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ビジネスプロフィール(前編)

株式会社BRIDGEs(ブリッジ)と一般社団法人グローバルアスリートプロジェクト代表の田中と申します。プロアスリートのマネジメント、スポーツビジネスコンサルティング、英語×スポーツスクールを営んでおります。僕自身のビジネスプロフィールを綴っていきます。

 氏名:田中隆祐
 生年月日:1975年2月23日
 出身地:埼玉県行田市
 スポーツ歴:高校・大学・社会人Xリーグ:アメフト(WR)
 趣味:サーフィン、キックボクシングのトレーニング、スーパー銭湯

1997年:東海銀行入社

今となってはネタにしかならない銀行員時代。毎日スーツを着て満員電車に揺られて嫌々会社に行って、社会人になってもアメフトをやってることで当時の支店長に毎日毎日朝から晩まで嫌味を言われながらいびられて、それをケアしてくれる上司なんかも誰もいなく見て見ぬふり…日曜にサザエさんが始まるとめちゃくちゃブルーになって…2年目からは直属の部署の先輩が異動になり、他店から補填もされず、10年目くらいの先輩がやっていた仕事が2年目のルーキーの僕に全てのしかかり、これまたそれをサポートしてくれる先輩も上司もいなく、殺人的な業務量を1人でこなして…いう生活の日々。​

2000年:オックスプランニング入社

銀行を3年で退社し、当時OOHという言葉さえも浸透してない時代にOOHに特化した社員数十人くらい(当時)の広告代理店に転職。銀行という大企業からゴリゴリの超体育会系ベンチャー企業に転職し、自分自身の力で仕事も作って、クライアント開拓して、給料は会社から貰うものではなく自分で稼ぎ出すもの!稼がなかったらマジでクビになる・・・という本当の意味での仕事を覚える。ここで大企業病を一気に捨て去れたのが大きな財産。2001年頃に日韓ワールドカップのプロモーションの業務に携わりスポーツビジネスに初めて触れる。

2004年:アンビションアクト取締役就任

社会人アメフト先輩の紹介でアンビションアクトを創業したばかりの伊東伸晃氏に出会う。渋谷区桜ヶ丘のマンション(6畳1部屋間借り)のオフィスで2人きりでスタート。さらに縁あって当時四国初のプロスポーツチームとなる徳島VORTISのJリーグ参入に向けてのクラブ作りをゼロから携わることになり東京と徳島にひたすら往復する。この頃は3年間くらい1日も休んだ記憶なし。この徳島VORTISの立ち上げに携わったことから、その後10年間に渡り、Jリーグクラブやプロ野球球団の様々な仕事を請け負うことになる。

当時仕事で携わったプロスポーツチーム
・徳島VORTIS
・サガン鳥栖
・JEF千葉
・横浜Fマリノス
・東京ヴェルディ
・川崎フロンターレ
・ラグビートップリーグ、ラグビー協会
・JBL(当時のバスケットボールリーグ)
・埼玉西武ライオンズ
・横浜ベイスターズ
・日本ハムファイターズ(鎌ヶ谷)
などなど。その他、プロスポーツチーム以外にも様々なスポーツブランドなどのプロモーションやイベントなどに多数携わっていく。

2004年:アスリートマネジメント開始

当時大学院生だった木暮賢一郎(注:フットサル界のキングと呼ばれW杯3大会でフットサル日本代表の背番号10番をつけて活躍、引退後は指導者の道に進み現在はフットサル日本代表監督)と、当時名古屋グランパスに所属し、なかなか出場機会を得られていなかった川島永嗣に出会い、彼らのマネジメントを開始する。その後の彼ら二人の活躍はご存知の通り。

アンビションアクトでゼロから立ち上げたプロジェクトの数々

スポーツマネジメント海外研修inシアトル
スポーツビジネスの本場アメリカでスポーツビジネスを学ぶ、スポーツマネジメント海外研修をシアトルでゼロから作り、スポーツ業界への就職を目指す大学生を対象にスポーツビジネスを学べる研修をスタートする。

アンビションアクトインターンプログラム
当時クライアントだったプロスポーツチームの実際の業務を大学生と一緒に進めていくという超実践型のインターンシッププログラムを形成し、学生は現場で経験値を高め、将来スポーツ業界で活躍する人材の育成を行う。
当時最大で1万人が登録するスポーツビジネス特化の学生コミュニティに。

スポーツ業界就活情報サイトSPOJOB、就職フェアSPOFES
現場で活躍してくれるインターン大学生のためにスポーツ業界へ就職の道を作るべくスポーツ業界に特化した就活情報サイトと就職フェアを開始。

◆AHVプログラム
アスリートの社会貢献活動をサポートするAHV(Athlete Hospital Visit)プログラムを立ち上げ、当時マネジメントしていたアスリート達と一緒にそれぞれのアスリートの社会貢献プログラムを開始する。その後、NPO法人スターパワーに移行。

◆UNIVERSAL FOOTBALL JAM
日本最大級のユニバーサルフットボールイベントを開催。
川島永嗣をはじめとするトップアスリートと一般の健常者、障がいを持った方達と一緒にフットボールをするイベントを開催する。

本栖湖ファンドレイジングマラソン
当時日本では初となるファンドレイジングマラソンを本栖湖で開催する。

気仙沼大島ランフェスタ
東日本大震災で被災した気仙沼大島の復興を目的としたチャリティマラソン大会を開催。

2010年:川島永嗣ベルギー移籍

川島永嗣がベルギーに移籍したことで田中自身の仕事にも激変が!そしてこの頃の経験が後の田中に大きく影響を及ぼすことになる。
年間10回くらい海外出張に行くようになり英語が話せないことでとんでもない苦労を強いられる。35歳から英語を真剣に学び始めるも、日本で会社を経営しながら、仕事をしながら毎日のように英語を勉強するも全然成長しない自分自身の英語力に愕然とする。

2011年:グローバルアスリートプロジェクト発足

語学に関する自身の苦い経験からアスリートマネジメントの一環として、海外に挑戦する日本人アスリートを語学面からサポートするというプロジェクトをロゼッタストーン(当時)からサポートを得て発足。これを機に200名以上の海外に挑戦する日本人アスリートと会って話をする機会を得る。そしてこの200名以上の海外に挑戦する日本人アスリートと会って話をしたことによって後にまた大きな影響を及ぼす。

プロジェクト発足に至るまで(2014年10月当時に書いたブログ)

2014年:アンビションアクト退社

6畳一部屋の間借りの一室から2人きりで始まり、10年間の全てを注いできたアンビションアクトを離れる決意をする。同時に株式会社BRIDGEs創業、グローバルアスリートプロジェクトを法人化し、新たな人生をスタートする。

後編へ続く

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