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曜変天目茶碗【 3/3 】 MIHOMUSEUM 【I・M・ペイ】 滋賀県甲賀市

東京から大阪へと続いた曜変天目茶碗も最後の1碗。ところが、これが一筋縄ではいかない1碗でした。この茶碗を追いかけて10年ほど経った2019年。この年は偶然にも国宝3碗が展示されるとの情報が(場所は別々)。
東京は静嘉堂文庫美術館、大阪の藤田美術館は建て替え中だったので奈良国立博物館で、ラストピースは滋賀のMIHO MUSEUM(ミホミュージアム:以下MIHO)でした。
さながら2019年は曜変天目グランドクロスの年。


そもそもラストピースは、大徳寺の塔頭龍光院りょうこういん(京都府京都市)所蔵のモノ。龍光院は拝観謝絶の塔頭です。ちなみに龍光院にはこれまた現在3つしかない国宝茶室の1つ密庵みったんがあります(ずーっと機会を待ってますけど)。
秘密のベールに包まれ、一般人にはあまり縁のない龍光院。そんな龍光院の所蔵品たちが公開されたのです。なぜか滋賀で。
偶然にも2019年は大阪をベースに仕事をしていました(1年後には世界的に身動きができない状況に陥りましたが)。行けない理由は全くない状況。文字通り山の中に分け入りました。


MIHO MUSEUM

最初にココへ足を運んだ時の印象は、「山の中にスゲーの建てちゃったねー」。どういう人が来るのかなと疑問でしたが、2度目には駐車場が拡張されていて、インバウンドの方々がゾロゾロ。そして3度目となる2019年には駐車場がさらに立体化! まあココは公共交通機関利用の場合、最寄りが大津市のJR石山駅。そこからバスで50分揺られるという立地で、アクセスが良いとは言い難い。でも行けば度肝を抜かれるミュージアムです。
 

  
  

滋賀県甲賀市信楽町田代桃谷300


レセプション棟

レセプション棟と呼ばれるチケット売り場から美術館棟までは約500m。電気自動車で運んでもらえます。歩けない距離ではありませんが、往路は登りです。

みんな写真を撮ってるトンネル

トンネルを過ぎると美術館棟が見えてきます。ここまで来てなにか尋常ではない場所へ来たコトを感じます。
 

入口
   

MIHOの開館は1997年。
設計はアメリカ人建築家のイオ・ミン・ペイ(1917-2019)。
ヴァルター・グロピウス(1883-1969)やマルセル・ブロイヤー(1902-1981)といったバウハウスの巨匠に学んでいます。作品としてフランスのルーブル美術館のガラスピラミッドが知られています。

  
  
南館方向
 
  北館方向

北館は日本のコレクションと特別展用
南館にはアジアから地中海沿岸にかけての世界のコレクション。
興味があったエジプトの隼頭神像じゅんとうしんぞうは、3200年前!の像。金、銀、ラピスラズリ、水晶と高価な素材が使われ、どことなく漂うプレデター感。ただ目の前にすると意外と小さい(ミュージアムあるある)。


展示室内は撮影不可。

初めて来た時に母体が宗教系のミュージアムとは聞いていました。美術館棟から望む向こうの山々にその関連施設が見えます。
その後調べてみると創立者の小山美秀子こやま みほこさんは、岡田茂吉おかだ もきちさん(世界救世教創立者)に師事し、後に分流されたと。
あーっ MOA美術館の人!
しかもMIHOKOとMokichi Okada Association。
MOA美も豪華な施設ですが、分流してもこの規模! 恐るべき財力。
 

2017年は開館20周年記念の年でした
 
桃源郷はここ 展 チラシ
2017年9月-12月 MIHOMUSEUM
 
パンフ 2008年版と2019版(右)

桃源郷と思しき景色が広がる山の中。
 

曜変天目

そしてラストピースにご対面。

曜変天目と破草鞋はそうあい 展 チラシ
2019年3月-5月 MIHO MUSEUM

展示は龍光院の所蔵品を江月宗玩こうげつ そうがん(1574-1643)を軸に展開。
曜変天目は堺の豪商で江月宗玩の父津田宗及つだ そうぎゅう(天王寺屋:?-1591)が所持していたモノ。
 

2019年曜変天目グランドクロスのガイドに。


そして特別展の豪華な図録。

曜変天目と破草鞋 図録
  発行・編集:MIHO MUSEUM
2019年 573ページ! 絶版?

