欲する(ほっする)をゆるす。
「いま、何が欲しい?」
そう問いかけられても、何も浮かばない。
それが通常だった。
物欲がない。
なにかを所有することに興味がない。
虚無に陥って、そういう思考になっているわけでもない。
自分がなににお金を使ってきたかを振り返ってみる。
何かを学ぶこと。
そのことに一番お金をかけてきたように思う。
なぜ、なにかを欲しいという想いが浮かないのか。
そのことについて考えたい。
専門学校の費用を稼ぐためにバイトに明け暮れて節約生活をしていた時の名残り?
たしかに当時は、「欲しがりません、勝つまでは」をモットーにしていた。
でも、それ以前からなにか形あるものを欲するということが少なかった。
最近、ふと気づいたことがある。
先にも述べたように、これまで「学ぶ」ことにはお金をかけてきた。
本を買ったり、セミナーやセッションに通ったり。
でも、モノにお金を使うことに関しては何も浮かんでこない。
これは、自分の中で「欲する」対象に上下をつけているからではないか?
つまり、無形は良い、有形は良くない。と。
さらに、もう一つの気づきがあった。
「学ぶ」って体験。
あれ?
何かを買うも体験。
買ったものを使うのも食すのも体験。
ぼくは何を線引きしていたんだ?
「欲する(ほっする)をゆるそう」
そんな想いが浮かんできた。
その瞬間にからだがゆるんだのを感じた。