解体された東京海上ビルと現存する前川國男邸 江戸東京たてもの園【お宅訪問8】東京都小金井市
著名な建築家の自邸で見学できるトコロは限られます。現役の方であれば当然今もお住まいなので無理でしょう。
個性的な建築を生み出す建築家が、自らの住宅をどうデザインするのかは興味深いポイントです。クライアントとは違う建築家自身のライフスタイルも(個人的には菊竹清訓さんの自邸スカイハウスを見学してみたい)。
今回は現代でもまったく色褪せない魅力を持った小さな住宅と過去の記憶になってしまった一等地にあったオフィスビルを。
東京駅の八重洲側も丸の内側も再開発が日常的に行われていて、建設現場を目にするのは珍しくはありません。皇居から東京駅へとぶらぶら歩いている時に、何やら違和感を覚えたのは2024年の5月。
そういえばビルを建て替えるんだと記録していたビルが、完全に姿を消していました。面白いのはビル群の中でビル1棟が完全になくなってしまっても、すぐには何のビルだか認識できなかったコト。地図を確認しつつようやくビルの完全解体を理解。
神宮外苑の再開発反対運動はかなり報道されていましたが、丸の内ではあまり聞かなかったなと思いつつ、その解体過程はほとんど目にできず。自分の意識はその程度だったというコトですが。
東京海上(日動)ビル本館
皇居前の一等地にあった東京海上ビルは1974年の竣工、設計は前川國男。当初の高さ130m、30階建の計画は、皇居周辺の景観問題等によって100m、25階建へと変更。
窓面を柱より内側に配置したデザインによりファサードには陰影が生まれています。敷地には意図的に余白を残した設計。都市空間における前川さんの明確な意図で、公共の概念と緑地化のためらしい。
かつての高層ビルも、現在ではさらなる高層建築に見下ろされるように。
2022年から解体が始まり、現在は新しいビルへと建て替え進行中。
2022年8月時点には、ビルは閉鎖されていました。撮影に来られたとおぼしき方々がちらほらと。右側奥には新丸ビルがチラリ。
博物館系の打ち込みタイルとはやや違ったおもむき。
実は建て替えにあたってビルの存続を求める会が、前川建築設計事務所の出身者らによって立ち上げられていました。「前川建築の代表作の1つ、同時に日本の都市計画の歴史においても重要な価値を持つ」また「全面建て替えは脱炭素やSDGsの取り組みにも逆行する」と。
東京海上HDなどに公開質問状を送られたそうですが「災害対応力の強化を目的に建て替える予定。歴史的価値については有識者の協力を得て、記録調査と継承の方法を検討していく」とHDからは隙のない返答が。
2022年10月には敷地はフェンスで囲まれて近付けず。この時もやはり撮影されている方々が。
規模が大きなモノは、維持するためのハードルは高くなるでしょう。
東京海上日動HDは大企業とはいえ、民間企業である以上経済合理性が優先されても仕方ありません。またオフィスビルの保存は素人目にも現実的とは思えません。価値をどこに置けばよいものかモヤモヤします。
2024年5月時点ではビルは完全に解体され、皇居方面からは新丸ビルが丸見え。
2028年竣工予定の新しい建物は、レンゾ・ピアノと三菱地所による設計で20階建ての木造ハイブリッドビル。
前川國男という人
前川國男(1905-1986)は新潟生まれ。東京帝国大学工学部建築学科卒業後にフランスへと渡り、ル・コルビュジェ(1887-1965)に師事。帰国後はアントニン・レーモンド(1888-1976)に師事。
昭和期の日本近代建築史において欠かせない人。多くの公共建築を残しています。ミュージアム系では打ち込みタイルが前川建築の代名詞。
前川建築は日本全国に残っていますが、その自邸は東京都下に移築されています。
江戸東京たてもの園
江戸東京たてもの園は、1993年に江戸東京博物館(2025年まで休館中)の分館として小金井公園内に開館、前身は武蔵野郷土館。2024年現在の館長は藤森照信さん。広大な敷地に移築された復元建造物が多数。
エントランスのビジターセンター:光華殿は1940年皇居前に式典用として建設、式典後に小金井に移築。武蔵野郷土館から引き継いだ資料類の展示スペースがあります。
東京都小金井市桜町3-7-1
移築住宅を2棟
高橋是清邸(1902年)は、港区赤坂にあった明治から昭和初期の宰相(愛称はダルマさん)のお宅。1936年の2・26事件の現場となった建物。
1938年に東京市に寄贈され、母屋は多磨霊園に移築(是清さんのお墓は多磨霊園に)。その後たてもの園に移築。
三井八郎右衛門邸(1952年+1897年)港区麻布にあった三井本家の邸宅。ご存じ三井財閥の総帥のお宅。
それでは前川さんのお宅へ伺いましょう。
ちなみに2017年にビジターセンター展示室ではこのような企画展示が(解説の小冊子が発行されています)。
前川國男邸
前川國男邸は1942年東京都品川区に建てられています。
1974年の新自邸(RC造)建て替えに伴い、解体されて軽井沢の別荘で保管。
1997年に藤森照信さんらの尽力によって江戸東京たてもの園に移築復元。
太平洋戦争時の資材統制によって木造30坪という条件下で設計。戦争も生き残りました。前川さんの設計事務所は銀座にあったそうですが、こちらは空襲で焼失。この自邸は、戦後数年間は事務所としても使用されたそうです。
それではお邪魔します。
戦前の設計ながらイスでの生活が前提で、現代でも違和感のないスタイル。
切妻屋根と左右対称のファサードが特徴的な木造住宅。
吹き抜けで開放感あふれるリビングダイニングにある階段はロフトへ。
前川邸は建て替えにあたり部材を保管し、再現の可能性は残しました。
結果、前川さん没後に東京都へ寄贈され現在に至ります。
東京海上ビルは前川さん唯一のビル建築で、おそらく前川建築としては最大クラス。そして前川自邸は最小クラス。
ちなみに東京海上ビルと同じ頃に設計された宮城県美術館は、2019年に老朽化を理由に宮城県から移転建て替え構想が発表されます。すると建築界や市民団体から美術館存続の要望や陳情が提出され、県は構想を改修案へと変更しています(現在、絶賛改修中)。
建物の存続・廃止の判断で、所有主体の意思だけでなく多面的な視点(意見)が得られるのは、公共建築ならでは。もちろん住民には相応の負担も。
長い目で見ると、そのバランス感覚がモノを後世に伝える鍵でしょうか。
人の記憶だけではいずれ風化するのは間違いありません。