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ヨルシカ_盗作_感想レビュー

俺は泥棒である。
往古来今、多様な泥棒が居るが、俺は奴等とは少し違う。
金を盗む訳では無い。
骨董品宝石その他価値ある美術の類にも、とんと興味が無い。
俺は、音を盗む泥棒である。
ラジオから流れるジャズナンバー。
駅前のロータリーに響く歌声、公共施設の小ホールから漏れ出すピアノソナタ。
俺はそれを盗む。
この古びたレコーダーで録音して盗む。
口ずさんで盗む。譜面に書き起こして盗む。
昔から、美しいメロディには目が無かった。

エルマとエイミーの物語から一年…。と多くのインタビュー記事の冒頭にはこう書かれていた。しかし、私にとってこの一年はあっという間だった。2rdアルバム『エルマ』が出てからは2作の聖地であるスウェーデンの旅行計画を立ててみたり、ライブ「月光」を見に新木場まで出向いたり。日常の中にヨルシカはずっとあったような感覚だ。月を見れば思い出す。夕日を見れば思い出す。青空を見れば思い出す。私にとってヨルシカはもうそんな存在なのである。

さて、今回は先月末にリリースされた3rdアルバム『盗作』について自己満にもほどがあるような感想レビューを書きたいと思う。1曲ずつ感想を述べたいのでヨルシカが好きな人とくそみたいに長い文章を読む体力がある人だけ読んでほしい。

前回の2作は2人の男女のストーリーが全面に押し出されていたが、今回は、非常にコンセプチュアルな作品だ。冒頭の引用から分かるように音楽を盗む男の物語。その破滅を描いている。初回限定盤には、n-buna書き下ろしの小説「盗作」が付属している。私はこれを読んでまさに音楽、人生の真理だと思わざるを得なかった。過去作品を圧倒的に凌ぐ奥深いコンセプトと作品の中で表現される世界観。このテーマに関して刺さらないアーティストが果たしているのだろうか。

また、このテーマを完璧に表現し切ったsuis。過去作品とは声のテイストを変え、また曲ごとに声質を変え、そのコントロールに一曲ずついちいち圧倒された。彼女の歌声に関しては、この後曲ごとに話していきたいと思う。

それでは、曲ごとに少しずつ感想を述べさせてただきたい。これから後の文章は私の好きが溢れすぎて語彙力の低下、拙い文章が見受けられる場合があるのでお許しを。

1.音楽泥棒の自白

一曲目のinstではヴェートーベンの『月光』が引用されている。これは、盗作家の男が自白しているシーンの情景。様々な音がコラージュ的に仕込まれていて最後は月光に終着する。この音源は、このアルバムが発表された時の動画で使われており、何やらえげつないもんが来るぞ、、、そう予感せざるを得なかったのを思い出す。途中ガラスの割れる音が印象的である。小説を読んでから聞くとさらに興奮。

2.昼鳶

____ただ何もないから僕は欲しい。この渇きを言い訳にさ。

ひるとんび。空き巣の隠語。小説では、男の空き巣をして生計を立てている時代が描かれている。特徴的なのはやはりアコギスラップ。前奏から気持ちよすぎる。一部ではこれもどこかから引用されたもの、またはオマージュと言われているが、有名なスラップ奏法の一つであるため、言及は必要ないだろう。そこの判断を委ねるのが彼のやり方でもある。また、この曲はボーカルsuisの表現力が凄まじい。これまでに無かった低音ボイス。その響きが最高だ。まさに小説の中の男を見事に演じている。その男性的にも聞こえる少しゾッとするような呟き感。これは思想犯にもあらわれている。あと舌打ちめっちゃいい。さらにキタニタツヤのベースもn-bunaのアコギスラップの裏で色濃く感じる。


3.春ひさぎ

____陽炎や 今日などいつか忘れてしまうのでしょう?苦しいの

今年6月に公開された曲。Youtubeに投稿されたMVにはこう書かれている。

春をひさぐ、は売春の隠語である。それは、ここでは「商売としての音楽」のメタファーとして機能する。
悲しいことだと思わないか。現実の売春よりもっと馬鹿らしい。俺たちは生活の為にプライドを削り、大衆に寄せてテーマを選び、ポップなメロディを模索する。綺麗に言語化されたわかりやすい作品を作る。音楽という形にアウトプットした自分自身を、こうして君たちに安売りしている。
俺はそれを春ひさぎと呼ぶ。

