常に素人であり続ける
浴槽を掃除する順番を変えてみる。
身体と髪を洗い、上がる直前に浴槽を掃除していたが、その前に浴槽を掃除してみる。
ほんの気まぐれだ。
こんな些細なことで、世界は変わるだろうか。
変わる。
そう断言できる。
箱根彫刻の森美術館の作品を思い出す。
一つの建物の中に縄が張り巡らされていて、滑車を介してその縄はどこかへ繋がっている。
何が起こるかわからないまま縄を引いてみると思いもよらないところでリュックが持ち上がる。
他の縄を引いてみても何も起こらない。
自分が何かをしたらわかりやすい何かが起こることに慣れているので、拍子抜けである。故障なんじゃないかとすら思ってしまう。
その建物を外から眺めてみる。
誰かが縄を引いたことにより、外壁に吊るされていたリュックが持ち上がっていた。
ぼくらはつながりの中にいる。
一部分を切り取って、自分に都合の良いところだけ変えるなんてことはできやしない。
雀鬼・桜井章一さんの言葉を思い出す。
「麻雀だけ強くなろうったってそうはいかない」
ぼくらはどうしようもなく関わり合っている。
「となりのトトロ」を一度でも観てしまったら、観る前には決して戻れない。
世界の、そして世界の一部である自分は変わらざるを得ない。
Yielding Embodiment®︎ワークショップで印象に残っている言葉がある。
「常に素人でありつづけること」
セッションに限らず、すべてにおいてそうなんだ。
その時になにが起こるかはわからない。
でも、必ずなにかが起こる。
そのことに想いを馳せると、ぼくはやさしい気持ちになる。
Yielding Embodiment®︎セッション
ごきげんラボ 流生
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