10/21 信じる心について

色んな不思議なことを言う人がいる。悪霊に取り憑かれただとか、我々は実は宇宙人だとか、幻覚剤でビジョンを見たとか、世界はパラレルワールドで良いことも悪いことも全て自分が引き寄せているとか、観測した時に粒子が決定するとか。生まれた時から罪を背負っているとか、自分も世界も実際は何もないとか。俺の前世が鳥だと言う人もいた。最近知り合った人はマントラを信じていて、それを唱え続けることで成仏できると言う。実に不思議だ。

世界には様々な物事や感情や概念や要素があって、それらはぐちゃぐちゃに混ざり合っていて、全然意味がわからない。

毎週オンラインで習っている算数の先生は、数学上の問題について俺が思い込みで推論をすると、必ず「それは何故ですか?」と鋭く質問してくる。しばらくあれこれ思考をこねくり回して考えて、たどたどしく、何とか論理的に説明しようと試みる。その過程で、自分が根拠のない思い込みを知らない間に信じ込んでいたことに気がついたりする。

でも、物事を底の底まで辿っていけば、根拠のあることなんてこの世にあるだろうか? たとえば、1足す1は2になるということをどうやって証明する? それは誰が決めたんですか。根本まで突き詰めていけば最後には何もないんじゃないかという気がしている。1足す1が2になると信じるからそれは効果があるのだ。お金を払うと食料品や何かが買えるとみんなが信じているからこそ、お金には価値があるということと同じように。最後には信じる心しかないのだろうか。科学は宗教なのだろうか。

科学が宗教だなんて言ったら怒り出す人がいそうだ。でも人は自分が信じているものを否定されたら怒るものだ。科学が信じられていて宗教やオカルトやスピリチュアルが信じられていないのは何故だろう。科学ってそんなにすごいのか。非科学的なものがそんなに悪いのか。「正しいこと」って正しいのか?
少なくとも、精神医学は俺の鬱病を治してはくれない。我々が何故生まれて、どこから来てどこへ行くのか、科学は教えてくれない。

たった何千年の人類の歴史の中で、科学も宗教も、人を貶め傷つけて損なうために、殺戮のために大いに悪用されてきた。そんなことを思うと、信じられるものはもう何もないという気がしてくる。

人を好きだという気持ち。一緒にいて満たされる、嬉しくてやさしい気持ち。新しい物事を学ぶ時のわくわく感、「分かった!」という発見の喜び。どうにもならないことへの悲しみ、恐れ。怒り。もう二度と取り返しのつかないことへの後悔の念。どうか幸福であってくれと祈る心。それらは今実際にここにある。感じることができる。
俺の心は貧しく視野が狭いので、即座に脳内に反映される物事しか信じることは出来ないらしい。

眠剤でふわふわでもう眠っちゃいそうだ。おやすみなさい。


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