凄い同僚達自慢(過去編2)
○○力という言葉が流行り始めたのはいつ頃からだろうか?とある時期からよく聞くようになり、なんでもかんでも「○○力」を付けるとそれらしく聞こえるようになった。元々ある熟語の「努力」「忍耐力」「洞察力」や、とある時期からよく聞くようになった「コミュニケーション力」「マネジメント力」「鈍感力」「多動力」など。
今回はそんな「力こそパワー」的な?「力」に関する学びをくれた御方を紹介します。
Nさん
僕が20名規模の組織をマネジメントしていた頃に、直属の上司とは別でメンター的な立ち位置で色々とアドバイスをくれた方。
とにかく熱い人で、熱量の高さと自分の考え方に自信があり、地頭もよく数々の分析を元にした企画や提案をしていて凄く輝いて見えた人だった。
最初は遠い存在だったのだけど、とある飲み会でその人の隣の席が空いていたので「これはチャンスかな?」と思い、隣に座り色々話しをしてみたところ意気投合。立場的にはNさんの方が上位職なのだけれども、僕よりも年齢が若く良い感じでフラットに付き合えた。
自己紹介の中でも書いたのですが、
は、Nさんの言葉。
Nさん自身も十分輝いて見えたんだけれども、この理念に基づき何人もの人材を抜擢しているのをこの目で見てきた。
とんでもないペースで、とんでもないところから、どんどん人材を上に引き上げて、とにかく「人に機会を与える天才」だったと思う。
幸い僕もその飲み会以来色々な機会を頂き、20名弱のマネジメントから、100名規模を任される切欠をくれたのもNさん。
今回は同僚自慢なので僕の話は最小限にしておきたいけれども、
「自分以外の誰かを輝かすことができるかどうか?」
に基づきマネジメントをすることで、
Nさんがどんな苦労をして来たかとも凄くシンクロした。
苦労について簡単に言うと「人は思い通りにならない。」
素晴らしい物を持っている方をより輝かそうと思っても本人にその気が無かったり、その気はあっても実力がまだ足りていなかったりした場合、間違った「機会」を、言い方を変えると間違った高さのハードルを設定してしまうことで、衝突を引き起こしたり、マネージャーとしての挫折を味わうこともあった。
Nさんも十字架を背負っていた。
「自分が、あんなことをさせてしまったせいで、彼(Nさんの部下)はとても落ち込んでしまった…」と。
もちろん上述の通り「よかれと思って与えた機会」、それによってNさんの部下だった方はその機会を余り上手に扱えず、相当落ち込んでしまったらしい…。Nさんはその話を聞いた時、震えが止まらなかったらしい。相当ショックだったのだろう。
分からなくもない。
僕も自分が思う以上の権限や、そういった機会を与えられ、その中でうまく立ち回れないことも多々あり、自他共に傷付けてしまった経験がある…。(ちなみにNさんの部下の方は数年かけてリカバリし、その後役職者として頭角を現していった。)
Nさんはとにかく記憶に残る名言が多く、
と言っていたかと思えば、
と言い、巻き込むことの大切さを熱く語って来たかと思えば、反対の意味ともとれる「例え1人でもやる!」と言ったり、時に僕を惑わし、振り回してくれた(笑)
ちなみにその時僕は「たとえ誰か1人でも味方がいれば進めていく」と答え、議論で価値観の分岐点となるようなことを当時はよくぶつけ合った。(この2つの例はどっちが正解とかはなく、それぞれに考え方の背景などがあるのでそのうち記事にしようかな。)
「巻き込み力」については、当時そんな言葉は初めて聞いたので「なんですか!?その言葉は?」と聞いたところ、
と言っていたので、その後僕もここぞというときは、好きな単語に「力」を足したりして、いくつかの言葉を作ったりしてみた。「癒し力」とか「早起き力」とか「いとおかし力」とか。(いくつかは多分すでに他の方も使ってそうな言葉だけれども。)
組織の中ではそんなNさんを嫌う人もいた。
「あいつは口だけだ」「偉そうなんだよ」「とにかくなんかムカつく」など批判もされていたけど、間違いなくNさんは、自分以外の誰かを輝かせていたし、多くの人材の成長に貢献していた。僕もその生き証人だからね。
前回紹介した「凄い同僚達自慢(過去編1)」同様、素晴らしい人との別れはある日突然やってくる。
Nさんも某大手通信会社への転職が決まり、当時いた会社を去って行った。
Nさんがいなくなった後はまるで僕にNさんが乗り移ったかのように、マインドを継承し行動していった。(良いところをパクったとも言うし、空いた穴を埋めようとしたとも言える。)
Nさんが嫌われていた部分も分析し…というかNさんを嫌っていた人とむしろ仲良くするようにし、ある意味でのNさん越えを目指した。
その後長期に渡って100名規模の組織をマネジメントする中で、多くの素晴らしいリーダー達(僕の部下)が誕生した。
マネージャーとしてリーダーの抜擢と育成に力を入れ、彼らに対し「僕が今最も向き合う時間で優先し、大事にしているのは、あなたたちの声に耳を傾ける時間です。なので自信を持って話してください。」と伝え、そして、活躍の場と輝く機会をできるだけ与えた。もちろんその都度「実力の現在地」を慎重に見極め、その人のステージに合う舞台で輝いてもらえるように調整をしてきた。全てNさんから受け継いだマインドに、自分なりの味付けをした形だ。
そして僕も「去る側」になる時が来た。でも不安はなかった。自分が「良いところをたくさん知っている」「後を任せても安心な人たち」を残して去って行くわけだから。そして彼らはすでに自らが輝くことよりも、自分の周囲の誰かを輝かすことに目を向け始めていたから。僕は安心し静かに去って行った。
これは後日談だが、Nさんの送別会には、当時Nさんを批判していた人も多く集まった。そしてその場で「当時批判していたのは実は好きの裏返しだったのかも…」と発言した人がいた。人っていうのは不思議なもので、別れ際に自身の本心に気付く場合があるんだな、とその会話を見て思った。送別会の最後にNさんを批判していた人とNさんが、固い握手をしているのを見て少し目頭が熱くなったのを覚えている。
その後もNさんとは1年に1回は会ってご飯をしたりしていた。おでんが美味しい「お多幸」が好きだった。ここ数年で僕の転職などもあり疎遠になってしまったが、今も元気に周りを輝かせまくっているだろうか?恐らく当時と基本的なマインドは変わらず、輝かせ方のテクニックは間違いなくアップしていると思うので、Nさんはもちろん、NさんJr.にも会ってみたい気がする。
あ!今回、Nさんの話が長くなってしまい、もう御一方紹介(自慢)する予定だったのですが…また「過去編3」を書くことがあれば、その時にでも。
ということで今回は「周囲を輝かせることこそマネジメントである」を体現していたNさんのお話でした♪
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