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東京都現代美術館『ライゾマティクス_マルティプレックス』に滑り込みしてきた!

*画像は写真撮影が許可された場所で撮影したものです。

東京都現代美術館(MOT)で開催されていた『ライゾマティクス_マルティプレックス』が、6月22日まで延期されたことを聞きつけ、なんとか本日21日に滑り込むことができたので、レビューを書いていこうと思う。

ちなみに、筆者はライゾマ展と『マーク・アンダースの不在』のセットチケットを購入し、両方見てきたのだが、アンダース展については理解がまだ及んでいないので、日を改めて書くことにしたい。

と、ここまで書いて青ざめたのだが、別にライゾマの方は理解できているというわけではないので悪しからず。あくまで、一個人がその場で受けた感動を、勢いそのままに独自の解釈を加えて認めた文だとして受け止めていただけると助かる。

だらだらと、前置きが長くなってしまったが、そろそろ本題へ入ろう。今回は、特に印象に残ったものについて3つほど所感を述べていきたいように思う。

1.Rhizome(エントランス)

エントランスには、「ライゾマティクスを象徴するオリジナルロゴとリゾーム(地下茎)をかたどった」(フライヤーより)映像作品が。
赤く光る根元と青く伸びる根が印象的なこの作品だが、筆者はこの色合いにどこかサーモグラフィーの感を覚えた。

赤い根元からは、まず太い根が伸びていく。それから、微細な根が伸びていく。
そして、根が伸びきると、すうっと消えていき真っ白な画面に戻る

この様子を眺めていて、筆者は思わずこのご時世の現状を想起せずにはいられなかった。
感染はねずみ算式に拡大していく。しかし、いずれはそれもすうっと消え去り、病は根絶し、もとに戻るのだ

恐らく、そんなことは意図されていなかったと思うが、筆者にはそんな力強いメッセージが聞こえたような気がした。
とても胸打たれるメインビジュアルである。

2.Rhizomatiks Chronicle & NFTs and CryptoArt-Experiment

エントランスを抜けて最初に入ると、左右両側の壁に一つずつ映像インスタレーションが流れている。
入って左側にあるのが「Rhizomatiks Chronicle」(ライゾマの歴史を可視化したもの)、右側にあるのが「NFTs and CryptoArt-Experiment」(NFTの現状をデータ化し可視化したもの)。
部屋全体が映像の一部のような不思議な体感だった。

それもそのはず、二つのインスタレーションにはリアルタイムで時が刻まれており、今、観客が見ているその瞬間も作品は製作されていたのである。
作品を目にする観客の眼差しを吸収し、その瞬間すらも歴史に取り込んでいく、そのような共同感覚が観客を観客から解放し、ライゾマの芸術世界に内包していく。
観客は、作品との距離感を一瞬にして狂わされ、自らの身体的境界を曖昧にさせられるのだ。

そして、それが一層効果的に、おぞましいまでに強調されるのが、続く本展覧会目玉のインスタレーション「Rhizomatiks × ELEVENPLAY “multiplex”」である。

3.Rhizomatiks × ELEVENPLAY “multiplex”

本記事は、このことについて書きたかったと言っても過言ではない。
ここには複層性が張り巡らされた、思わずゾッとするような美的体験が待っているのだ。

「Rhizomatiks × ELEVENPLAY “multiplex”」は、3層に渡る複合的なインスタレーション作品である。
メインの部屋では、広い会場を縦横無尽に動き回るキューブと部屋を彩るプロジェクションマッピングを体験できる。
その手前の部屋にはモニターがあり、メインの部屋での動きに連動して、ELEVENPARTYのダンスモーションが合成された映像が映し出される。
さらに、オンラインではそれらが可視化されたデータで楽しむことができる。
このように、現場・映像・オンラインの3つのレイヤーで楽しむことができる、この複合的なインスタレーションはまさに“multiplex”な作品だと言えよう。
その中で、会場で楽しむことができるのは、オンラインを除く2つである。

観客は順路として、まず、映像を先に見ることになる。映像では、本来はいないはずのELEVENPARTYのメンバーがキューブに合わせてダンスを繰り広げる姿が収められている。
面白いのが、映像が完全に録画な訳ではなく、一部リアルタイムの映像を使っているところだ。今、隣のメインの部屋で見ている人が、時折画面に映るのである。
ここで観客は、次は自分がこの映像インスタレーションの一部になることを自覚するのである。

その意識のままに、メイン会場へ入ると、幕間のカウントダウンが待っていた。
インスタレーションが再開するその時、「00:00:00」になるように作られたそれには、よく見ると数字の「0」の真ん中に「・」が入ったフォントが使用されている。
筆者には、どうにもその形が目にしか見えなかった。その時、先のリアルタイム映像の使用と、目の前のカウントダウンとが繋がった。

そう、インスタレーション開始とともに、筆者を含む観客は「見られる」のである。
作品開始のその瞬間、自分のあずかり知らぬところで、みな問答無用に作品に取り込まれるのだ。

ついにカウントダウンが終わり、作品が始まった。
すると、暗闇に星のように光る粒子が渦を巻き始める。
筆者はここでぐらりとめまいがしそうになった。
まるでインスタレーションに引き込まれるような思いがしたのである。

ゾッとした。とてつもなく奇妙な、悪寒とも言うべき畏怖が、身体中を駆け巡った。

話は、映像まで戻る。
映像では、本来はいないはずのELEVENPARTYが映っていた。
つまり、目の前の現実では身体を持たない人間が、ヴァーチャルな世界で受肉されて存在しているのである。
本来、人間とは物理的な現実において身体を有し、仮想的な非現実では肉体を失うもの。
このインスタレーションでは、その関係性が見事に逆転しているのだ。

話を、メインの部屋に戻そう。
前の部屋で映像が起こした身体性の逆転を意識していた筆者は、最初の光の渦を見て、ゾッとした。
インスタレーションの中では、肉体を持っていることが現実を保証しないからだ。
現に観客は同時進行の映像インスタレーションに取り込まれてしまっていることを自覚しているのである。
そうして、今の自分が現実の側にいるのか、ヴァーチャルの側にいるのか、その境界が限りなく曖昧になっていく

少し言い過ぎのきらいもあるが、筆者の身体を通り抜けた奇妙な悪寒は、言語化すれば大方このような感覚であったように思う。
こうした身体性の逆転による、現実と仮想の境界の曖昧化は、現場でないと体験できないだろう。

4.まとめ

以上、特に印象に残った作品を紹介した。
本当は、後半の作品群も紹介したいのだが(「particles 2021」は圧巻だった)、筆者もうまく飲み込めていないため、時間の都合上泣く泣くカットさせていただきたい。

『ライゾマティクス_マルティプレックス』は観客との相互作用を重視した、最高のインスタレーションだった。
残念ながら明日で展覧会が終了してしまうが(恐らくチケットも売り切れ)、「particles」のように再演される可能性を信じて、首を長くして次の機会を待ちたいと思う。

東京都現代美術館(MOT)のサイトはこちら↓
https://www.mot-art-museum.jp

Rhizomatikusのサイトはこちら↓
https://rhizomatiks.com


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