中川勝彦君のこと
中川勝彦君は俳優、ラジオパーソナリティー、ミュージシャンとして活躍した人物。わかりやすく言うとタレント中川翔子さんのお父さんだ。彼は32歳という若さでこの世を去った。翔子さんが僅か9歳の頃のこと。
最近また彼のことを思い出した。というのも不意につけたテレビで、翔子さんがかつて家の近所にあった、祖母、母親と三代に渡って通った喫茶店の忘れられない味にもう一度出会いたいという願いを叶える企画の番組を見たからだ。すでに引退されたお店のマスターを探し出すため、驚くような奇跡を数回経て、やがてマスターに辿り着く。
悲しい時も嬉しい時も、思い出はその喫茶店とともにあったと言う彼女。マスターから、幼稚園の頃お父さんとお店に来て漫画を読んでいたね、と伝えられると本人も記憶から消えていたそのほのぼのとしたエピソードに、私はお父さんとの思い出が少ないからと感激。再現された忘れられない特製のトーストとレシピを頂き、自身が計画する喫茶店開店への決意を新たにしたのだった。
24歳くらいの頃、僕はかっちゃん(皆が呼ぶように僕も中川君をかっちゃんと呼んでいた)のバックでキーボードを弾いていた時期がある。メンバーは初期ルースターズの池畑さん、井上さん、ギターに元TENSAWの横内さんという布陣。それまで一度も会ったことのない彼のバックをどういう経緯でやることになったのか今ではまるで覚えていないが、そのお話が決まり、そろそろリハーサルが始まるという頃、彼はいきなり当時住んでいた僕の部屋をノックして、これからどうぞよろしくねと家族三人で挨拶をしに来てくれたことがある。その時のあの屈託のない笑顔と、幼い翔子ちゃんを抱っこした姿は今でも昨日のことのようにしっかりと記憶している。
つい最近までずっと年上だと思っていた彼は、今思えば仕事上初めて接する同年代の「東京の人」だった。聡明で、大人びていて、どこか雰囲気があり、初めてのバッキング仕事でぶっきらぼうな、ただの田舎者の僕にも達観した優しい眼差しを向けてくれているのだった。東京とそれ以外の都市でのライブ数本とテレビ収録でこの仕事を終了したあとは、残念ながら一度も会うことはなかったけれど、娘翔子さんが活躍することで、またいつでもかっちゃんのあの笑顔が蘇る。彼のことを知る誰もがきっとそうであるように。
いつか念願の喫茶店が開店されれば彼女のとびっきりのトーストと美味しいコーヒーをいただくことにしよう。そして会計を済ませたらそっと店を後にしよう。帰り際かっちゃんはあの笑顔で「また来てね」ときっと言うだろうから、「もちろん」と返して。