【夢日記】バスケ部のミーティング後の練習でイップスを疑うも、最後に気付けたことは・・・。
※夢の内容上、バスケ未経験者の方には「???」と感じる部分も多々あるかもしれません。一応、専門用語等が出て来た際は分かりやすく解説されているサイトのリンクを貼っておきましたが、分かりづらい箇所があれば、ごめんなさい。
高校時代の夢を見た。
バスケットボール部のチームメイトであり、キャプテンも務めていたYと、一応、副キャプテンを務めていた僕が、最近の部活動の状況であったり、部員のプレー姿勢などについて、かなり真面目なトーンで、意見を交わし合っていた。
「意見を交わし合う」と書いたものの、話を切り出すのは、ほとんどがYであり、僕が聞き役にまわることの方が、圧倒的に多かった。
また、話の内容も、どちらかと言えば、ダメ出しに近いモノであり、聞いている僕自身、耳が痛いモノもあれば、気の毒に思うモノもあったりして、正直、辛くなる部分もあったけれど、Yの指摘は、いささか辛辣と思えても、的を射た内容が多く、確かにその通りだよな、と感心させられる面も多分にあった。
Yが指摘した内容を大きく2つに分ければ「声出し」と「スタート&ストップ」という、基本中の基本、とも言うべきものだった。
「声出し」に関しては「とりあえず声を出そう」という感じが強まっている気がするから「意味のある声を出そう」に意識を切り替えた方が良い、という指摘を受けた。
つまり、声を出すことが目的、なのではなく、プレーの質を高める手段として声を出す、そういう意識付けがチームに浸透していない、あるいは、最近はその意識が希薄になっているから良くない、そんな内容だと僕は受け取った。
※「スタート&ストップ」に関しては、バスケをやったことが無い人はイメージし辛いかもしれないが、要するに、プレーにメリハリが無く、全体的に流れた感じになっているから、基礎の部分を、一つ一つ見直す良い機会じゃないか、という指摘だった。
一応、参考までに、「スタート&ストップ」について、分かりやすく解説されているサイトを載せておくことにする。
このサイトになぞらえば「スタート」に当たるのが「基本姿勢」であり「ストップ」に当たるのが「止まり方」となる。
要するに、スタート、動き始める動作が、何となくボンヤリ動き出す感じで、ストップ、味方からパスされたボールを受け取ったり、1on1(オフェンスとディフェンスの1対1のプレー)の動作に入る際、止まり切れず、何となく流れている感じ、一言で言えば、キビキビとしたプレーに欠けている、そんな内容だと僕は受け取った。
いずれも、Yの指摘はもっともだ、と僕は感じたのもあり、先ほどの話をチーム全体で共有して、2つのことを意識して今日からまた頑張っていくぞ、といった軽いミーティングを行い、練習へと入っていった。
ミーティングの雰囲気は、僕から見る限りでは、概ね悪くなかったし、他のチームメイト達も、キチンと話を聞き取ってくれて、手綱を締め直そう、といった感じであったと思う。
しかし・・・。
ツーメンが始まってから、何だか、様子がおかしい。チーム全体、いつも通りのプレーが、出来ていないようにうつる。いや、正しく言えば、キャプテン以外の選手が、何だかおかしい。キャプテンのYだけが、いつも通りプレーしてる、そんな感じだった。
※やはりバスケをやったことが無い人からすると「ツーメンってなんぞや?」と感じると思われるので、ココに関しても、先ほどのサイトで分かりやすい解説がなされているので、参考までにリンクを貼っておく。
今回の話に「3人クリスクロス」は出て来ないので、そこは置いておくとして。
ツーメンの解説動画ではパスまでで終わっているのだが、ゴール下まで来て最後にレイアップシュート(スラムダンクで言うところの「庶民シュート」のことなんだけど、良く分からない人はスルー推奨)を決めて終わり、そんな絵をイメージしてもらえると助かる。
「何だかおかしい」と感じる様子を具体的に書いておくと、
「パス」で言えば、パスを出し合う際、相手の進行方向から逸れた場所に出して、上手くキャッチ出来なかったり、あるいは、進行方向を予測せず、パスを出す際に居た場所に出してしまい、やはりキャッチ出来なかったりと、正直、お粗末と言わざるを得ないパスミスが目立つのが気になったり。
「シュート」で言えば、ツーメンのレイアップシュートは、それほど成功率が低いわけではないにもかかわらず、シュートミスが目立つのが気になったり。普段と比べて明らかに「ナイッシュー」(シュートが入った時の掛け声)と言ってる割合が少なくないか、と思うぐらいには、入っていなかったように思われた。
そして、これは僕自身の違和感なのだけど、「ステップ」が、普段とは異なる感じで、全体的にプレーがぎこちなくなっている気がした。
それは、他のチームメイトのプレーから感じる異変が伝染したのかもしれないし、単に、僕の調子の問題かもしれないし、もしかしたら、僕が発端でチーム全体に悪影響を及ぼしたのかもしれない。ハッキリとした理由は分からないけれど、とにかく「あれ、なんかステップの感じがおかしいな・・・。」というモヤモヤを抱えながらプレーしていたのは確かだ。
