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【書籍】科学的根拠に基づく最高の勉強法

科学的なエビデンスに基づく勉強法を紹介する本です。最近読んでみたのですが、自身の体験からも納得できるところが多かったです。大変参考になりましたので紹介します。

「科学的に効果が高い勉強法」については、以下のものが主に紹介されています。

①アクティブリコール(想起練習) / Active recall (効果高)
②分散学習 / Distributed Learning (効果高)
③精緻的質問 (効果中程度)
④自己説明 (効果中程度)
⑤インターヒーリング (効果中程度)

①と②は特に効果が高いとのことです。

①アクティブリコール(想起練習) / Active recall (効果高)
勉強したことを能動的に思い出すこと、記憶から引き出そうとすること

※アクティブリコールに関連する学習促進効果

・プロダクション効果
情報を単に黙読するよりも、書き出したり、音読したりした方が記憶に残りやすい

・プロテジェ効果
誰かに教える、教えようとすることで学習効果が高まる

・テスト効果
情報を積極的に思い出すことで、情報が長期記憶に定着しやすくなる

②分散学習 / Distributed Learning (効果高)
時間間隔を空けて勉強をすること

・分散効果
一度にまとめて勉強するよりも、時間を分散して勉強する方が、長期記憶への定着が良い

著者オススメの勉強法:
連続的再学習 = アクティブリコール × 分散学習

連続的再学習
アクティブリコールと分散学習を組み合わせたもの。
アクティブリコールに基づく学習行為を、間隔を空けて反復すること

自分もこれまで、

・「あー、あれあれ、何だっけ???」となった時に、すぐに調べるのではなくて、頑張って思い出すようにすると頭が良くなる

・頭に入れるなら音読が良い(英語学習は音読なしにはありえない)

・人に教える、アウトプットするつもりで勉強すると、インプットの効率と質が高まる

・一夜漬けは短期記憶のみ、長期記憶には移行しない

・専門書を再読する場合、間隔を空けた方が良い

・1つの本に集中して取り組むより、2~3冊の本を同時に読んだ方が良い

・日記やブログを書くと頭がよくなる

・SNSは日常的に文章を書くことを自らに強いるので、戦略的に活用すれば、勉強の効率化に使える。ChatGPTも同様。

・Youtube での情報発信の利点は、収益化や自己実現だけでなく、自身が取り扱っている特定テーマに対する高い学習効果である(学術的な専門性が高度な場合)

・仕事のできる人は独り言が多い

・研究上の偉人はメモ魔が多い

・努力よりも、道楽化・習慣化・仕組み化

みたいな話を、いろいろな人から断片的に聞いてきました。これらは、上記のアクティブリコールや分散学習の概念を使って、概ね説明できそうな印象を受けます。

著者の安川先生は「連続的再学習」を特に推奨しています。確かに「脳の長記記憶に知識をインプットする」という観点からすると、このやり方が最強なんではないかと自分も思いました。アクティブリコールに基づく学習プランを間隔を空けて実行、究極的にはそれを習慣化して自動化するみたいなイメージでしょうか。

③精緻的質問 (効果中程度)
学習した内容について、なぜ (Why) 、だから何(so what)、どのように (How) など自問し、学習内容を深堀していくこと。

④自己説明 (効果中程度)
学習者が自分自身に対して、学習内容や学習過程を説明すること。

精緻的質問により論点が深堀され、テーマの理解が深まります。読んでいて思ったのが、ロジカルシンキングで常用されるロジックツリーとの関連です。

ロジックツリーには複数種類がありますが、What や Why などの各論点を漏れなくダブりなく記載し (MECE)、全体を構造化&視覚化するという特徴があります。これは、精緻的質問のプロセスとよく似ています。

たぶん、ロジックツリーを描くこと自体に、論点を整理するだけでなく、テーマ理解を深める学習効果があるんだろうなと思いました。これは自身の経験とも一致します。ロジックツリーって、描きながら、発見しながら、考えを整理するわけです。ロジックツリーに基づく、複数人でのフリーディスカッションも有益だと実感しています。

出典: 【図解】ロジックツリーとは?活用の注意点や種類を徹底解説!