商売として音楽をやっている意識を皮肉るような作品である。ラジオの中で彼がこの楽曲は他の花に亡霊や思想犯に比べて伸びていない。それが気持ちいい。そう言っていた。メロディ自体はジャズの世界から引用した定番のコード進行でありながらテーマや歌詞にオリジナリティがしっかりとある。大衆に寄せず、分かりやすくもない。何も封じ込まない音楽のあり方を見せられたような気がした。サビの「言勿れ」で語尾が裏返る感じが最強。真似できない。


4.爆弾魔

____今しかない、いなくなれ。

この曲は、2nd mini アルバム『負け犬にアンコールはいらない』に収録された曲。一つ一つのアルバムにコンセプトがきっちりあり、それに当てはまらないものは原則アルバムに入ることはないが、そこに異例の参入。これは発売前からファンの間での興奮剤となっていた。今回のアルバムに組み込んだのは、彼自身が爆弾魔から今回のコンセプトの着想を得ているからだと言う。当時から既に犯罪をテーマにした作品を作るというアイデアはあったようだ。確かに、破壊衝動という点においてストーリー的にも違和感なくすんなり入ってきた。再録されているため、ファンはもちろん聴き比べをしただろう。前作では裏声で歌っていたところが地声になっていたり、n-bunaのコーラスが入ったり、アレンジされたギターソロがあったり、今回の作品にぴったりの爆弾魔に生まれ変わっていた。今回のアルバムはn-bunaのコーラスが多く入っているが彼の声は貴重(笑)のため、ついそこに注目して聞いてしまう。とても優しい声で素敵なので積極的にこれからもどうぞという感じ。はい。


5.青年期、空き巣

二曲目のinst。これにはグリーグの『朝』が引用されている。こちらも「音楽泥棒の自白」と同様コラージュ的な作り方がされているが、より音で遊んでいるような若々しい感じがする。聞き馴染みのあるメロディと朝が来たことを告げる鳥の鳴き声がとても心地よい。ここにも同様、ガラスの割れる音が入っている。また、場面の転換という位置付け。ここまでは重めの曲が続いてたがここから軽快になる。


6.レプリカント

____神様だって作品なんだから 僕ら皆レプリカだ

レプリカントという言葉は映画の『ブレードランナー』、その原作の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』に出てくる造語。(今度見てみようと思います。)

歌詞の雰囲気が前作『エルマ』の神様のダンスに近いように感じた。

レプリカントは今回のアルバムで一番好きな曲である。初めてCDでフル音源を聴いた時は思わず泣いてしまった。ヨルシカらしい少し哲学的な歌詞が本当に美しい。彼の紡ぐ言葉はどれも美しい。Twitterやらなんやら至る所で言ってるが本当に彼の言葉になりたい。なれたらどれほど気持ちの良いことだろうと。言葉になるなんて自分でも意味は分からないが、どうしてもそう感じて止まないのだ。

心と言葉以外は偽物だと。ほんとにこの世はそうなんじゃないかって。ある曲は既に世に出された音楽のフレーズが意図せずとも必ず使われてるし、十二音の音階の中でパターン化されて出尽くしてる。ラブストーリーの最終話の舞台が必ず空港なのも最初にそうした作品を模倣したと言ってしまえば終いだ。

全部偽物。ネガティブに聞こえるけどそれはそれで綺麗だと。その中でも心動かされるものに人は必ず出会うし地球ができてから変わらずそこには空がある。それが自分の人生の全てだしこの世の全てだからもう充分だって。初めてこの曲を聴いた時はなにか自分の中にあった檻を解放してくれたようなそんな心地よい気持ちになれた。ただただその気持ちよさで涙が出るんだと自分でも驚いた。この曲に支えられて私は今後生きていくんだろうと思うほどに。


7.花人局

____忘れてしまう前に花描け

はたもたせ。これは美人局(つつもたせ)からの造語。美人局とは、辞書では〈男が妻や情婦にほかの男を誘惑させ,それを種に相手の男から金品をゆすりとること〉と書かれている。つまり朝起きたら隣に誰かがいてお金をとられる。花人局の場合は、逆に誰もいない。誰かがいた痕跡だけが残っている。花だけもたせて消える人というイメージである。小説の中の男にとっての妻を描いた曲である。

