思い出はずっとずっと
先日、映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネが亡くなった。この偉大なる作曲家の存在を知らない子供時代の頃から、マカロニウエスタンを始め多くの作品で楽しい時間と、それに付随する沢山の思い出を、映像と共に音楽で心に刻んでくれた。
映画館で映画を観る素晴らしさを、これを読んで頂いている方たちに語るのは既知の事柄で意味の無いことだと思うけれど、誰と行って何を語ったとか、観終わった後、映画館のドアを出る時の外の景色とか、まるでどこでもドアをくぐり抜けるようなタイムスリップした感覚や忘れられない情景は、やはり映画館に足を運ぶことでしか味わえない大切な要素だと思う。映画館は決して失ってはならないとても大切な場所。
モリコーネといえば最近ではやはり「ニュー・シネマ・パラダイス」。監督はジュゼッペ・トルナトーレ。この作品の私的に印象に残っている一番最初に思い出すシーンは、主人公が久しぶりに実家に戻り、自分の部屋のドアを開けた瞬間だ。母親が長年大切にとっておいた、我が息子が愛したであろう沢山の品々と共に、子を思う親の愛情が主人公に向かって洪水のように溢れ出すシーン。壁に大事に飾られた自転車の映像が目に飛び込んで来た時、ちょっと胸が熱くなった。
今の時代はそうでもないと思うけれど、少年にとって自転車はとても大切な相棒だ。少なくとも僕の周りではそうだった。何処にでも連れて行ってくれ、一緒に風を切って走ってくれる大切な友達。自転車好きが昂じて三台目はなんと自作してしまった。限られた予算の中で部品を吟味し通信販売などで取り寄せ、本当に一から組み立てたのだ。フレームのBBと呼ばれる、中央のギアを差し込むところの穴に新鮮で透明なグリスをたっぷりと手に取って流し込んだりしたのは今でもよく覚えている。この自転車に乗って友達数人と高一の夏休みに九州一周もした。やがてそんな自転車も熱中する対象の移り変わりに従って、だんだんと乗らなくなっていくのだけれど。
もう随分昔のことだが、物置が狭くなってきたのでお前が作ったあの自転車、処分していいか?と実家の父親が電話をくれたことがあった。嫌ならまだ取っておくけど、と。どうせ帰ってももう乗ることはないだろうし、二つ返事で承諾したのだが、今となっては部品の一つや二つ、手元に残しておけば良かったと少し後悔している。わざわざ断りの連絡をくれて、その時はピンとこなかったけれど、今頃になって父親の心遣いに感謝。
そんな一連の思い出を、この音楽を聴く度にワンセットで思い出す。楽しい出来事、悲しい出来事、映画音楽は常に映像と共に、それに纏わる沢山の思い出を見る者の心に深く刻み込む。音楽は偉大だ。
いつかまた、不意にこのメロディーを聴けばきっと思い出すだろう。エンニオ・モリコーネはもういないけれど、彼が産んだ素晴らしいメロディーはこれからも人々の心に永遠に生き続け、思い出はずっとずっと、新鮮なまま。
「ニュー・シネマ・パラダイス / オリジナル サウンドトラック」