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オロチ退治でスサノオは、クシナダ姫に変身していた。
日本書紀や古事記などの通例の解釈には、誤解、誤読が見受けられる場合がよくあります。ここでは、その一つの事例を紹介します。
有名なオロチ退治の説話も、実はよく考えれば奇妙な点がある。スサノオはクシナダ姫を櫛に変えて髪にさしてオロチに臨む。やってきたオロチは捧げられた酒を飲みほして酔いつぶれる。そこをスサノオが斬りつける。
めでたしめでたしのお話のようであるが、ここに異論を唱える研究者は、江戸時代からあったようだ。注1)
これは山口博氏の指摘だが(『創られたスサノオ神話』)、その場にめざす人身御供の娘の姿がなく、かわりに髭面で剣を持つ男が控えていれば、オロチは怒り、酒も飲まずに暴れるのではないか、とされるのはもっともな指摘であろう。
そこで日本書紀の本文の該当箇所を見直したい。まずは原文。
素戔嗚尊、立化奇稻田姬、爲湯津爪櫛、而插於御髻
次に岩波文庫版の書き下し
スサノオノミコト、立ら奇稻田姬を、湯津爪櫛に化為して御髻に挿したまふ。
そして指摘され、改められた解釈。
スサノオは立らクシナダ姫に化して、湯津爪櫛を爲りて御髻に挿したまふ。
以上のように、化は姫に、為は櫛に対応すると見るほうが自然である。通常の解釈の「化」と「為」をくっつけて「化為」という熟語にするのは無理がある。するとスサノオは自らを姫に姿を変える、つまり女装したのであり、クシナダ姫を櫛に変えるというのが奇妙な解釈であったことになる。
岩波や小学館は、原文を掲載しているが、この該当箇所では、返り点が本文の読み下しとは違っているのである。(記事トップの原文参照)
この原文の返り点に従えば、スサノオは、姫に変身(女装)して、櫛をつくって、みずらに挿した、と読めるのである。
次に古事記の場合を見ると、その該当箇所の文面は微妙だ。
爾速須佐之男命、乃於湯津爪櫛取成其童女而、刺御美豆良
すなわち、ゆつ爪櫛にそのオトメを取り成して、御みづらに刺して とされている。確かにそのように読める。ここに「取成」があるが、日本書紀には登場しない熟語である。古事記ではあと一カ所、タケミカヅチとタケミナカタの対決の所で2回使われる。
卽取成立氷、亦取成劒刄
タケミナカタがタケミカヅチの手を取ると、その手が、つららに変化し、また剣に変化したというのである。取るという漢字にまどわされるが、「取成」は変化、変身するという意味である。
しかし、日本書紀と同じように、姫を櫛に変身させるというのも奇妙な話であり、この古事記の箇所も、「於」を「…を」とすれば、スサノオは、櫛を、オトメに変身(女装)して、みずらに挿した、と読めるのではなかろうか。古事記の場合は、誤字脱字など後の誤写の可能性もあるが、日本書紀では、後の誤読による解釈が広まったと言える。
女装して敵をあざむくという手法は、ヤマトタケルも敵地の宴会に忍び込む際にも使われています。
こういうわけで、スサノオの女装である人身御供の姫を前にして、ヤマタノオロチは、何の疑いもなく気分よく出された酒を飲み干して眠ってしまうのである。
山口博氏は、ここで江戸時代の川柳を紹介されている。
『神代にもだますは酒と女なり』
注1.江戸時代伊勢外宮権禰宜の渡会延佳、江戸国学者白井宗因、高崎正秀(続草薙剣考)
参考文献
山口博「創られたスサノオ神話」中公叢書 2012
#日本書紀 #古事記 #スサノオ #ヤマタノオロチ