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【浄土真宗の言葉】煩悩と罪悪

さて、前回までは信疑決判について見てきました。
 
今回からは、私たちが抱える「煩悩と罪悪」についての言葉をご紹介していきます。
 
なぜ煩悩や罪悪がポイントになるかというと、これらは仏願が建てられた理由だからです。
 
もしも私たちが清浄な存在だったら、つまり自分の力で悟りや解脱を得られたならば、法蔵菩薩が仏願を建てる必要はなかったでしょう。
 
ですが悲しいことに、私たちは煩悩まみれであり、日々の生活において怒り・憎しみの心を起こし、殺生などの罪を作らずにおれないのではないでしょうか。
 
そんな六道輪廻を抜けられない者のために、仏願が建てられ、南無阿弥陀仏が完成されたわけです。
 
つまり、煩悩と罪悪まみれで輪廻を抜けられない私たちこそが、仏願が建てられた理由=仏願の生起だということです。
 
法蔵菩薩のご苦労を聞かせていただくためにも、ただお聖教の言葉を読むだけでなく、実際の日常生活において自分がどのような煩悩罪悪を作っているのか、確認していただければと思います。
 
 
以下もご参照ください。
・Wikiarc 仏願の生起本末
http://labo.wikidharma.org/index.php/仏願の生起本末
 
 
南無阿弥陀仏

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