曲の中では最初誰が隣にいたか分からない。でも最後には本当は分かってるんだ。となる歌詞の流れは「言って。」と似ている。また、ラスサビ前「明日にはきっと戻ってくる〜」と空想を始めるあたりから思い出すのは「ノーチラス」である。「丘の前には君がいて〜」のあたりと空想の仕方が似ている。同じ匂いを感じてつい思い出してしまう。あと、そもそも「エイミー」とサビのコード進行が同じである。
あとは雰囲気的にコレサワのたばこも思い出した。この曲はアルバムの中でも花に亡霊などと並んで大衆的人気を得るだろう。

花に亡霊についてn-buna自身が話していたことだが、花をのこして消える女というのは川端康成の『化粧の天使たち』の有名な一節で「別れる男に、花の名の一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。」という言葉が花に亡霊だけでなく花人局のテーマの着想にもなっているように思う。
つまり、別れた男は毎年その女のことを思い出すことになる。別れたことを後悔いさせてやりたいという女の欲。これはこの世で一番美しい呪いだとも言われている。(私もそうしよう。?)


8.朱夏期、音楽泥棒

三曲目のinst。これにはサティの『ジムノペディ』が引用されている。「朱夏期」は、「青春期」からの造語。「朱夏」というのは壮年時代を表す言葉で、もうこの頃になると若い頃のように手当たり次第のコラージュはしない。シンプルに綺麗でジムノペディが聞こえてくると夕焼けが浮かんでどこか懐かしさを感じる。冒頭の方に男の咳が入る。まさに小説の男が壮年だということを表しているのだろう。ただ、メロディの切なさと相まって思い出されるのは尾崎放哉の『咳をしても一人』という句。妻を亡くした男の孤独が感じとれる。


9.盗作

____何もかも失った後にみえる夜は本当に綺麗だろうから

このアルバムの表題曲でありアルバムの全体を表した曲。盗作男が満たされないから作品を作る、何か足りないから曲を書く、破滅したいと思っている。このアルバムをこの曲が全て表している。

それはメロディかもしれない。装飾音かもしれない。詩かもしれない。コード、リズムトラック、楽器の編成や音の嗜好なのかもしれない。また、何も盗んでいないのかもしれない。この音楽達からそれを見つけるのもいい。糾弾することも許される。
客観的な事実だけなら、現代の音楽作品は一つ残らず全てが盗作だ。意図的か非意図的かなど心持ちでしかない。メロディのパターンもコード進行も、とうの昔に出尽くしている。
それでも、作品の価値は他者からの評価に依存しない。盗んだ、盗んでないなどはただの情報でしかない。本当の価値はそこにない。ただ一聴して、一見して美しいと思った感覚だけが、君の人生にとっての、その作品の価値を決める。
「盗作品」が作品足り得ないなど、誰が決めたのだろう。
俺は泥棒である。

これはYoutubeに投稿されたMVの文章から抜粋したもの。

共感の嵐。本当にそうだ。今世間では芸能人の不倫騒動が後を絶たないが、正直本当にどうでもいい。その俳優が不倫してるからって演技は素晴らしいままだし、ドラマや映画は一つの作品として他と同じように評価されるべきだ。それで放送が中止などになってしまった時には作品に失礼だと怒りを覚えるほどだ。またアーティストが不倫してたからあのバンドは嫌いになった?意味がわからない。作品に罪はない。作った人がどんな人かなんてほんとはどうでもいいはずなんだ。


10.思想犯

____君の言葉が呑みたい 入れ物もない両手で受けて

この曲は、MVが非常に興味深いのでぜひ見て欲しい。

言うまでもなく、驚かされるのは動画のアスペクト比である。物理的に見える範囲を狭めることで逆に表現と想像の幅を広げる行為。これを現代に、Youtubeに投稿するということはまさに資格に頼る私たちへの皮肉に取れないこともない。

思想犯というテーマは、ジョージ・オーウェルの小説「1984」からの盗用である。そして盗用であると公言したこの瞬間、盗用はオマージュに姿を変える。盗用とオマージュの境界線は曖昧に在るようで、実は何処にも存在しない。逆もまた然りである。オマージュは全て盗用になり得る危うさを持つ。
この楽曲の詩は尾崎放哉の俳句と、その晩年をオマージュしている。
それは、きっと盗用とも言える。