THE図録といった趣。龍光院の写真集のようでもあり、紙質もちょっと違います。読み物は充実していて、密庵についても豊富な写真に詳しい解説が。
圧倒されるボリュームで、とにかく重い。¥3,000の価値は充分あり。


国宝の3碗以外にも曜変天目と呼ばれた茶碗はいくつか存在するようで、徳川美術館(愛知県名古屋市)や実はココMIHOで見られます。徳川美術館のモノは紹介される時には曜変天目(油滴天目)と表記される大名物で、徳川家康(1543-1616)の遺品として子の徳川義直よしなお(1601-1650)に相続された尾張徳川家の伝来品。
MIHOの茶碗は耀変天目(重要文化財)と表記されるモノ。加賀藩主前田利常としつね(1594-1658)が所持した前田家の伝来品で、箱書きは小堀遠州こぼり えんしゅう(政一:1579-1647)らしい。ただし国宝の3碗より斑紋がまばらで素人目にも「油滴じゃないの?」と思えます。油滴にはない虹色の光彩がなんとなく表れているのがポイントでしょうか?
ちなみに油滴天目茶碗にも国宝指定のモノがあります。指定の基準が素人には分かりません。

(参考)油滴天目:国宝 大阪市立東洋青磁美術館蔵


大徳寺 龍光院とは

所蔵されているお寺も。

大徳寺総門

大徳寺へバイクで行くと係の人から「門の裏側に止めて下さい」と。
自転車が止まっていましたが、チョット気が引ける好待遇(車は有料駐車場あり)。門前に馬を繋ぐ的な。 

勅諮門と奥には山門(金毛閣)
金毛閣は豊臣秀吉が千利休にイチャモンつけた門

 

大徳寺 パンフ2014年版
 

大徳寺(京都府京都市)は宗峰妙超しゅうほう みょうちょう大燈国師だいとうこくし:1283-1338)を開祖とする臨済宗の大本山。茶の湯との関係が深く、大徳寺の茶面ちゃづらとも。龍光院はその塔頭です。龍光院開山の春屋宗園しゅんおく そうえん(1529-1611)が没すると江月宗玩が継承しています。

龍光院の開基は黒田長政くろだ ながまさ1568-1623)。父黒田孝高くろだ よしたか(官兵衛、如水、シメオン:1546-1604)の菩提を弔うため建立します。

ちなみに小堀遠州が建立した弧篷庵こほうあんは、元は龍光院内の塔頭。


スポンサーの黒田家とは

黒田如水は播磨の人。織田信長(1534-1582)の毛利攻略を支えるため豊臣秀吉(1537-1598)に臣従。関ヶ原の戦いでは徳川家康方についた長政が、最前線の石田三成軍と激突。戦功により豊前(福岡と大分の一部)12万石から筑前(福岡)52万石へと大幅な加増転封(如水は九州で勢力を絶賛拡大中でしたが)。そして幕末まで続いた筑前のお殿様に。

弔われた人 黒田如水像 その1 福岡市博物館蔵
黒田家第一家宝の1点
 
黒田如水像(模本) その2 トーハク蔵

こちらの原本は福岡市美術館蔵で、賛は春屋宗園によるもの。
 

如水の具足一式 福岡市博物館蔵

兜は敵をかなりビビらせたという「如水の赤合子」と呼ばれたモノを、ひ孫の光之みつゆき(1628-1707)が作製させたレプリカ。原本はもりおか歴史文化館(岩手県盛岡市)の所蔵。具足は原本。
  

如水 辞世の句 福岡市博物館蔵

「おもひをく 言の葉なくてつひにいく 道はまよはじ なるにまかせて」
戦国の世でのやり切った感。そういう人生を送りたいものです。
 

  弔った人 黒田長政像(重要文化財) 福岡市博物館蔵
黒田家第一家宝

関ヶ原合戦時の姿が描かれ、賛は江月宗玩によるもの。
  

黒田長政具足(重要文化財) 福岡市博物館蔵

関ヶ原の合戦で着用した具足。兜(一の谷形)は、ケンカした福島正則ふくしま まさのり(1561-1624)と仲直りして互いに交換したモノ。
 

大水牛脇立兜(重要文化財) 福岡市博物館

こちらが正則へ渡した兜と同型。長政は予備を複数持っていたそうです。


大徳寺は守護大名から戦国大名のメジャークラスが塔頭を建立していて、ある意味歴史のテーマパークです。建物や庭園と見所が多いお寺ですが、通常時は拝観謝絶も多くて特別拝観などのリサーチが必要。また塔頭の多さから拝観料が結構掛かるのも泣けるポイント。


ようやく見るコトができた龍光院の曜変天目。実は2022年に京都国立博物館でも展示されていました。


茶の湯 展 チラシ
2022年10月-12月 京都国立博物館

時期的には大阪から撤収していて、あまり遠征したくなかった時期。
「まあ、いいか」と諦めて、後日図録を入手しました。

目を通してみると行っとけば良かった!(泣) と言える展示内容でした。茶道具の逸品は言うに及ばず、龍光院に加えMIHO MUSEUMの曜変天目も参陣していた決定版。

是非に及ばず。次の機会を待つだけです。




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