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良好な人間関係を築くために

 人間関係がうまくいかないのは、たいてい他人への理解力が欠如しているからである。自分がこんなにしているのに、人間関係がうまくいかないと不満な人は、一度自分は自己中心的なのではないかと反省してみることである。

加藤諦三『「不安」の手放し方 感情的「思いこみ」を捨てる』三笠書房・知的生きかた文庫, 2012, p.151

  (特に10代、20代の方々が)恋愛をする際は次の6つを自身に問うてみても損はないかと思います。

・私は、実のところ、相手に関心があるのではなく、恋愛感情に酔い痴れているだけなのではないか。
・私は、「相手は私の欲を満たすための道具であり、その道具は私の欲を満たして当然である」という考えを無意識の領域で持ってはいないだろうか。
・私は、恋愛というものに対して、自分に都合の良い事ばかりを期待してはいないだろうか。
・私は、恋愛ものの歌や映画、ドラマで展開されるような甘く都合のよい展開を、現実に、相手に求めてしまってはいないか。
・私は、周囲の目を気にするあまり、あるいは社会的地位の確保として、その人と交際してはいないか。
・私は、相手を愛するのではなく、相手に愛されることだけを求めてしまってはいないか。

415|最高の人間関係とは、お互いに相手から求めるものよりも、相手に向けた愛のほうが大きいこと。
 与えあうのが最高の人間関係だとすれば、それに対して最低の人間関係は、神経症者の人間関係であろうか。
「ほとんどの神経症者は、愛されたいという過度な欲望の持ち主であるが、愛する気持ちはあまりない」とエリスは言っているが、そのとおりである。神経症的愛情要求を持つものは否定的人生観になる。なぜなら、「これだけのことをあの人は自分にしてくれた」と考えないで、あの人は自分に「このことをしてくれなかった」と考えるからである。
(中略)
 自分を助けてくれ、自分を称賛してくれ、自分を褒めてくれ、自分の利益になることをしてくれ、自分を守ってくれ、自分の名誉を増大してくれ、自分の評判を良くしてくれ、自分の人生の困難を取り除いてくれ、そう願っている。
 そのようなことを実現してくれそうな人に出会うと、相手を絶賛するだけである。相手を愛することはできない。

原作:H. ジャクソン・ブラウン, Jr. / 著・訳:加藤諦三『名言は人生を拓く 生き方上手になる「517の教え」』講談社, 1994, pp.252-253

 あなたの相手は、結局は他人です。しかし、その他人を交際相手として迎えたのはあなたです。「私が相手と付き合ったのは、相手が告白してきたから」と少しでも思うのであれば、その相手とはできるだけ早くお別れした方がよいでしょう。その受け身な態度は、都合の悪い事が自身に降り掛かった時には相手のせいにしようとするもとであり、トラブルのもとであります。相手に裏切られたとしても、その相手を交際相手として選び、迎え、信じたのはあなたです。

 厳しいことを述べていますし、私はそれを自覚しています。しかし、全ては己の力不足であったとしなければ相手を憎むことになります。憎悪の感情を持つということは、地獄の日々の始まりであります。

 もちろん、ここまで書いたことは恋愛に限ったことではなく、人間関係すべてに言えることです。この随筆では、理解しやすくするためにも、恋愛を持ち出し、人間関係を良好に築く難しさをなるべく簡潔に表現しようと試みたわけです。

 人望があり、確固たる自分を持っている人がいます。罵詈雑言を浴びても動じません。鈍感なのではありません。罵詈雑言ごときで心は動揺しないのです。生まれ持った性格の場合もあるのでしょう、しかし多くの場合そういう人というのは、若い時分に何度も人間関係に失敗し、時には誤解され、恨まれ、それでも挫けることなく、いつまでも人のせいにすることなく、己の力不足を確と自覚し、知識・知恵を得ていき、視野を広げていき、前を向いて行動し、そうして自信を得た人です。並大抵の精神力の持ち主ではありません。その人は多くの人が挫けてしまう場面で挫けなかったのです。勇気を持って自分に向き合ったのです。「自分を知る」ことから逃避しなかったのです。人のせいにしなかったのです。人のせいにすることがあっても、途中で己の力不足が原因であると気づいたのです。
 
