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「オア・ダイ」  #にじいろメガネ 連載(2024年1月号)

このポストは「アイユ」(公益財団法人 人権教育啓発推進センターの月刊誌)の連載からの転載です。諸事情により先方HPでの公開がなくなってしまったため、発行後にここで無料公開いたします。
試験的に投げ銭機能も設置していますが、全編が無料で公開されています。


皆さま初めまして!

私はもともと民間企業でマーケティング(宣伝広報)の仕事をしていたのですが、社内外に向けて性的マイノリティに関する取組を立ち上げた経験がきっかけとなり、同性カップルへの「パートナーシップ証明」発行を日本で初めて2015(平成27)年にスター トした渋谷区役所で、性的マイノリティを含
めたジェンダー平等推進をお手伝いしました。

この連載では、企業や行政での取組経験から、それほど関心のない方でも「ふむふむ」と腹落ちしてもらえるエピソードをご紹介できたらと考えています。

初回は、専門家でも社会活動家でもない、ただのゲイのおじさんである私が、行政に身を置く決断をするに至った、自分なりの原点についてお話しさせてください。

30年と少し前、私は九州の片田舎の中学生でしたが、自身の性的指向(ゲイであること)に気付いたのも、その頃でした。「地方の性的マイノリティあるある」ですが、最初に思ったことは「ここでは生きていけない」でした。そして、「新宿二丁目というゲイタウンがある東京なら生きていけるかもしれない(九州にもゲイバーなど居場所は色々ありますが、子どもの知識には限界がありました)」とも考えました。

豊かな家庭ではなく、相当な理由がない限り東京進学など許されません。唯一の方法は、通える九州大学よりも圧倒的に難関の国立大学に合格すること、つまり東京大学への現役合格。当時は、自分の人生を切り開く方法は他にない、失敗したら死ぬしかないと思っていました。「トーダイ・オア・ダイ」。悲しいかな、マイノリティは知らず知らずのうちに、自らの命を軽く扱ってしまうことがあるのです。

今、人生を振り返ると、さまざまな助けや出会いによって数えきれない「紙一重」の分岐点を乗り越え、生き永らえてきたことに気付かされます。「私はぼろを着てでも、学費は出すから」と進学を応援してくれた母や祖父母。変わり者だった私を温かく応援してくれたクラスメイトや先生。どれ一つ欠けても、今の私はありません。

マイノリティの人生には、より多くの「紙一重」が立ちはだかり、(物理的・社会的な)死が常に身近にあります。そんな「オア・ダ イ」を一つでも減らすことができたら。命に軽重がない社会づくりの少しでも力になれれば。渋谷区からお声がけ頂いた時、自身の命が軽かった時代を思い出し、行政へ飛び込むことを決心したのでした。

<参考データ>
「第 5 回自殺意識全国調査 調査結果」
https://www.nippon-foundation.or.jp/ who/news/pr/2023/20230406-87204.html

日本財団

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