![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/122208843/rectangle_large_type_2_73a31a7966950002915e5baf23d4aa2b.png?width=1200)
Photo by
miyuna1141
恐れと「あるね」
今日は畑で「間引き」を行なってきた。
間引きとは、生えてきた新芽から元気そうなものを選び、他のものを抜く作業のこと。
違う言い方をすると「いのちの選別」である。
ぼくはこの間引きが好きではない。
新芽を抜くたびに、胸にズキっとした痛みが走るのだ。
自分が不快感を覚える事象は、自分の内側を知るチャンスだ。
たくさん生えている新芽の中から選ばれて用済みとされる、、、
これに痛みを覚えるぼくは、「必要とされない」ことに恐怖を抱いているのだろう。
役に立たないと認識されたら不要とされ、この世界で生きていけなくなる。
大袈裟ではなく、こんな思い込みがあるのだ。
この思い込みがあるために、克服しようとするか(この場合だったら、より大きく育って生命力をアピール?!)、逃避するか(あきらめていっそ枯れてやる?!)の行動をとることになる。
ここで、こんな思い込みはダメだ!なんとかしなければ!となると更なるストーリーに巻き込まれることになる。
そんな時は、「こんな思い込みもあるね」。
それでも、こんな思い込みはダメだ!という思いが浮かんできたら、「それもあるね」。
人間として生きる以上、様々な思い込みがあるのは当然。
それを否定せず、ただ「あるね」と受容していく。