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エンドレスおはぎと祖父母の食卓


私は祖父母との食事の時間が好きだ。
その時間は愛おしさすら感じる。

祖父は一番おもしろい先輩経営者であり、祖母の知識は本のように私の世界を広げてくれる。


大学浪人時代、私は父の号令のもと祖父母の自宅に預けられた。
浪人の1年だけ、慣れ親しんだ関東から関西へと引っ越した。


引っ越し自体は苦ではなかった。
むしろ私にとって、祖父母宅こそが実家に近しい存在であったし、古の頃より二人が好きだったのですぐ指示に従った。

2人は快く私を受け入れてくれ、その日から3人での生活が始まった。


祖父母宅での生活は非常に規則正しく、中高学生時代の寮生活よりも整然としていた。

朝は6時に起床。
のそのそと3人パジャマ姿で居間に集まり、黙々とラジオ体操。
まさかのラジオ体操第2突入で、全く未知の動きを始める2人。


朝ご飯は健康を意識しとにかく体にいいものを。
鮭、ご飯、みそ汁、もずく、梅干し、納豆、ゆで卵、バナナ、ヨーグルト・・・

・・バイキングかな?
めちゃくちゃ有難かったが、朝飯を食べてこなかった身としてははかなりきつい。

しかも、毎朝同じメニューである。
・・・イチロー?


そして夜ご飯は、曜日によって何が出るか決まっていた。
月・木・土は魚系、火・金・日は肉系、水曜はカレーである。
実にシステマチック!!

なぜ故、このようになったのか?
そこにはきっと栄養学的ないしは人間工学的見地による素晴らしい理由が、、、なかった。

「あらかじめ分かってた方が、がっかりしなくていいでしょ?」

祖母!


私の家族はとにかくお酒が好きで、しこたま酒を喰らう。

「酒は百薬の長」

我が家では”いただきます”の次にこれが出る。
これを大義名分とし、好きなだけ酒にありつくのだ。
そして、飲みすぎてしまった日は決まってこう締める。

「やっぱり、“過ぎたるは及ばざるが如し”、やな。」


晩御飯、私と祖父はメニューが違っていた。
目方が増えるといけないので、一汁三菜を意識した献立だ。


「おい、その肉少しくれ」

祖母?
一汁三菜はいいけど、じいちゃんがとっても食欲旺盛だよ?


祖母の料理はどれも最高に美味しかった。

肉は柔らかいし、魚は焼き目抜群だし、何よりカレーがスプーン止まらなかった。

昔ながらの黄土色でどろっどろのやつ。
お玉から、ぼてっ。っとライスにONされるやつ。
我が家では真ん中に少し凹みを作り、生卵を鎮座スタイルです。

カレーってこれだよ!
祖母のカレーは本当に美味しい。控えめに言ってカレー、大げさに言ってもカレー。
とにかく、これが私のカレーなのだ。


毎日同じ時間に座り、美味しい食事に囲まれ、3人で色んな話をしながら酒を飲む。
人生で初めての経験だった。

満たせればいい。と思っていた食事の時間が待ち遠しい時間に変わった。


ただ、一つだけ難点があった。
美味しい!という情報を発信すると、祖母はそのメニューを毎日食卓に繰り広げるのだ。

美味しい認定を受けたものはレギュラーに抜擢され、STOPというまで食卓に並んだ。
そしてSTOPというとその料理は2度と出てこなかった。


コロッケ、ポテサラ、ジャガイモのカレー粉炒め。
気づけば食卓芋だらけ。
わしゃ芋農家のせがれか。

されども、一番困ったのは芋ではない。
芋は好きだし、いくらでもいける。
若くても、毎日はつらいもの。
“おはぎ”、だ。


いつからか、
来る日も来る日も“おはぎ”が並んだ。

ぼてっとした豊満なボディに、これでもかと粒あんを纏っていた。
口の中で広がる大納言、露わになる餅米があんこを抱き寄せ駆け巡る。

美味しいと言った日が粒あんだったから、“おはぎ”は粒あん。きなこは一度も見ることはなかった。
狂ったように生産される粒あん“おはぎ”を、私は狂ったように毎日食べた。
ほんとに、一生分を食した。



そんなこんなな生活をしながら、私は予備校に通っていたのだが、これが地獄だった。
盛大によそ者として歓迎されてしまったのである。

東京もんとして目立ってしまい、静かに勉強させてもらえなかった。
ここは昭和か?

当時は割とダメージをくらってしまい、自律神経狂ったり、快速で行く距離を各駅の電車しか乗れなくなってしまった。


そんな状態でなんとか家に辿り着くと、必ず出てくる“おはぎ”。
またかっ!、と笑けてくる。

それは甘いとか美味しいとかでなく、なんだかあたたかい味がしたのです。


2人ももう90近い。
中々買い物で重い物は持てないので、定期的にビールを12箱も車に積んで持っていくのだが、

「1週間分もどうもありがとう」

と、言えるくらいには元気で過ごしている。
さすがにもう料理はしていない。


私も大人になり、自由に好きなものを食べることができるようになった。
美味しくていいお店もある程度は知っている。

だけど、どこにもあの”おはぎ”はない。
黄土色のカレーもない。
芋をおかずに芋を食す食卓にも出会えていない。


季節は移ろい、大切なものは形を変えていく。
そんな諸行無常の理の中で、何が救ってくれたのかを知っている。

から、前を向いていられるのかもしれない。
これからもあの頃の幸せな食卓を求めて歩いていける。


あと、大人になって分かったことがある。
”おはぎ”を作るのはとても大変だ。

ありがとう。



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