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「崩壊する日本の公教育」集英社発刊 テーマ 『子どもたちの教育を通して社会のあり方そのものを「問い直す」 』ゲスト: 鈴木大裕さん 久保敬さん 報告レポート 3時間半、過去最長時間イベント


今回のイベントの企画は、久保敬先生と、辻野けんま先生の外国人記者クラブでの会見の中継を、隆祥館書店でも、パブリックビューイングで同時中継したことで、教育関係者の方々とのご縁をいただいたことが、きっかけとなり始まりました。集まって下さった教育関係者のお一人、志水博子さんから鈴木大裕さんのことを教えていただいたのです。

これまでの教育関係のイベント、西郷孝彦先生の「校則なくした中学校、たった一つの校長ルール」の時は、不登校になっている親御さんたちにお声掛けしました。
参加者の8割は、保護者の方々でした。そこでは、先生が忙しすぎて、相談にも乗ってもらえない、「校長に相談してくれ」など言われた保護者の方々の不安な思いが寄せられました。そのイベントの時は、ひとりひとりの親御さんの質問に応える西郷先生の様子を見て子どもに対する愛を感じました。


前回の高田一宏先生の「新自由主義と教育改革 大阪から問う」の時は、これまでの大阪の先生方の人権教育への向き合い方を描いた上で15年前に、橋下徹氏が出した教育緊急事態宣言によってそれがどのように変わっていったか、を、徹底比較されていました。そこには、2023年、大阪府の高校生の不登校の数が、全国一になったことが書かれていました。それらを子どもたちの未来のためにも伝えたくて先生方の集まる集会に原稿を持ち歩いて、お邪魔しました。

集会では、先生方が、不登校の子どもの健康異常を発見し、子どもの権利として真摯に向き合う姿もありました。高田一宏先生の本のイベントの時は、参加者のほとんどが、教育関係者とジャーナリストでした。


そして今回、鈴木大裕さんの本、「崩壊する日本の公教育」の本のイベントでの参加者は、教育関係の方々、医師、臨床心理士、弁護士、保護者の方々、ジャーナリストと多岐にわたりました。

対談のお相手は、2021年、松井一郎市長に、提言書を出された久保敬先生にお願いしました。

最初の2時間ほどは、鈴木大裕さんが、今回の本に書かれていることを中心にさらに詳しくエピソードを交えお話ししてくださいました。

鈴木大裕さん

これまで感じていた違和感に対する答えが、言語化されていて、会場の現場の先生から、現実に起こっている教師の苦悩を全て話して下さったとのお声も上がりました。
 
これまで、新自由主義による教育改革が、先生方を忙しくさせているというその忙しさの原因は分かっていても、ではどうすればいいのか?という具体的なところまでいきませんでした。

久保敬先生と鈴木大裕さん


今回のイベントのテーマは、『子どもたちの教育を通して社会のあり方そのものを「問い直す」 』でした。

大裕さんは、「教員の不足をどう穴埋めするか、を問う前に、なぜこれだけ多くの教員が精神疾患に苦しんでいるのか、なぜ若者たちが教員になりたがらないのか、その原因を考えなければならない。いま求められているのは教育現場における「構想」と「実行」の再結合だ」と話されました。



「構想」とは、ものごとの全体としての内容、それを実現するための方法などについて考えをめぐらし組み立てることです。その「構想」を、教師が、できないような状況にされているというのです。

久保敬先生が、仰いました。
「『構想と実行』の結合ができず、実行だけさせられ、結果が出なかったら結果責任を負わされる。先生方にはなすすべがない」

お二人の話から、教師の方々の精神を病む構図が、浮き彫りにされました。



子どものことを真ん中に置いて一生懸命な先生ほど精魂尽き果てる、けれども、これほど子どもの心のことを思っている先生と保護者は一つになれる気がしました。

会場からの質問で、自動車関係の企業におられたという方からの質問がありました。
「新自由主義の先頭に立っていた人間としてこの主義は疑問に思うこともある、けれども今の社会では、経営者も個人も反自由主義的な態度を取っていたら生き残れない、どういう世界を目指すのか?自分は、新自由主義が良くないと思っているが、個人の力ではどうしようもない。残念ながら、変えるには、一旦破綻するしかないのではと思っている。どのように思われるか?」というものでした。

