何故ここにこの人が? 伊東豊雄建築ミュージアム 愛媛県今治市
瀬戸内海西部に広がる島々芸予諸島。現在の行政区分はその名前のとおり、広島(安芸)と愛媛(伊予)に線引きされています。愛媛県側の主要な島には、大三島、伯方島、大島が。
本州と四国の距離が近いうえに点在する島々によって潮流が複雑なこの地域は、かつては水運の要衝でした。歴史ファンにはご存じの村上水軍と呼ばれた海賊衆(ゆるやかな統治者連合)が活躍したエリア。
現在はテクノロジーの進化によって6本の巨大な橋が架かり、しまなみ海道と呼ばれる船乗りではなく自転車乗りが集まるエリアに。
今治市は近年ブランドの再構築が進む今治タオルと造船業(そしてその船のオーナーたち)で知られる市。造船業の源流にはもちろん村上水軍も。愛媛県第2位の人口は148,000人。
尾道から今治へと繋がるしまなみ海道はサイクリストを吸引する観光コンテンツとなり、その素晴らしい景色を求めるサイクリストたちのために案内表示の整備や駐輪スペースを備えた施設が増加中。
本州側の起点の街・尾道にショップを立ち上げたジャイアント(台湾の自転車メーカー)の存在も大きい。ただし島と島を結ぶ巨大な橋を自転車で渡るのはちょっと怖そう(風が強いとバイクでもビミョーに流されます)。
四国はお遍路さんの文化圏ですが、海道エリアで見かけるのは笠ではなくヘルメットをかぶったサイクリスト。
今回はそんなサイクリストたちも寄り道しているかもしれないミュージアム(立地的には可能性は薄いか)。
しまなみ海道から大三島へ
大三島は現在では今治市に属していますが、江戸時代は今治藩を飛び越して松山藩・久松松平家の支配領域。
島内には古くからの海の神様、戦いの神様として知られる大山祇神社(大山積神社)が鎮座。平安期以来多くの武将たちから武具等が奉納され、刀剣や甲冑で国宝・重要文化財指定される8割がこちらに所蔵されています(宝物館で大量展示)。
大三島へはしまなみ海道がメインルートですが、船でのルートもいくつか。忠海(三原と竹原の中間)から船で渡ったことがありますが、フェリーを長距離の旅程に組み込むと休憩と気分転換を兼ねて楽しめます。瀬戸内海全域には短時間の船旅がアチラコチラにあります(急ぎの移動は橋で)。
今治市伊東豊雄建築ミュージアム
今治市立伊東豊雄建築ミュージアムは、実業家・所敦夫の依頼により2011年に開館した公立ミュージアム(所さんは建築ミュージアムのすぐそばにあるところミュージアム大三島も地域に寄付しています)。
シンプルに何故こんな場所にこんなミュージアムがという印象。
展示棟のスティールハット(黒)とワークショップ兼図書室のシルバーハット(銀)から構成され、建築家・伊東豊雄の活動記録(現在進行中もふくむ)のアーカイブが展示されています。
愛媛県今治市大三島町浦戸2418
スティールハットは外観がステルス艦船的な面構成の建物ですが、内側も外から見たそのまま(使いにくそう)。シルバーハットはかつての豊雄さんの自邸(1984年)を再現。ミュージアムは大三島における伊東建築塾の拠点となり、豊雄さんのアイディアの起点にもなっているそうです。
今治市は大御所建築家丹下健三(1913-2005)の出身地だったこともあり、豊雄さんははじめ建設を断わったそうです。大御所を差し置いて自らの名前を冠するミュージアムを立てるのは畏れ多いと。
館内は基本撮影可能ですが、シルバーハット内の図書館スペースは不可。
展示室はシンプルで展示物はやや物足りない。
正直フラッと足を運ぶような立地でもなく、一般的な資料館を期待すると「こんなモンッ?」という印象。しかしココには豊雄さんの深謀遠慮がめぐらされているようです。
ちなみに受付の方は島外からの移住者でした。島での生活が気に入ってと割とよくあるハナシでしたが、そういう方々がけっこういて時々集まる機会もあるそうです。
興味深かったのが、島内それぞれの集落で文化がけっこう違っているという話。海道沿いでは大きな部類の島ですが、絶対的な大きさは知れています。
なんでも島内をぐるーっと1周する道路がつながったのはそれほど昔のコトではなく、かつて(江戸時代レベル?)は船のみが移動手段だったと。それゆえに容易に文化が同質化しなかったそうです。
ヨソ者目線が集まったことで気がついた面白い事実。便利になるにつれ文化は希薄化していくのでしょう。
