統合失調感情障害でもDJになれる、DJ Ryuta
こんばんは。統合失調感情障害のリュウタです。今回は統合失調感情障害の僕がどうやってDJになったかのお話です。
4回の挫折を経てJ-POP DJとなる
僕は16歳からクラブに通っています。19歳からDJを始めました。でも、クラブでプレイしたのは2回だけです。
21歳のとき、六本木のエイベックスが運営する大型クラブvelfarreでクラブミュージックの真の洗礼を受けます。世界一流DJのプレイに実力の差をひしひしと感じDJを辞めました。1回目の挫折です。
27歳で統合失調症を発症し、5年間引きこもりの辛い時期を過ごします。
35歳で、東証一部のIT企業に就職し、その後DJを再開したものの、すぐに諦めてしまいました。2回目の挫折です。
38歳で起業しました。クラブ業界の起業だったため、DJを再開しました。しかし3ヶ月後に多額の借金を抱えてビジネスに失敗して、DJを辞めました。3回目の挫折です。
交通事故でヘルニアになり、仕事を失い、生活保護になりました。アパート暮らしの始まりです。先輩のDJを手伝い始めました。連日のクラブでの仕事に生活が乱れて、薬を飲み忘れることが多くなりました。統合失調感情障害が再発して、緊急措置入院となり、DJも諦めざるを得ませんでした。4回目の挫折です。
退院後は陰性症状と呼ばれる無気力、無感動の症状に苦しみ、あれだけ好きだった音楽が良く聞こえません。DJができなくなり、DJになる夢自体を諦めなくてはならなくなりました。
就労移行支援という障害者の就職をサポートする施設に通いサラリーマンになろうと思いました。
1年後に就職したものの、陰性症状がひどかったため、毎日、漠然とした不安と死にたいと思うようになり、仕事を辞めました。やっぱりDJがやりたかったのだと思います。
それから1年後に同じ統合失調症の陰性症状に苦しむ方と出会い、悩みを語り合ううちに陰性症状が治っていました。今では親友です。
初めはnoteにはまり、文筆業でも仕事にしようかと思っていたのですが、1ヶ月で書き尽くしてしまい、またDJがやりたくなりました。
それまではハウスミュージックというダンスミュージックのDJでしたが、日本人に馴染みのあるJ-POPのDJになることにしました。ハウスミュージックでは限界を感じていました。
プラス統合失調症の方向けのクラブパーティーにしました。統合失調症の方の社会参加を手伝いたかったからです。
6月10日に蒲田でDJをします。地道に統合失調症の方の楽しめるパーティーをやっていきたく思います。