自己説明は「自分の言葉で理解することの重要性」「学習プロセスを自己認識する重要性」を反映していると思います。これも子供の頃から、周囲の大人によく言われていた記憶があります。「説明(言語化→文脈化)できなければ、理解したとは言えない」「フィードバックはいつも重要」というやつです。自分自身に対して行う説明は、最初のハードルであり、トレーニングの機会なんだと思います。自分に対して説明できないのに、他人に説明できるわけがないですからね。自分が何を分かってないかを認識する上でも有益だと思います。

もっとも、「自分の言葉で理解しましょう」というスタンスには、一定のリスクがあるとも考えています。「本当に複雑なものは複雑なまま理解すべき」「人間の理性や言葉にはそもそも限界がある」「人知を超えたものに対する畏敬や畏怖」という観点が大事になる局面もある。正直な話、僕は「自分の言葉で理解しよう」「シンプルに説明しよう、分かりやすく説明しよう」という表現が好きではないのです。

この辺の話は、福田恆存の本を読んだり、宮崎アニメを観たりするといつも考えてしまうところ。柳田國男、研究者にとっては寺田寅彦の『科学者とあたま』なども参考になると思います。精緻的質問や自己説明のプロセスは、かなり奥が深いと思っていて、学問や研究の領域に足を踏み込んでいると思います。

皆さん誰しも間違えていることがあります。歴史を学ぶ、言葉を学ぶ、自然を学ぶという風に思っている。そういう考え方は間違っている。われわれは、歴史に学ぶのです。歴史がわれわれを教える。われわれは歴史から教わるのです。自然から教わるのです。言葉から教わるのです。

福田恆存

私たちの目の前にある現実を十分に見つめて、それで何かを計算し、割り切ろうとしたときに、そこに必ず残るものがある。それを常に目の前において、合理、理性一本ではいかないということを自覚し、一つの仮説としてものを出していく。それが本当の合理主義的な態度であると思います。

福田恆存

人間は、きっかけをつくるとか、物を据えるというのはするけれども、そこに何が宿るか、神様が宿るか、宿らないかというのは、自分たちが決められることじゃない。この世の中を見ていくやり方としては、どうやらこういうほうが当たっているらしいですよ。

宮崎駿

頭の悪い人は、頭のいい人が考えて、はじめからだめにきまっているような試みを、一生懸命につづけている。やっと、それがだめとわかるころには、しかしたいてい何かしらだめでない他のものの糸口を取り上げている。そうしてそれは、そのはじめからだめな試みをあえてしなかった人には決して手に触れる機会のないような糸口である場合も少なくない。自然は書卓の前で手をつかねて空中に絵を描いている人からは逃げ出して、自然のまん中へ赤裸で飛び込んで来る人にのみその神秘の扉を開いて見せるからである。

寺田寅彦

われわれの畏怖というものの、最も原始的な形はどんなものだったろうか。何がいかなる経路を通って、複雑なる人間の誤りや戯れと結合することになったでしょうか。幸か不幸か隣りの大国から、久しきにわたってさまざまの文化を借りておりましたけれども、それだけではまだ日本の天狗や川童、又は幽霊などというものの本質を、解説することはできぬように思います。国が自ら識る能力を具える日を、気永く待っているより他はないようであります。

柳田國男


⑤インターヒーリング (効果中程度)

類似するが異なるスキル/テーマに関するトピックについて、交互に学習して関連づけること。

関連するテーマを交互に勉強すると記憶の定着が良い。たぶん、言語主体の学習行為だけではなく、身体運動などの動作記憶、手続き記憶でも応用できるのではないかと。あんまり意識的ではありませんでしたが、これもなんとなく経験があるところです。

インターヒーリングは、特に研究者やクリエイターの場合、アイデアの源泉になったり、課題解決のヒントになったりすると思います。インターヒーリング的な部門横断的活動を、意識的に習慣化している方も多いのではないかと。

また、何が関連して、何が無関係かという基準は、認識にかなりの個人差があり、状況によっても変わると思います。無関係だと思っていたテーマ間に、斬新な関連づけを見つけることができれば、学習効果の向上のみならず、創造性にも寄与するのではないか。歴史的偉人の多くが、複数の専門領域で功績を持つのは、必然性があるのではないかと思っています。