 良好な人間関係を築くには、何よりもまず、自分自身を築くことです。

 アメリカの心理学者であるロロ・メイは、このように表現しています。”仲間に対する最大の使命は自分自身であること”。また、同じくアメリカの心理学者であるデヴィッド・シーベリーは、このような表現をしています。”自分自身でありえないなら、悪魔になった方がましだ”

 試行錯誤を繰り返すうちに、つまり悩み・もがき・苦しみながらも、それでも挫けることなく、現実から逃避することなく、自分に向き合い、自分を知り、そうして少しずつ歩みを進めるうちに、少しずつ、ですが着実に、基礎・土台がしっかりとした自分自身が築かれていきます。

 自分の人生に課された問題を一つ一つ解決していくことが「自分自身になること」である。

加藤諦三『ブレない心のつくり方』PHP文庫, 2023, pp.85-86

 自分自身が築かれてきたなら、次の言葉を頭(単なる知識)ではなく、感情で分かっていることでしょう。

■ 相手の生き方や生活の干渉をしない。聞かれもしないのに意見しない。自分の流儀を押しつけない。要するに、相手をコントロールしない、ということが他人とつき合う上で一番大切なことだ。(p.26)
■ ここでも重要なのは、相手をコントロールしようとしないことである。互いに自由であり、いつ別れても文句は言わないという黙契の上で、今日も会えた、というのが、どんな場合でも他人とつき合う醍醐味だいごみなのだ。(p.37)
■ 重要なのは他人の意見を当てにしたり、うのみにしたりしないことだ。相手がこう言ったからその通りにした、と思ってはいけない。そうすると、失敗した時に相手を恨むことになりかねない。あんな奴の言うことを聞かなければよかった、とグチのひとつもこぼしたくなるに違いない。どんな場合でも最終決定はあなたがしなければならない。他人を当てにしないとはそういうことだ。(p.82)

池田清彦『他人と深く関わらずに生きるには』新潮文庫, 2006, p.26, p.37, p.82

 さいごに、誤解のないよう記しておきますが、「自分自身である」ということは、ワガママでいいとか、怠惰でいいとか、欲望のままに生きていいとか、そういうことでは決してありません。「自分自身である」ということは、自分を確立するということです。自己確立です。そのためにはやはり、自分に向き合い、自分を知ること、先ほど『ブレない心のつくり方』から引用した言葉のように「自分の人生に課された問題を一つ一つ解決していくこと」が不可欠です。自分に向き合い、自分を知るとは、その過程で必ずと言っていいでしょう、自分の中にある依存心、甘え、劣等感、ずるさ、ナルシシズムといったものに直面するわけです。それらを直視して認めるのは怖く、またそれらを解消・解決していくには勇気・気力が要ることです。だからこそ、多くの人は自分に向き合えないわけです。「自分自身である」を言い換えた「ありのままの自分になる」という言葉が、ある大ヒットソングをきっかけに出まわるようになっていますが、きっとこの「ありのままの自分になる」という言葉の本質を理解している人は少ないでしょう。「ありのままの自分になる」、これも自分を確立するということです。自己確立です。「自分の人生に課された問題を一つ一つ解決していくこと」によってはじめて「ありのままの自分」になっていくわけです。よって、誰にでもできることでは実はないのです。人生に掛かる様々な問題、心理的な課題・葛藤、過去の解消・解決できていない大きなしこりとしてある感情、こういったものに向き合わずに逃避していて「ありのままの自分になる」ことは決してできないのです。しかし、「自分自身である」「ありのままの自分になる」ことができれば、つまり自己確立ができれば、それがいては人のためとなり、良好な人間関係を築くことになるのです。