鈴木大裕さんは、応えられました。
「僕も、一旦破綻するしかないと思っています。資本主義があまりにも暴走してバランスが取れなくなってしまっている。豊かさの概念の再定義が必要、豊かさの概念があまりにも狭くなってしまっている。どこどこの大学を出て、幾らいくらの年収、それが豊かさになってしまっている。本を読むことの豊かさ、自然に触れることの豊かさ、土佐町に移ったことも、今の世の中に対するアンチテーゼは都会からは生まれない、お金では買えない豊かさに溢れた場所から、「豊かさ」を再定義したいと思ったから」と話されました。


そして、「真の教育改革をするためには、「豊かさ」の再定義、「成功」の道筋の多様化というのが無ければ真の教育改革はあり得ないと思っています。どんなにユニークな学校ができてもこの新自由主義的な考え方が変わらなければ、きっと家庭教師をつけるでしょう、予備校に行って補うでしょう。子どもが競争的な格差社会に最適化するようにするでしょう。親たちも不安で仕方ないのですから……、結局は「成功」の価値観の多様化なのです」と続けられました。

「新自由主義に抗おうとしたら民主主義の再生しかない」
「民主主義が衰退し権力が集中したから、権力を持っている側のやりたい放題になっている」など仰ってました。

「社会のあり方」という点で言うと、年に一度、サンデー毎日と、週刊朝日(休刊になり、AERAに引き継がれた)が、普段の5倍ぐらい売れる号があります。どこどこの高校から何人、東大に入ったか?掲載される大学合格者発表号です。大人が、豊かさの定義を狭めているのかも知れません。

臨床心理士の宝上真弓さんから、子どもの担任である現場の若い先生から教えていただいたエピソードのご紹介がありました。

子どもたちが、ハンドボールをすると喧嘩になってしまうので、喧嘩にならないように子どもたち自らが、ハンドボールのルール作りをしたというのです。これを決めて、効果もあったらしいです。


先生がトップダウンで降ろしてきたルールじゃなくて、子どもたちが、何で揉めてるか、自分たちで考えて、相談して、ルールを決めた。そしてその子どもたちが作ったルールを、他の学年にも伝えて、子どもたち自身に、考えたことが活かされるという実体験をさせた。そこに「民主主義の種」を感じたといいます。


大裕さんは、そのエピソードを聞いて、「ひとつ、言い忘れたことがあることを思い出した」と言われ、「アメリカの先生たちのテストのボイコットも、たったひとりの先生のひと言から始まった。この世界は、私という1人の集合体なのだ」と話されたのでした。

私も、何かできるかも知れないという希望を感じました。そしてそれぞれの現場で、頑張ってる人たちが集まった会場からも熱いものを感じました。


教育の目的は

・人間性の復活
・民主主義の再生
・「豊かさ」の再定義
これに尽きる。

大裕さんのこれらの言葉が、心に響きました。

最後に、大裕さんのお話で、とても怖いことに気づかされました。 

安倍元首相が、伝えられた「全国一斉休校要請」これは、単なるお願いに過ぎなくて全く拘束力はなかった。感染症などで、学校をお休みにする権限は首相にはない。文科省にもない。あるのは教育委員会なのです。それを、大阪が、真っ先に休校にすると言った。けれども、大裕さんが、電話で確認したが、臨時の教育委員会は開かれていなかった。

なんで教育委員会が発足したかと言えば、過去に政治が教育に介入し、子どもたちを戦争に送り出した、沢山の命を犠牲にした。その反省から教育と政治は一線を隔すためにも、それぞれの自治体にある教育委員会にその権限がある、それなのに、その教育委員会も機能していなかった。

これでは、過去の過ちを繰り返す恐れがあると思ったのでした。

すべてを書くことができません。けれどもぜひ関心をもっていただきたいテーマです。

非常に意義のあるイベントでした。隆祥館書店のホームペ-ジから、ぜひアーカイブ動画配信をお申込みいただきたいと思います。
https://ryushokanbook.com

鈴木大裕さん、久保敬先生、ありがとうございました。



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