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漁師(見習い)の僕が「LOVE TRANSIT」がなぜ面白いのか?を言語化してみた。

「この文章、誰のなんのための文章なんだろう?」

そう思う文章が世の中にはたまにある。

この文章はまさにそんな文章である。

ただ「どうしても書きたいことがある!!」という衝動に駆られるのも、また人間としての真理であり、その衝動は押さえられないことが多い。

そんな勢いにまかせて筆を進めてみる。

漁師として生活を送っている僕の毎日のルーティンの中に「朝定置網漁でとれた魚を捌く」という時間がある。

このルーティンの時間は僕にとって、魚を捌くのはもちろん、世の中の情報を収集/整理する時間であり、流行りの曲を聞いたり、流行りのドラマを見たり、Siriと会話しながら気になった知識について調べたりする時間でもある。

そんな何気ない毎日の中で、Amazonプライムの僕へのレコメンドに出てくる「LOVE TRANSIT」という恋愛リアリティーショーを何となく見始めた。

「恋愛リアリティーショー」というジャンルは今まであまりちゃんと見たことがなく、見始めても途中でやめてしまうことが多かった。

なので、今回も「魚捌きのルーティンの時間潰し」ぐらいの軽いノリで見始めた。

「LOVE TRANSIT」とは?

<あらすじ〜Amazonプライムリード文から抜粋> 一度は完全に別れた5組の元恋人同士が高級ホテルで再会。互いの“次の恋”を探すために一か月間のホカンス生活を過ごしたら…そこで生まれるのは新しい恋か?復縁か?別れた理由は、「浮気」「金銭事情」「人間不信」…“色々ワケありな元恋人”と“心ときめく新恋人候補”が入り混じり、胸キュンのち嫉妬!トキメキのち怒り!そして涙…様々な感情が生々しく揺れ動かされながら過去の恋と次の恋が交差する恋愛リアリティ番組。

期待を全くしていなかったが、、、、

その「全く期待していない」という期待はそれはそれは綺麗に、見事に、裏切られることになる。

エビソードを重ねれば重ねるほど、なぜかどんどんストーリーに引き込まれていくのである、、、

まず、漁師として毎日海に出ている僕がしている生活とは全然違う生活を参加者の方々がしていることに驚く。

ホカンス?(”新しい貝”の名前ですか?)

ホカンスとは、貝の名前ではなく、ホテルでの滞在そのものを目的とした休暇の過ごし方で、「ホテル(hotel)」と「バカンス(vacances)」を組み合わせた造語らしい。

BMWでデート?(社用車って”軽トラ”じゃないの?)

参加者は高級車でデートに行ける。
もちろん車内はタバコ臭く無い。

ラウンジで飲みなおす?(”BBQ”一択でしょ!!)

飲み物が甲類焼酎でもなければ、焼肉のタレで焼きそばを焼くこともない。

僕が普段見てる世界とは180度違う世界がそこにはあり、それはそれはとても新鮮であった。(言うなれば”初めて海外に行った時に感じた衝撃”に近いものがあった。)

新鮮ではあるが、それでいて「自分とは全く違う世界の出来事」ではない感じがずっとしていて、そのある種の”違和感”を持ちながらどんどんストーリーに引き込まれていったのだ。

その「違和感」の正体を探るべく、今回このnoteを書こうと”謎の使命感”を持って決意し、自分なりの仮説を持ってまずは思ったことを携帯にメモしながら見進めていった。

その言語化しつつある”違和感”のメモを何人かの友達に送って見てもらったところ「それわかるかも!」とか「私はこう思ったよ!」という自分が予想しなかった反響がたくさんあった。それは本当に本当に多くの反響があった。笑

今回この「LOVE TRANSIT」という作品になぜこれほどまでに魅了されたのか?について3つのポイントがあるのではないかということが見えてきた。

その見えてきた仮説について、普段この作品とは対極で生活をしている漁師(見習い中)の僕なりの見解を”謎の使命感”と共にできる限り言語化してみようと思う。

※作品のネタバレもあるかと思うので、まだご覧になってない方は見終わってからご覧いただけたらと思いますm(_ _)m

ポイント① 作品の企画力("ルール設計"の秀逸さと”過去の事実”にフォーカスする残酷さ)

番組設計時点での”企画設計の秀逸さ”は圧巻だった。

では、何が素晴らしかったのか?

