【文豪たちの怪しい宴】 読書をしようぜ!語り合おうぜ!
文豪たちの怪しい宴
東京創元社 2019年12月13日 初版
鯨統一郎(くじら とういちろう)
小説というものは、作者にどのような意図、考え、想いがあり、それらが作品の中に込められていたとしても、読み手である読者には伝わらないことがある。
それはもしかすれば、伝わらないのではく、読者には読者としての楽しみ方があるともいえる。
そう、作品の楽しみ方は千差万別であり、その読み方を同じ読者と話し合う時間は代え難いものなのかもしれない。
ただし、全員がそのような読者であるとも限らない。
自分の読み方、解釈に絶対的な自信を持ち、他人の読み方を楽しむことができない者もいる。それが幸か不幸かまではわからないが、自由に読み進める者からすれば少々窮屈で面白味のない読み方に感じるかもしれない。
と、まぁ何やら堅い文章で始めましたが、何がいいたいかって、本作の主人公といえるであろう宮田という男は、自由な読み方をする男である、ということを言いたかっただけでした。それだけのことを回りくどいような、わかりにくい文章で書いたのも理由があります。
作品を自由に読むとはいえ、多くの方はその「自由」に無意識に制限をかけていると思います。物語の流れから大きく外れないよう、作派の意図から大きくぶれないよう。
それが普通だと思いますし、誰もが理解できる楽しみ方なんじゃないかと思うのです。あ、これは私が勝手に思っているだけですよ?そう読まなきゃならないとか、こうあるべし、とかそういうことじゃないですから。
で、宮田さんなのですが、なかなかすごいですよ。
ちょっと本作で宮田さんが披露した作品と一言コメントを書いておきます。
・夏目漱石「こころ」→百合小説
・太宰治「走れメロス」→セリヌンティウスが見た夢
・宮沢賢治「銀河鉄道の夜」→宮沢賢治と父親の物語
・芥川龍之介「藪の中」→ミステリ作品としての真犯人
と、まぁこんな感じです。
私はこの4作品について、本格的に読んだことはありません。学生時代に、読んだことがあるような気はしますが、その程度です。
その程度の知識でも、宮田さんの言っていることは、だいぶ一般的な読み方からはずれていることはわかります。
それにしても、よくここまで読み解けるものです。
先日友人と本の読み解き方について話をしたのですが、時代背景や読んでいる当人の背景、年齢や心身の状態等、さまざまな要因が絡んでくることで、同じ作品を読んだとしても受ける印象が大きく変わってくるんじゃないか、なんてことを語り合いました。
確かに、その人の受ける印象は千差万別でしょうから、宮田さんの話を読んでも、なるほどと思う人、納得できないと感じる人、そうくるかぁと感心する人、何を言ってるか理解できない人、様々に別れそうです。
それでも、そうやって読み方を提示することで、その題材となる作品を知っている人と深堀をする楽しみが生まれそうですし、なんだかんだと言っても、同じ読書好き同士で作品について語り合えるというのは幸せなことだと思うのです。
そういう意味では、この作品は読者に読書をする楽しみを思い出させてくれる、そんな作品ではないでしょうか。
SNSもスマホもなかった時代。作品の良さを伝えるには、伝えたい相手と向かい合って、自分の言葉で必死にしゃべったものでした。
たまには、そんな時間もいいもんですよ。
それでは、ここからは触れてこなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。
本当に読みますか?ネタバレありですよ?
では、書いていきます。
さて。ネタバレといっても、この作品のキモは宮田さんがどのように相手をやりこめるのか読むことなので、あまり書くこともなかったりします。
宮田さんの話を聞いて、賛同できたか、納得できないか。
その受ける印象で、この作品の評価は大きく別れそうです。
ですが、上でも書きましたが、作者の意図はそこではなく、「みんな、もっと自由に作品を読もうよ!」ということがいいたいのではないかと思うのです。
上に書いた友人との話というのは、私が太宰の「人間失格」を面白いと思えないのに、何故高い評価を受けているのか?というところから始まりました。
私は太宰の人となりや生涯についてをほとんど知らずにあの作品を読んだので、「人間失格」とは「だらしない男が自分の良く見せようと思うばかりに表面を取り繕うだけで、何もできないまま転落していった話」と思っています。
友人は「人間失格」を読んだうえで「あの時代に精神的な弱さを表現しているのはすごいことだ」と語ってくれました。
なるほど、と思います。思うのですが、それは太宰が活躍していた時代背景を知っているのが前提での読み方となります。知らない人には伝わらない読み方でしょう。
そういった友人との会話があったので、本作を読んだときに「なるほど」と感じました。宮田さんの読み方は、細かい部分や一般的には気にないような情報まで頭に入れて読んでいるように思えます。それも一つの楽しみ方です。
そして、それを読書仲間に伝えるのはさらに楽しいでしょう。
そこで、伝えられた人が新しい読み方と受け入れてくれれば、さらに喜びは倍増しそうです。
私は表面上の楽しみしかできないような気がするので、宮田さんのような読み方はできませんが、宮田さんのような読み方を話してもらうのはかなりうれしいのです。
本作の中では、最後のエピソードである「藪の中」が好きですね。
藪の中に関する読み方はなるほどと思わせるものでしたが、そこから話が芥川本人への話に飛んでいく。なぜ芥川は自殺を選んだのか?
藪の中を読み解くエピソードなのに、話は夏目漱石の「こころ」に移っていく。「こころ」は、本作の最初のエピソードです。このあたりの話の持っていき方が素晴らしい。
最初のエピソードで「こころ」は百合小説だと衝撃の読み解き方をして、読者に作品の読み方の自由をまざまざと見せつけておきながら、最後のエピソードで「こころ」をもう一度取り上げ、芥川の自殺の理由は漱石の死に起因した殉死であると読み解いてみせる。
一つの作品でまったく意味合いが違う読みとり方をしてみせるという、この演出はなかなかできるものではないと思うのです。
もちろんこのような読み方は、作品についても作者についても熟知しているからこそできることであるので、私にはやはり無理です。
それでも、そのような仲間を作ることはできると思うのです。
そんなわけで、私の感想文を読んで、「おいおい。俺の・私の感想も聞いてくれよ!」という優しいお方、お待ちしておりますよ。