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「感じていることに気づく器」

昨日は年明け初のセッションでした。
リピーターの方だったのですが、前回とは違う体感があって面白かったと、セッション後に話してくれる表情がキラキラしててワンダホーだった。

人が自身の深い何かに触れた際、その時の衝動のようなものが伝わってきて、こちらの深いところの何かも動く。
お互いの発するものが伝わり合う。

イールドワークは「間合いと共鳴」を利用して行う技法なので、
セッションの時の空間は、日常に比べてその純度が高まる。
高まる分、お互いの情報のやり取りがよりダイレクトになるので、関わり方が繊細に丁寧になる。
プラクティショナー(施術者)が意図を持った視線を向けるだけで(ポジティブ・ネガティブ関係なく、というかポジティブ・ネガティブという分け方のないパラダイムの中で進んでいく)、クライアントの身体は即時に反応する。

日常に比べて純度が高まると書いたが、日常でも同じようなことは起こっている。
だが、ぼくらは色々なことを感じながらも、気づかないようにして過ごしている。
否応なしに飛び込んでくる情報量が多いので致し方ないのだが、「感じていることに気づかない」がデフォルトになると、その土壌がどんどん荒れていってしまう。
そうすると、本当は嫌なこと、好きなことすらわからなくなってしまい、ただ強い刺激に反応して日々を過ごすことになる。

では、そうならない為にはどうすればいいのだろうか?
その為には、「感じていることに気づく器」としての身体を育てていくことだ。
耕していく。の方がイメージに近いかもしれない。

身体は常になにか情報を受け取り、反応し続けている。
常に感じ続けている。
感じないのではなく、感じていることに気づいていないのだ。

刺激にただ無自覚に反応し続けるのではなく、感じていることに気づくように耕していく。

その方法については次回。


ごきげんラボ

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