インターヒーリングとは少しベクトルが異なるかもしれませんが、アイデア創出のノウハウについて、岡田斗司夫先生が解説しています。物語の "構造" を自身の創作物の構想と相互に関連づけています。クリエイターの発想ですが、学問や自然科学研究にも通じる部分があると思います。

自然科学においても、物理法則や先行研究に基づいて "世界の構造" に思いを馳せることは重要と思います。福井先生は『学問の創造』の中で、学問の創造的プロセスにおいて、『学ぶこと』と『思うこと』の重要性を指摘しています。さらに、自然との直接的な触れ合いの重要性についても言及しています。何が関連しているか、何がブレークスルーになるか、そう簡単には分からない。これが学問の面白さであり、研究の醍醐味だと思います。

学問には、学ぶことと思うこととが、あたかも鳥の両翼のように、ともに備わっていなければならない。

独創性は、学ぶこと、すなわち情報の収集と蓄積を土台にした「思うこと」の中から生まれてくるはずのものである。思うこととは、論理的思考と、テーマや前提やモデルや思考方法を理性によらず直観的に選択する能力を意味している。

理性によらない選択、科学的価値を高めるには、自然と直接触れ合い、そのあるがままの姿を受け取ること、すなわち所与性の自然認識によるのが有効である、と私は信じている。

福井謙一

上記のような学習アプローチの他、記憶術、身体管理、モチベーション維持など、勉強に関連する複数テーマを本書では扱っています。睡眠や運動の重要性にも言及されています。詳細については本書をお読みください(他には、栄養学の観点などが個人的に興味のあるところ)。

運動については、創薬をやっている人間からしても、万能薬みたいに見えることが多々あります。総説もたくさん出ていますが、一般書としては以下の本がオススメです。

人間の体が進化論的に運動することを前提に作られていることがよく分かると思います。「健全な精神は健全な肉体に宿る」という話は本当なのです。そして、産業革命以降、テクノロジーの進化が速すぎて、生物の進化が追いついておらず、それが様々な現代病に関連している。今後、第四次産業革命が進行することで「肉体との乖離とその反動」がイシュー化、大きな社会的需要が生じるかもしれません。

本書で度々引用されているダンロスキーらの論文は下記の通りです。時間のある時にまた読んでみようと思います。

2013
Improving Students' Learning With Effective Learning Techniques: Promising Directions From Cognitive and Educational Psychology

最近では、下記のような総説も出ています。アクティブリコールと分散学習の効果は明確だと思いますが、学習者にはあまり採用されていないのが現状のようです。

2022
The science of effective learning with spacing and retrieval practice

あと、ちょっと思ったのは、研究者の生活環境というのは、上記の学習理論に整合的な形で、合理的に構築されているという点です。連続的再学習をやりやすいような仕掛けが、職業文化としてすでに準備されているわけですね。

我々研究者はほとんど毎日、新着論文や総説を読んでいて、定期的に勉強会等で、内容をまとめて発表もします。社内でPJ進捗を発表する機会も定期的にあり、ディスカッションも日常茶飯事。一定の研究成果が出れば、研究成果を学会発表したり、論文を書いたり、特許を書いたりする機会もあるわけです(企業、大学、分野によって異なりますが)。大学の先生は研究だけではなくさらに、教科書や資料を使いつつ、特定分野の専門知識を学生に講義します。

上記プロセスはよくよく考えれば、アクティブリコール、分散学習、精緻的質問、自己質問をビルドインした体系なわけで、半強制的にでも勉強するようなプロセスが組まれています。ちょっと毛色の違う学会、セミナー、交流会に出かければ、刺激的なインターヒーリングの機会も簡単に作れます。

要するに、研究者や学者の生活環境というのは、ちょっと工夫するだけで、"最高の勉強法" を実践できる体制にすでになっているわけです。先人の知恵の賜物なのか、合理的な制度設計の結果なのかはよく分かりませんが、「ほんとよくできてるなぁ」と感心するわけです。文化というのは、素晴らしいものです。