・「元カノとの時間は本当に良かったのか?」ということを確かめる「タブー感」が合法化されているルール設計の秀逸さ

誰しもが経験したことある「元カノに会いたいけど、会ったら会ったで気まずいけど、なんか会ってみたいし、会ってどうにかなっちゃうならそれはそれで!」みたいなちょっとした「タブー感」をちゃんとコンテンツ(企画)にしたのがチャレンジングであり、本当に素晴らしいと感じた。

また「かつて好きだった人が目の前で違う異性に惹かれていく」という「止める権限なんて自分にはもうないんだけど止めたい感」みたいな”終わったはずのこと(事実)”をしっかりぶり返してコンテンツにしている点が、それはそれは残酷で(笑)、僕たちの現実で起きていることに近い感覚を抱かせるのではないかとも思う。

上記の点は「ただ新しい恋を始める!」今までの恋愛リアリティーショーには無い点で、その部分を秀逸に、緻密に設計している「企画の力」がとても垣間見れた。

ポイント② 作品の展開力("間"と"問い"の秀逸さ)

「LOVE TRANSIT」の"間"と"問い”に裏切られた人は僕だけじゃないはず。

「え、そこ、元カノ×元カレだったの?」という過去の描き方

この言葉を発したのは僕だけじゃないはず。

考えてみてください。

30歳を超えた漁師のおじさんが、魚を捌きながら「え、そこ、元カノ×元カレだったの?」と家で1人で言ってしまっている世界線。

それは地獄以外のなにものでもない。w

でも、それくらいストーリーの”間”は秀逸だと思ったのです。

この僕が抱いた感情を過去に経験したことがあるなと思い、思い返してみたところ、

「中学校の時に同学年の一見真面目で可愛い女の子が、一つ上の先輩(ヤンキー)と部活帰りに一緒にチャリでニケツして先輩の腰を握って帰っているの見る」みたいな感覚に近い驚きや、裏切りや、キツネに摘まれたような感覚だった気がします。(きっと伝わってくれているはず!!!笑)

また”マッチングアプリ”全盛期のこのご時世において(何でも要件定義して、自分の好みに合わせ、有象無象に検索できる)、あえて「年齢」「職業」を非公開にし封印することで一定のバイアスをとり、「年齢」「職業」が公開されただけで「おもしろ!」と思わせる”間”の力は秀逸でしかない。

"問い”に関しては、番組から絶妙なタイミングで送られてくるLINEメッセージ(ex「今日あなたの心を最も動かしたのは誰ですか?」)や、デートする相手の元カノ(元カレ)と匿名でやり取りして相手の本心を探る様な問いを発するのはとてもとても秀逸だった。(これも①で述べた「企画設計」の秀逸さにもかかってくる部分だが。)

“問い”があることによって「今、⚪︎⚪︎さんは何に対してどう考えているのか?」という僕たちが普段見ることのできない「当事者の心の機微」みたいなものをわかりやすくリアルに感じ取れたのではないだろうか?

ポイント③  登場人物達の人間力("自分の課題と向き合う"タフさと"決める"潔さ)

「これはただの恋愛ショーじゃない。」

そう感じた方がたくさんいたはず。

では、僕たちは一体何を見てそう感じたのでしょうか?

1人の人間が恋愛に投影した”自分自身の課題”に向き合う辛さと尊さと生々しさ

「なぜあのAさんが、あのBさんのことまだそんなに好きなんだろう?そんなに辛いんだったら私(僕)がなんとかしてあげるよ!」と思った視聴者は多いはず。(かくいう僕もその1人です。)

また「過去の自分の姿」を出演している参加者に投影した方も大勢いたかと思います。(「わかるよ、わかるよ、その気持ち」的な感想を持ったはず。)

この参加者達が”葛藤”しているものの正体はいったい何なのか?

