トレーナーの資格を取るまで
トレーナーとして活動をしています。酒井 隆太と申します。
自己紹介の記事でも述べたように、私はアメリカでアスレティックトレーナーの資格(NATA-ATC)を取得しております。
本記事では、どのような経緯で私がNATA-ATCという資格を取得したかという経緯を簡単にはなりますが綴っておこうと思います。
アメリカ留学をするきっかけ
私は高校卒業後、大学進学を選ばずにヒューマンアカデミー大阪校に1年通っています。
ヒューマンアカデミーに通うことにした理由は、私がスポーツに関わることが出来る仕事に就きたいと考えトレーナーになることを志望したからです。
そこには、アスレティックトレーナーとしての基礎知識と英語を1年間学び、さらにアメリカ内の大学に入学するための支援をしてくれるというプログラムがありました。
ヒューマンアカデミーに通うときに、私の将来を心配してくれていた両親が「本気でトレーナーになりたいのなら、アメリカの大学くらい卒業して見せろ」と言い、私に発破をかけてくれました。この一言で、日本での大学進学も迷っていた私がアメリカの大学に進学することを決めました。
アメリカ留学 / ネブラスカ州カーニー
ヒューマンアカデミーでの1年間の勉強の後、私はネブラスカ大学カーニー校(University of Nebraska at Kearney)に進学しました。
1年の英語の勉強期間を経ていましたが、私の英語のレベルは不十分でした。英語で日常の会話もままならず、大学の講義を聞いて理解することもあまり出来ていませんでした。
大学在学中の4年間で、英語を学びなおしながら、英語での専門的な授業(解剖学や運動生理学、アスレティックリハビリテーションなど)を理解していくのは正直大変でした。
そんな私でも周りの教授や先輩、同期の生徒の手助けもあって、英語でのコミュニケーションが取れるようになり、アスレティックトレーナーの実習生として年間400時間を超える実習もこなせるようになりました。そして無事、資格試験にも合格しました。
※私がNATA-ATCの資格を取得した当時の大学カリキュラムと現在のアメリカ大学でのNATA-ATCの資格取得の流れは、カリキュラムの変更に伴い違いがあります。
その後
大学在学中の4年間のなかで苦労はしましたが、私は英語でのコミュニケーションが好きになり、卒業後にすぐ日本に帰りたくないと思うようになりました。そこでアメリカで大学院に通う決断をしました。
まとめ
トレーナーになりたいと考え、アメリカに留学を果たした私ですが、英語が話せない、理解できない事の苦労を経験しました。大学の授業についていくのも大変でした。実習中に言われたことが理解できずに右往左往していたこともあります。
色々な経験を経て、現在トレーナーとして活動出来ている事に対して本当に感謝しております。私は学生の時も業務をおこなうようになってからも、周りの環境、人、運に恵まれ今があります。私と関わってくださっている皆様には感謝の一言につきます。
ありがとうございます。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。