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3/24(金)どんなセッションをしていきたいのか?
5:20起床。
眠い眠いねずみは、お腹が空いたよ。
今日は都内の歯医者へ三ヶ月に一回のクリーニングとチェック。
歯が割れるくらい歯軋りが強いので(歯軋りって強い弱いって言うのかな?)、定期的にチェックしてもらっている。
歯軋りの影響で前歯に隙間が出来ているらしい、、、
マウスピースはしてるけど、なんも解決になりゃしない。
身体の使い方なのかなぁ。
情報求む。
帰りがけになんとなくブックオフに寄ったら、『真田太平記』がセット売りしていたので購入。
「なんとなく」「なんか」に理由をつけずに行動していく。
話は変わるが、”どんなセッションをしていきたいのか。”ということが
ここしばらく自分のテーマになっている。
和葉さんのセッションでも、先日のWSでもこの話が出た。
夜、ふとFacebookを開くとイールダー仲間の馬渕さんがこれに関する投稿をしていた。
私は癒しじゃなくて、yieldとT&Fを使ってこの世界を生き抜くサバイバルの技法を探求・伝えていこう。
WSでの体験を経て、方向性が定まったらしい。
この投稿を受けて改めて考えてみる。
こういう時に陥りやすいのは、自分にないものへの憧れだ。
人は「自分ではないもの」になりたがる習性がある。
自分にはないものだと感覚でわかっているからこそ羨ましく感じ、そこにシビれる憧れる。
そして何度も身を持って「あ、ちがう」「あ、またちがった」を体験する。
どんなセッションをしていきたいか?という問いは、自分とは?とイコールだ。
自分にないものは出ない。
自分にないものを出そうとしている姿は、周りからみると痛々しく感じられる。
あぁ、身悶えするような恥ずかしい過去がいくつも浮かんでくる(笑)
とてつもない偶然の重なりで成り立っている「いまの自分」はどんなだろう?
ぼくがよくパートナーに言われるのは、「いつもごきげんでいいね〜」ということだ。
なんかよく知らんけど、なんかいい感じでいることが多いらしい。
たしかに、よくDA PUMPの『ごきげんだぜっ!』を口ずさんでいる。。。
なので、ぼくが「どんなセッションをしていきたいか?」と問われたら、
「ごきげんを体感してもらうセッション」ということになるだろう。
"なんかいい感じ"な身体の状態を体験してもらう。知ってもらう。
なんか素敵やん。
なんか決まった気がする。
明日以降、伝えるために「ごきげん」を言語化する方向に気を向けていこう。
おやすみなさい。