さて、老子の言葉に『授人以魚 不如授人以漁』というのがあります。要するに、魚を与えるのではなく、釣り方を教えるべきだという考え方です。

勉強に関して言えば、魚は知識や情報、釣り方は勉強法に相当すると思います。義務教育で本当に教えるべき、提供すべきなのは、最新の脳科学的知見に基づいた効果的な勉強法、それに基づく成功体験ではないかと思います。勉強はこうやれば、独力でも何とかなるという経験。これは、自信や自己実現につながると思います。人それぞれ、効果的な方法が身についていれば、自分の力で漕ぎ出すことが可能なわけです。

両親の経済力が子供の学歴(学力)に関連する。これは、よく言われている話です。家庭の経済的裕福さ(+周辺環境)が教育格差に寄与するわけです。

保護者に対する調査の結果を活用した家庭の社会経済的背景(SES)と学力との関係に関する調査研究 (2023, 文部科学省)
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/1416304_00008.html

資金力の多寡は一朝一夕ではどうにもならんかもしれませんが、効果的な学習方法の知識については、万人に共有されるべきだと思います。何しろこの知識は、学校のペーパーテストだけでなく、「自分が身につけたいと思う、あらゆる知識労働スキルの習得」に応用できるからです。

かつてドラッカーが予見したように、現代社会は知識社会としての性質が強く出ていると思っています。ドラッカーの言う知識とは「成果を生むための高度に専門化された知識」のことを指しますが、職業上の成果や価値創造がセットになっています。ここでは、知識の有無が格差に直結するのです。ということで、知識社会に適応する上で「新しい知識をいかに効果的に学習するか」というスキルは鍵になるはずです。

21世紀に重要視される唯一のスキルは、 新しいものを学ぶスキルである。 それ以外はすべて時間と共にすたれてゆく。

ピーター・ドラッカー

また、機械学習などのAI技術は、「知識社会における格差を拡大するリスク」を持っているだろうと自分は考えています。非人間的な社会問題が生じる可能性は高いのではないかと。AIがパワードスーツとして機能し、AIとの親和性が格差を生むプロセスについては、下記のようなペーパーが出ています。

「AI が仕事を奪う」のではなく、「AI を所有する者が仕事を奪う」という指摘は重要かと思います。結局のところ、技術に善悪はなく、それを使う人間次第なんだと思います。最近では、AIと人の協奏的知性の重要性もよく語られるようになりました。

以下は、アメリカの Russell Ackoff によって提唱されたDIKWモデルというものです。情報工学の分野で用いられる、知識の階層構造を表すフレームワークです。

出典: SECIモデル・DIKWモデルとは?ナレッジマネジメントのフレームワークを解説!

AIやビックデータを駆使した情報処理技術が急速に発展する現在、我々人間はどうすればそれら技術と差別化し、ヒトとしての自己実現を果たせるのか。やはり、特定の専門知識 (Knowledge) を習得し、知恵 (Wisdom) に昇華させ、具体的な成果をあげ、社会に貢献する経験を積む必要があると思います。

情報やデータを自身の知識に統合するためには、基礎知識や専門スキルの習得が不可欠であり、ここでも "勉強" の論点が出てきます。勉強法というテーマは、知識社会の特性やAI/IT技術の発展という文脈から見ると、必要性と深刻度が大きく変わると考えています。DIKWモデルを見ながら、勉強について考えるのも面白いかもしれません。

脳科学に基づく勉強法というと、池谷裕二先生の本が有名だったと思います。今回取り上げた『科学的根拠に基づく最高の勉強』も非常に素晴らしい内容で、試行錯誤と実績に裏打ちされた、安川先生にしか書けない本ではないかと思いました。

脳科学に基づく学校教育、個性を尊重したモチベーション理論の運用が進むことを願っています。そして、家庭の経済事情に関係なく、天才少年・天才少女が次々に登場し、各々の強みや個性を最大限に生かすことで、社会が盛り上がっていくと良いですね。今の若手~中堅世代としましては、思想の大混乱によって生じた「失われた30年」のリベンジをしなくてはなりませんし。

個人的に、勉強については「分子生物学的に理解したい」と思っています。経験的に良いとされている勉強法が、脳内のどのような分子メカニズムを誘起し、神経細胞ネットワークを変化させるのか知りたいのです。その辺の研究についても、追々調べてみたいと思います。


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