これはその動画の概要欄からの抜粋。

盗用とオマージュの関係性の定義がなされている。「1984」を読んだことがないため一体どこがどう盗用されているのかを語ることはできない。(絶対今度読みます。)ラスサビ前の歌詞を最初に引用しているが、ここでは放哉の『入れものがない両手で受ける』という句を”オマージュ”している。人からの施しを受ける際になんの器も持っておらず両手でそれを受け取ったという放哉。また、放哉の本当の意味で最後に読んだ句は『春の山のうしろから煙が出だした』であった。これは二番のサビを参照して欲しい。

この曲は聞いても歌っても気持ちが良い。最初の無感情とも感じられる低音からサビでは存分に感情のこもった裏声を使う。昼鳶と同じくsuisの表現の幅が大いに生かされている。


11.逃亡

____思い出の中の風景はつまらぬほど綺麗で

ジャズチックな曲調に少し掠れたsuisの裏声がよく似合う。跳ねるようなピアノも非常に心地が良い。また、初めてn-bunaのオク下が重なる。これによってsuisの裏声を軽く感じさせない。これは当初予定になかったそうだが、抜群の効果があったように思う。

小説の中の男の思い出の話。盗作という制作スタイルからの逃避、妻がいないという現実からの脱獄。男が積極的に盗作する時代はいつの間にか終わりを迎えることとなる。


12.幼年期、思い出の中

四曲目、アルバム最後のinst。三曲目まではクラシック音楽がそれぞれ引用されていたが、もうここではついになくなった。寂しいような心地よいようなピアノのメロディがただあるだけ。男に残されたものを表してるようにも思う。n-bunaは、「原っぱに寝っ転がりながら夕暮れを待っているという情景をイメージした。」とインタビューで話している。


13.夜行

____空も言葉で出来てるんだ

この曲は、アニメーション映画『泣きたい私は猫をかぶる』の挿入歌として起用されている。盗作というコンセプトを曲げないまま、映画の中での雰囲気にも抜群に効果を発揮していた。映画をまだ見ていない方は是非Netflixへ。

初夏の薄雲、浅い夏の香りを漂わせるアコースティックギターの音色にsuisの優しい声がよくフィットしている。また、今回のアルバムで私が一番好きなn-bunaのハモりでもあり、ついサビではそっちを口ずさんでしまう。
夜行は夜にだんだん近づくイメージだが、歌詞にもあるように大人になるという意味や夏の終わり、死に向かうなどの意味も感じられる。夜は大きな含みを持つ。


14.花に亡霊

____夏の匂いがする

最後の曲。こちらは、前曲同様『泣きたい私は猫をかぶる』の主題歌となっている。n-bunaはこの曲に関して「ただ綺麗な曲を書きたかった。」と言っている。綺麗な音と、綺麗な言葉と、綺麗な情景だけを使って構成した、深い意味のないただ美しい曲だ。「ただ綺麗なだけの夕日に人が感動するように、そういう綺麗な曲を」と言うn-bunaの言葉がとても印象に残っている。

作品の中では、唯一盗作男が盗作せずに作った曲とファンの間では解釈されている。”花に亡霊を見る”男にとって亡霊とは亡くなった妻、またその思い出のこと。花人局でも触れた川端康成の『化粧の天使たち』がここでもテーマとなっている。

情景描写が非常に上手いと思う。2番のAメロは特に目の前に映像が浮かぶ。この曲に限らないが、小説の冒頭で書かれるようなその舞台を描くことを彼は必ずやっている。だから文学的であり、詩的だというような評価があがるのだろう。



夏の匂いはもう薄れてきた。8月ももう終わる。アルバム発売から1ヶ月がすでに経っていた。私は今でもヨルシカ以外の曲を聴く余裕がないほど聴いている。今日から1ヶ月遅れの夏休みが始まった。きっと私は、これから始まる自分の夏に彼らと同じ匂いを探るだろう。終わる夏にはじまりを求めて。

(ここまで読んでくれた方がいるなら土下座して礼を言いたい。自己満な長々とただ愛を語るレビューに付き合ってくれてありがとう。)

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