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もやもや病で人生どん底に。それでも歩み続ける私の道 その2

前回の続き


母との会話

かれこれ10年ほど前のことなので、母とどんな会話を交わしたかは正確には覚えていません。ただ、どこかホッとしたような、安心したような感覚が心に残っています。

病状の説明

その後、担当医が病室に来て、私の病状について説明をしてくれました。
「もやもや病(ウィリス動脈輪閉塞症)が原因で脳梗塞を発症した」とのことでした。医師の言葉から、脳の血管が詰まりやすい状態になっていること、そしてそれが症状につながったことを知りました。

さらに、当面は「ベッド上安静」との指示が出されました。動くことで再び血管に負担がかかる可能性があり、絶対にベッドから動いてはいけないという厳しいものでした。また、意識が混乱し、点滴や医療機器を誤って外してしまうことを防ぐために、両手両足が拘束されていたことも説明されました。

テスト

医師からの説明が終わった後、あるテストが行われました。

担当医が「今、何をしているかわかりますか?」

私は「わかりません」と答えました。

すると担当医は続けてこう尋ねました。
「では、こっちは何をしているかわかりますか?」

その瞬間、右足の裏に何かが刺さる感覚があり、反射的に右足を引っ込めました。

どうやら、医師は両足の感覚を確認するためにボールペンを使ってテストをしていたようでした。1回目に左足を刺したときには全く感覚がなく、私は「わからない」と答えていました。しかし、2回目に右足を刺されたとき、しっかりと感覚があり、体が反応しました。

このテストを通じて、私の左足に感覚がないという現実を改めて実感しました。同時に、右足に感覚があることへの安堵も少しだけ感じたのを覚えています。

怒りや悲しみや絶望感


とはいえ、時間がたつにつれて、私の心はどんどん暗い方向へと向かっていきました。「どうして自分がこんな目にあうんだ」といった怒りや、

「右手だけじゃ大好きだったゲームももう遊べない」、

「人生が終わった。このまま寝たきりで、つまらない人生になっていくんだろうな」

という絶望感が、次々と胸の内に押し寄せてきました。

これまで当たり前だと思っていた日常が一瞬で奪われたことに、私の心は耐えられなかったのです。怒り、悲しみ、そして絶望といったネガティブな感情しか湧いてこなくなりました。

そんな中、ほぼ毎日お見舞いに来てくれた母親に対しても、私は強く当たってしまうことがありました。感謝の気持ちはもちろんありましたが、それ以上に、やり場のない感情をぶつけてしまう自分を止められませんでした。そのたびに母親が傷ついたであろうことはわかっていましたが、それを制御する余裕もなく、自己嫌悪に陥る日々でした。


逆転の発想


そんな自己嫌悪の日々も、3日4日と続くと、次第に飽きてくるんですよね。おそらく、「考えるのも疲れた」という方が正しい表現かもしれません。
すると、ふと頭の中に逆の発想が浮かびました。

「まだ右手だけでできることってなんだろう」と。

この発想が、私にとってターニングポイントだったのかもしれません。
まず最初に考えたのは、大好きだったゲームのこと。「右手だけでも遊べるゲームってあるだろうか?」と頭を巡らせました。

そこで思い出したのが、任天堂が出したWiiとスマホゲームでした。Wiiのコントローラーは棒状で片手で操作できることを思い出し、「これなら遊べるかも」と感じました。また、スマホゲームに関しては、そもそも片手で操作することを前提としたゲームが多いことに気づきました。

そうしたアイデアが次々と浮かんでくるうちに、
自然と「ゲームができない」という絶望的な思考から、
「まだ遊べるゲームもある」という前向きな認識に切り替わっていきました。この出来事をきっかけに、「片手でもまだできそうなこと」を探し始めるようになったのです。
「右手だけでできることを探してみよう」と考え始めた私は、意外な発見をしました。
「できないこと」だと思っていたことは、全体の2割か3割程度で、
実は「まだできること」の方がずっと多そうだと感じたのです。
この気づきが、私の考え方を大きく変えました。

病院生活にも変化が

そんなプラス思考は、病院生活にも良い影響を与えていきました。今まで点滴からしか栄養や水分を摂れなかった状態から、重湯(おもゆ)やゼリー状のお茶が飲めるようになるなど、食事が少しずつ改善されていき回復してきているという実感をかんじるようになり。

さらに、ベッド上安静の状態から、リハビリができる段階へと進んでいきました。最初は手すりを使った歩行練習からスタートし、次に4本杖を使った歩行、1本杖歩行と進化し、最終的には杖なしで歩行できるまでになりました。

「できないこと」に囚われていた時には想像もできなかった未来が、少しずつ広がっていったのです。この経験を通じて、前向きな思考がいかに力を与えてくれるかを実感しました。

感謝

振り返ってみると、病気を発症してから現在に至るまで、私の人生に関わり、支えてくれた多くの人たちがいました。医師や看護師の方々、リハビリを手伝ってくれたスタッフ、そして何よりも、そばで見守り続けてくれた家族や友人たち。

今こうして自分の体験を発信できるのも、すべてあなたたちのおかげです。あの時のサポートがなければ、私はここまで前を向くことはできなかったでしょう。

本当にありがとうございました。この感謝の気持ちは、決して忘れることはありません。

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