
ふたりをわかつもの
恋人になれたわたしに遠くからゆっくり近づいてくるピピピピ
岡本真帆さんの『水上バス浅草行き』からの一首。
素直にとれば、「わたし」はきっと誰かと「恋人」になった夢を見ている。徐々に徐々に意識がはっきりしてきて、「ピピピピ」という目覚まし時計が聞こえる、という歌だろう。
しかし、まったくの初見だったときは異なる印象を覚えた。「わたし」は実際に誰かと「恋人になれた」、そんな世界線で近づいてくる「ピピピピ」とは何なのだろう。それはきっと、何か実体を持っている。
「ピピピピ」。目覚まし時計なら電子音のように響くが、これはホイッスルのようでもある。「わたし」をどこか遠くからのぞいている審判がいる。その審判は、「恋人になれたわたし」に笛を吹きながら近づいてくる。「わたし」は反則を犯してしまったのだ。
審判はどんな姿をしているのだろう。天使だろうか、死神だろうか。人間だとすると、恋愛リアリティーショーのスタッフだろうか。「トゥルーマン・ショー」のような絵面が浮かぶ。
なぜ反則なんだろう。「わたし」が結ばれるべきは別の相手だったのだろうか。それとも「わたし」は脇役で、物語に関わってはいけなかったのだろうか。
また、「なれた」がひらがななのもにくい。「慣れた」という漢字をあてた途端、がらりと印象が変わる。恋が成就したばかりの初々しいカップルからいきなり、倦怠期を迎えた二人にイメージが変貌していまう。
その場合、「ピピピピ」は「わたし」を「恋人」から理不尽に引き離す存在ではなく、「恋人」に「なれた」結果、雑に扱ってしまう「わたし」に引導をわたす存在になるのかもしれない。
一首のなかにさまざまな読みの可能性がある、味わい深い一首。
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