凡人を自覚し、生きる
人はどこかで自分は天才だ、大したものだと思っている。
お笑い芸人、南海キャンディーズ・山里亮太さんの著作に
『天才はあきらめた』という自伝作品がある。
自分はお笑いの天才だと思っていたが現実にぶつかり、挫折し、そして、、
という作品だ。
山里亮太さん(以下、山ちゃん)のスゴいところは、ちゃんと現実を知り、ぶつかるところまでいっていることだ。
人間の感覚は大したもので、自分が傷つきそうな事はニョロリと避ける。
様々な言い訳を瞬時に用意して、モノゴトの核心までは踏み込まず、周辺にさわっと触れただけで知っているような顔をして、自分が傷つかないようにする。
しかし、山ちゃんのすごいところは、ぶつかってちゃんと落ち込んで、(ひねくれて)、努力しまくるのだ。
人は凡人を自覚してから、初めて始まるのではないだろうか。
自分は凡人であるということをアタマではなく、身をもって知る。
そこから身が動き出す。
ぼく自身も漏れなく自分を天才だと思っていた。
自分が傷つかないように、何の天才かさえ知ろうせず、何かをやれば何かになれると、ふわふわと日々を過ごしてきた。
それがここ一年で凡人であることを身をもって知り続けている。
それは逃げていない証だ。
逃げないぼくって天才じゃね?とすぐ調子に乗りかける。
傷つかない方向に自分を運ぼうとしかける。
そこでもう一度自分に問いかける。
またそうやって日々を過ごしていくのかい?と。
傷ついて落ち込む体験を自分から奪ってはいけない。
全部をこの身体で体験する。
天才をあきらめて、凡人を自覚して生きる。
生きている実感がビリビリする。
いのちが喜んでいる。
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