僕の仮説は「恋愛を通して見えてきてしまった「自分自身の人間関係における”課題”」もしくは「ずっと封印しておきたい(向き合わない様にしてきた)自分自身の”本音”」と向き合う葛藤だったのでは?というものです。

「そんなに悩んでもどうしようもないじゃん?」ということは僕たち(視聴者)が勝手に決めていることで、当事者同士にしかわからない感情や感覚、過去の事実を踏まえた心の揺らぎなどは「元カレ(元カノ)」と一緒に生活をしているので当然にあったことだと思います。

”葛藤”を突き詰めていく先には「自分は一体何者なのか?」という人間の普遍的な(哲学的な)問いを考えていくことに繋がるのではないかと見ていく中で思うようになりました。

自分は何がしたくて、何に悩んでいて、何をどういった背景で解決したいのか。

そういったことを考えていくプロセスの中で「自分自身の人間関係における”課題”」や「本当は言いたい”本音”」と向き合わなければならず、そこを見つめなければいけない点に大いに「葛藤」していたのではないか?と感じたわけです。

この「LOVE TRANSIT」という特殊な環境(精神的にタフな環境)では”普段考えないこと”に向き合わざる得ない状況が計画的に設計されていて、偶発的にも考えざる得ない環境になっていたのだと思う。

今までの恋愛リアリティショーは「参加者の過去」にはフォーカスしないことが多いので”人間の一番見せたく無い部分”’(課題や弱みなどは人には見せたくなくて当然である)は省かれて構成されてきた。(どちらかというと”華ばしい過去”はフォーカスされる傾向にあった。)

1人の人間として「自分は何者なのか?」という葛藤に対峙している参加者達の生々しさ、そしてそれを乗り越えて「一つの進むべき方向を決める決断」または「葛藤に覚悟を持って一つの結論を出した人間の力強さ」などの部分まで踏み込んでいる点が他の恋愛リアリティーショーとは違うのではないかと思った。

作品を見終わった後に一種の「やりきった感」を感じた人は多かったのではないかと思う。

新しいことを始めるより「何かを終わらせること(決着をつけること)」「決着したはずのことを紡ぎ直しリスタートすること(また立ち上がること)」の方が何倍も大変で、人間の本質が一番垣間見えるのは普段の生活や仕事などを通じて僕たちも経験があることではないだろうか?

まとめると

僕が考えてきたポイント(仮説)3点をみんな大好き「弁図」的にまとめてみると以下になる。

弁図

この弁図の真ん中を射抜いているのが「LOVE TRANSIT」という作品なのではないかと仮説的ではあるが僕は思っている。(弁図を使うといかにも”それっぽくなる”。本当に魔法の図式だ。笑)

最後に

もっとライトな文章にするつもりが、気づいたら5000文字を超えていた。笑

それぐらい見応えがあったと感じていただけると嬉しい限りです。

この文章の末尾として、「LOVE TRANSIT」を設計した企画チームの秀逸さ/リアルを追求した執念と番組にリスクをとって出演した参加者の「タフさ」と「覚悟」に最大限のリスペクトをお伝えしたい。

企画側も、参加側もネジが飛んでないとこの作品はできなかったと思います。(クレイジーじゃないと企画者として見守ることも、演者として過ごすことも耐えられないと思ったので。)

もしこの作品を批判する人がいたら「じゃあお前がスタジアムのグランドに降りてきて、ピッチ内(参加者)、ベンチサイド(企画側)でリスク追って試合してみろ!」と言いたい。笑

僕はこのグランドに立つ勇気もないし、なんなら絶対立ちたくない。笑

この文章が企画者と参加者に届き「実際、作品制作中の現場ではどう思ってらっしゃったのか?」というリアルな感想を居酒屋とかで一緒に飲みながら聞かせてもらえたらこんなに嬉しいことはない。

そんな日は永遠に来ることがないので「この文章、誰のなんのための文章なんだろう?」という文章をここで終わりにしたいと思う。

みなさんの頑張りに触発されたので、僕は引き続き”一人前の漁師”になるための修行を自分の尊い日常の中で頑張り続けたいと思います。(最初魚を捌きながら適当に見てすいませんでした!!m(_ _)m)

シーズン3を期待しております!!

企画者のみなさん、参加者のみなさん、本当に本当にお疲れ様でした!!

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