木原龍太郎
音楽に纏わる身辺雑記。たわいもない出来事、昔話など。暇つぶしに読んでくだされば嬉しい。不定期更新。
前方左側、横断歩道を渡ろうとする親子。お母さんは自転車の傍らに立ち、ハンドルの内側にしつらえた小さな椅子に座る男の子と車の流れが途切れるのを待っている。片側一車線の少し広めの道路。僕はゆっくりと車を停車させる。お母さんは軽く会釈をし、男の子に顔を近づけ何やら語りかけながら歩き出した。 二歳くらいだろうか、お母さんが喋るのを聞きながら、男の子は僕の方を見つめている。少し遠くても親子の温かな空気と男の子が笑顔なのが分かる。横断歩道の中頃に差し掛かりお母さんは顔を上げた。男
中川勝彦君は俳優、ラジオパーソナリティー、ミュージシャンとして活躍した人物。わかりやすく言うとタレント中川翔子さんのお父さんだ。彼は32歳という若さでこの世を去った。翔子さんが僅か9歳の頃のこと。 最近また彼のことを思い出した。というのも不意につけたテレビで、翔子さんがかつて家の近所にあった、祖母、母親と三代に渡って通った喫茶店の忘れられない味にもう一度出会いたいという願いを叶える企画の番組を見たからだ。すでに引退されたお店のマスターを探し出すため、驚くような奇跡を数回
昔、子供の頃「いちご白書をもう一度」という歌がヒットした。バンバンというグループの曲で(作者はユーミン)僕はその哀愁のあるメロディーがとても好きだった。歌詞の内容から「いちご白書」というのはどうやら映画のタイトルであるということがわかり、その映画をいつか観ることが出来たらいいなと漠然と思っていた。ある日、中学生になった僕はふと入った本屋さんの棚に原作の文庫本を発見する。買って帰り早速読み始めるとなんとまあ難解なこと。 当時の中学生にとってルポルタージュのようなアメリカの
酒が無いと生きていけない。とまでは言わないが、お酒が好きでほぼ毎日飲んでいる。余程の事情、例えば体調がイマイチだとか、飲むタイミングが悪かったりだとかでない限り、適量をほぼ毎日。余程の事情というのは年に一、二度、有るか無いかなのでこの際「ほぼ」は不要かもしれない。でもけして依存症ではないのでご安心を。 ここ数年は日本酒を飲む割合が多くなった。というのも、それはあるテレビ番組の影響があるからだ。「太田和彦のふらり旅 新・居酒屋百選」。これを観ていると、この人と同じ酒が飲み
2020年は悲しいニュースが多い。疫病の流行、まさかこの人がと思われる人気有名人の自死、今年はきっとみんな等しく心が弱っている。 そのツクツクボウシはたった一匹で鳴いていた。夏がきっぱり別れを告げた秋の初めの昼下がり。他の蝉たちの声はとうに消え、虫かごを持った子供達もいない9月終わりの公園で。僕は気休めでも日頃の運動不足を解消にと、少し離れた駅に隣接する大型ショッピングセンターへ片道30分程度の道のりを歩いているところだった。 公園は高台にある住宅街の入り口の丘を削
noteが「#初めて買ったCD」というお題で作品を募集しているのを見かけて、そのお題に添った内容にならないかもしないけれど徒然なるままに思いを巡らせてみた。 初めて買ったレコード、初めて買ったCD、それらはすぐに答えることができる。でも初めてダウンロードした作品、サブスクリプションで初めて聴いた作品となるとまるで覚えちゃいない。そこの違いは一体どこにあるのだろうか。 誰にも強要されず、初めて主体的に選び、その作品に心を震わせ、他の誰にもわからない個人的な体験を得
先日、映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネが亡くなった。この偉大なる作曲家の存在を知らない子供時代の頃から、マカロニウエスタンを始め多くの作品で楽しい時間と、それに付随する沢山の思い出を、映像と共に音楽で心に刻んでくれた。 映画館で映画を観る素晴らしさを、これを読んで頂いている方たちに語るのは既知の事柄で意味の無いことだと思うけれど、誰と行って何を語ったとか、観終わった後、映画館のドアを出る時の外の景色とか、まるでどこでもドアをくぐり抜けるようなタイムスリップした感覚や忘れ
年齢を重ねるに従って記憶力は下がる。悲しいことだけれど、生きていく上であまり重要でないことは潔く忘れてしまった方が身のためかもしれない。何か用事の途中で、あれ、次は何をするんだったかなと一瞬の記憶喪失になってしまうのはご愛嬌として。 眠りの中で見る夢についても同様に記憶力は下がっていくのだろうか。物語の最後のとても印象的なシーンで眠りから醒め、すっかり忘れてしまった楽しかったそれまでのストーリーを、記憶の尻尾を掴んで引き摺り出したりするのは起き上がるまでにどうしてもやり終