春日局の孫稲葉正則(1623-1696)の家に伝わったので稲葉天目と呼ばれています。下賜の際のエピソードもチョッピリ涙です。
稲葉家伝来とサラッと説明されますが、そもそも稲葉家を普通に知っている人はオタクレベルかと(笑)。
春日局の父は明智光秀の重臣にして右腕斎藤利三(1534-1582)で、本能寺の変では現場にいた主要キャストの1人。
祖父は稲葉良通(一鉄:1515-1589)。斎藤道三、後に織田信長の家臣となった有力武将で西美濃三人衆の1人。
嫁いだのは稲葉正成(1571-1628)。小早川秀秋(1582-1602)の家老を務め、関ケ原の戦いではVIP席(松尾山)から戦況を眺め過ぎて家康をイラつかせ、機を見て西軍の右翼を粉砕した人。いずれも戦国時代ど真ん中に足跡を残した人たち。
春日局はその血筋と教養から乳母に選ばれたと言われています。
ちなみに稲葉の宗家(つまり春日局の叔父の家)は豊後臼杵の殿様になって幕末まで続きます。
稲葉天目は、3碗の中では最も見る機会の多い曜変です。同時に展示される事の多い、唐物茄子茶入付藻茄子と松本(紹鴎)茄子の2点(掘り出したバラバラ状態から復活)も秀逸です。
上は開館20周年の展示(2013年の岡本の静嘉堂文庫)で配布されたパンフ。7ページのボリュームで展示された茶道具類の写真と解説を掲載。2009年に中国広州で発掘された耀変天目の陶片(全体の1/4が欠損)についても。
そういえば2019年は曜変天目の3碗すべてが公開された記念の年でした。掲載された雑誌も多数。その中でブルータスが2019年発行のNo.891「曜変天目 宇宙でござる」は永久保存版。古本で入手可能(少しプレミア付)です。
そして美術館で話題になった曜変天目を。
売り切れになっている事の多いぬいぐるみ。発想した人のセンスに拍手。サイズが大きければ、裏地がチョットお洒落な帽子にも。買わんけど。
昔、学ランの裏地に龍とか虎の刺繍を入れてた人(いわゆるツッパリ)がいましたが、裏地にはタマムシという生地がありました。光を当てると表情が変わる紫色系の生地で、タマムシの羽根のようでキレイでした。曜変天目も色の出方が似ていますが、さすがにぬいぐるみでの再現は難しそうです。
次は美術品の器となる建物について。
明治生命館
明治生命館は無料で見学可能です。入口は皇居側にあり、入館すると2階へと誘導されます。エレベーターも年代物(ある意味怖い)。主要メカは更新されてるとは思いますが。
見学は2階エリアです。
明治生命館は1934年の竣工(重要文化財)。設計は岡田信一郎(1883-1932)。大阪市中央公会堂(現中之島公会堂:1913年)、鳩山一郎邸(音羽御殿、現鳩山会館:1924年)やトーハクの黒田記念館(1928年)を設計されています。
着工間もなく病に倒れ、完成は見届けられず(涙)。病室からも指示を出したそうです。後任の設計監督を務めたのは弟捷五郎(1894-1976)。
構造設計は内藤多仲(1886-1970)。多くの作品を残されていますが、東京タワー、名古屋テレビ塔、通天閣、別府タワーを設計したタワーの王。名古屋テレビ塔は、2022年にテレビ塔として最初の重要文化財指定。
建物は太平洋戦争時の東京大空襲を乗り越え(爆撃目標から外していたそうですが)、戦後はアメリカ軍GHQに接収されます。明治生命館と同じ並びの第一生命館には、最高司令D・マッカーサーの執務室が現存します。
建物東側には会議室と食堂を配置。
建物西側(皇居側)には応接室を配置。
上から覗かれても大丈夫? と余計な心配。
ロープでガードされていない部分は、内装が新しいカンジでした。聞いてみると一部新しく製作した家具もあるとの事。触れない家具が現存でしょう。
明治生命館の展示が更新されることはなさそうですが、今後の展開に期待。
丸の内は比較的バイクの駐車場が設置されています(都市部では車は駐車できるのにバイクは困ることが多い)。世田谷よりアクセスの利便性が格段に上がったのはありがたいポイントです。
重要文化財の建物に、国宝・重要文化財の多くの美術品。丸の内エリアで存在感のあるミュージアムが増えました。