展示にもあるように豊雄さんはこの施設を建築の学びの場として捉えています。環境はたしかに素晴らしいのですが、ここまで図面や資料を見に来る人はおそらくフツーの人ではないでしょう。どう裾野を広げていくのかが焦点になるかと。自分も目当ては大山祇神社でした。ここまで来たのだからオマケに寄ってみるかというカンジ(そもそも建築に興味がなければ、多分気がつかないミュージアム)。
ミカン畑の斜面に立地しているので、ミュージアムよりも瀬戸内海の美しい景色の方に目を奪われがち。
駐車場の一番奥にたたずみ、瀬戸内海を眺める変なヤツが1人。
何かのオブジェかと思いましたが、背中にその答えが。
アート作品的な実用品。面白いなとその場では思いましたが・・・
自転車を立てかけミスターが自転車にまたがったスタイルが完成形の仕様。
そして四国へと渡ると今治城にも変なヤツが。
調べてみると6体が点在するスタンプラリー的なたくらみでした。
観光政策の一環としてのサイクルスタンド。
こちらはミズが自転車にまたがらんとするスタイル。ハンドルをうまく引っ掛けるのが正解のようですが、たぶん固定方法に迷う人は多いでしょう。どちらもワイヤーロック用の穴を装備した安心仕様。
伊東豊雄という人
建築家伊東豊雄(1941- )は長野・諏訪で幼少期を過ごした人。菊竹清訓設計事務所卒業生。何かの番組か記事で「五感でモノを考える」と発言されていたのが印象に残っています。
代表作といえば、せんだいメディアテーク(2000年:宮城県仙台市)でしょう。図書館やギャラリーにスタジオが入った仙台市の複合施設。
チューブと呼ばれる鋼管トラス(柱)とハニカムスラブ(床)で支えられる変わった建物。文章で書くとそういう説明になりますが、実際見てもなぜ構造が成立しているのかよく分からない不思議さが特徴。
豊雄さんは九州ではくまもとアートポリスプロジェクトの3代目コミッショナーを務め、熊本県での建築文化の向上に関わっています(現在進行形)。
くまもとアートポリスとは、細川護熙(肥後細川家18代当主、元熊本県知事、元総理大臣:1938- )が県知事時代に始めた建築文化を主役とした地域振興プロジェクト(1988年から)。
初代コミッショナーには磯崎新(1931-2022)、2代目に高橋靗一(1924-2016)。建築ファンには知られたプロジェクトとは思いますが、一般的かつ全国的な知名度は不明。
豊雄さんの最初のプロジェクト参加は設計者として。
八代市立博物館:設計伊東豊雄(1991年:熊本県八代市)
八代地方の歴史、特に肥後細川家の家老を務めた松井家の武具や道具類を展示するミュージアム。なんだかシルバーハットに似ていますが、伊東豊雄初の公共ミュージアム建築。
アートポリスの興味深いトコロは、初代コミッショナーの磯崎新さんをはじめ、プロジェクト参加者の面々がのちにプリツカー賞(建築界のノーベル賞)を受賞されている点。公共建築が主体になっていますが若手建築家も起用され、一部には民間作品(妹島和世)も。ちなみに妹島さんは伊東豊雄建築設計事務所の卒業生。
何より40年近く経過したプロジェクトが現在も継続中という点は、自治体主導での建築への理解を深める機会として評価されるべきでしょう。
以下プリツカー受賞者の作品を参考に(みなさんのプロフィール写真が若すぎる!)
・山本理顕:保田窪第一団地(熊本市:1991年)
・妹島和世:再春館レディース・レジデンス(熊本市:1991年)
・安藤忠雄:県立装飾古墳館(山鹿市:1992年)
・レンゾ・ピアノ:牛深ハイヤ大橋(天草市:1997年)ピーター・ライス、岡部憲明 共作
年月が経つにつれ、このプロジェクトのスゴさがジワジワと。また大御所となられた建築家の方々の知見も期待できます。
大三島での豊雄さんの活動は熊本ほどの規模感はありませんが、地域住民(子供たちも)を巻き込んで地元の環境と建築を考える場所として期待されています(もちろん観光コンテンツとしても)。
モノづくりというベースがあり公共性(共助)も欠かせないこの地域は、モノや情報が氾濫しがちな都市部よりも物事の本質が見えやすいのかもしれません。何より豊かな伝統文化という無二の個性がまだ潤沢に残っています。
ココはミュージアムというハコではなく、内包されているその思想に触れるための施設。