夢とこだわりは人生の浮き輪なんじゃなかろうかという話
夢
こだわり
ある側面では、どちらも非生産的な固執で、生きていく上では邪魔になるものと捉えられる。しかし本当にそうだろうか? 夢があるからこそ無情に押し寄せる「明日」に耐えることが出来るし、こだわりがあるからこそ自分を取り巻く情報の坩堝の中、溺れてしまわずに済むのではないだろうか。
僕は小説家という夢――――いわば呪いに冒されている。
小説を書く一助になればと言う思いで様々な場所に遊びに行き、そこで体感したこと、見聞きした他人の考え方を少しずつ蓄積してきた。大学生になってからはバイトもたくさんした。塾講師・居酒屋の厨房・大学教授の手伝い・電話営業。
様々な業界に学生のうちから触れることができ、就職した後の具体的な仕事内容も実際に体感することができた。
一つの仕事を経験する度に、これに人生を懸けることはできないと思った。定年までの40年間、この仕事を続けていくのは不可能だと思った。事務仕事も、厨房仕事も、教える仕事も、研究職も。40年もの歳月を、それだけの「時間の圧力」とでもいうべきものを、僕は感じることができなかった。
そうして手元に残るのは、いつも文章。何者でもない僕が、唯一なにかを形作ることができるモノで、人生を懸けて追求していくだけの意欲を持てた、ただひとつのモノ。
しかし、僕の文章は上手くない。特に構成がよろしくない。伝えたいテーマを決めて書いても、物語の構成が上手くそれを伝える形にならない。結局読者の目は字面を追いかけるだけで、なにも拾わずに去って行く。それでも、文章が書きたい。物語が書きたい。人生を懸けて、これを仕事にして生きたい。
これを呪いと呼ばずしてなんと呼ぶか。
あるとき、夢という呪いを抱えて生きていくのは、泥船に乗って太平洋を渡るような愚行だと考えた。形作るというただ一点の共通点に活路を見出した僕は、小説家ではなく、企画系の企業への就職を考えて企業研究を始めた。就活準備というものである。
結論から言えば、僕は夢を捨てられなかった。研究を進めていく内に、やることは変わらないと思ってしまったのだ。
何かを形にしたいクライアントがいて、それを具体的な形に変える僕がいて。最終的な形は違うけれど、関わる人の量が段違いではあるけれど。やること自体はそう変わらない。小説家の方が専門職として作品の形に対してより強力に紐付けられている、ただそれだけ。
それを僕は、やりがいと捉えてしまった。文章の構成は技術という道具を習熟すれば見られる程度には整えることができる。でも、僕の気持ちだけは、そういう道具じゃどうにもならない。実際、言い訳でも、諦めでも、どうにもならなかった。
そのことを友達に話したときに、僕の口からこんな言葉がもれた。
「夢って浮き輪みたいなものでさ、なくても泳いでいけるけど、万が一何かあったとき、それのおかげで沈まずに済む」
自分の中で、ストンと腑に落ちた。夢を目的地ではなく、万が一の時の浮き輪にすればいいんだと。
話の流れで、こだわりもそこに並ぶということになった。他人からしたらどうでもいい、ちっぽけな自分のこだわり。そんなこだわりも、何から手を付ければいいか分からないくらいに人生に迷ったとき、その状況を打開する一歩になり得るんじゃないかと。
生きてるだけでも余裕がない今、空想じみた夢や非効率なこだわりなど、真っ先に切り捨てられてしまうけれど、それがある故に救われることもあるかもしれない。
今一度、夢やこだわりを見つめ直してみるのも、現状の打開に役立つのではないだろうか。
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