※「ステップ」も、おそらく、バスケをやったことが無いとピンと来にくいと思うので、みたび、先ほどのサイトの解説を利用させていただくのだけど、ちょっと、僕が夢で見た内容と動画の内容が、違うかも。あくまでも参考程度、なので、良しとすることにしよう。
おそらくこの動画は、練習を始める際のアップに利用されることの多い「フットワーク」のドリルだと思うのだけど、僕の場合は、ツーメンを行なう際のステップが、どうにもしっくり来ないな、いつもと感じが違うのかな、そんな違和感を覚えていた。
当然、どこかモヤモヤしながらプレーしているわけで、前述した「パス」や「シュート」にも支障を来すこととなる。明らかに絶不調、というわけでもないが、自分自身、プレーに納得が行かないといった感じで、フラストレーションが溜まってしまう、そんな感覚があった。
とはいえ、どこか様子がおかしい、とは思いながらも、練習の雰囲気自体は、決して悪くはなかった。
特に「声出し」の部分は、プレーの良し悪しを問わず、各々の心掛け一つですぐに変えられるものでもあるため、お互いがお互いを鼓舞し合い、尚且つ、意味のある声掛けを行なうことが出来ていたように思われた。
ただ、いかんせん、全体的に、プレーの精度が悪い、と言わざるを得ないぐらいには、みんな、調子が良いか悪いかで言えば、調子が悪そうだった。これは紛う方無き事実である。
僕もまた、精力的にプレーするかたわら、自分のことだけではなく、チーム全体を俯瞰して、「なんでぎこちない感じにうつるんだろう・・・。」と、思いを巡らせていた。
そこで思い至ったのが「イップス」だった。
これはバスケ用語ではない、むしろ、スポーツ界では、野球に用いられることが多い印象があるし、場合によっては、日常生活の雑談レベルで、冗談混じりに用いられたりもするので、補足説明は必要無いかもしれない。
簡潔に述べておくと、技術的要因ではなく、精神的要因によって、今まで出来ていた動作が出来なくなってしまう、そんな意味だと僕は解釈している。
もしかすると「スタート&ストップ」の意識が、僕も含めた、キャプテン以外のチームメイト全員、過剰に意識し過ぎてしまったことで、それまで、無意識に出来ていたプレーが、上手く出来なくなってしまったのではないだろうか、そう考えたわけだ。
僕の場合で言えば、メリハリをつけたプレーを意識するあまり、必要以上に緩慢さを無くそうと思い過ぎて、逆に、普段、自分がどうやってステップを踏んでいたのか、どうやってタイミングを取っていたのか、そういうのが、分からなくなってしまったのかもしれない、と感じて来たのだ。
”意識&無意識”
そのワードが脳裏に浮かんだ状態でしばらくプレーを続けながら、僕は、また別のことを考え始めた。
「いや、結局は、僕の技術不足なのかもしれない・・・。」
「だったら、イップスと決め付けるのは違うのか・・・。」
要するに、それまで、無意識に行なうことが出来ていたステップは、特に意識する時期も無いまま勝手に身に付いていた動作、であったからこそ、いざ意識してみると、いつものようにプレーが出来なくなってしまうぐらい、脆弱(ぜいじゃく)なスキルだったのではないか、と。
であるならば、「イップス」という言葉で終わらせてしまわず、もう一度、基礎の基礎の部分から見直して、全体的なプレーの向上に繋げるチャンスと捉えるべきではないか、と。
もしかすると、他のチームメイトも、僕と似た意味合いで、普段と比べて上手く行っていない面が、あるのかもしれない、と。
そして、キャプテンのYは、それを全て見越した上で、「スタート&ストップ」を意識してプレーするよう、チームメイト達に声を掛けたのかもしれない、と。
だからこそ、お粗末に思えるプレーが目立っている中でも、取り立てて何も言うことはなく、自身が為すべきことに集中して取り組んでいるのではないか、と。
つまり、お粗末なプレーを見過ごしているわけではなく、「スタート&ストップ」を意識すれば、最初は上手く行かなくなる部分が目立つであろうことを事前に想定していたからこそ、何も言っていないのではないか、と。
そこまで思い至った僕は、改めて、Yに対して、リスペクトの念を強めた。
そのリスペクトとは、バスケットの技能の高さ、洗練さはもちろんだが、それ以上に、チームメイトのプレーの熟達度をはかる目利きの確かさ、そこに僕は、さすがキャプテンだな、と思い直したわけだ。
僕の中で腑に落ちたところで、現実世界の僕もまた、目を覚ました。
【あとがき】
今回の夢の内容は、最後にYのリスペクトの念を強めることとなったのだが、実は、この類いの夢を、頻度はさほど多くないにせよ、定期的に見る気がするな、と思う自分が居たりもする。
なので、もしかすると、今後も、Yは出て来ることがあるかと思われる。それぐらい、僕を形作る上で、切り離せない人物なのかもしれない。
そのことを踏まえた上で、正直に打ち明けておきたいのだけれども、当時の僕は、Yに対して、あまり、心を開くことが出来なかったように思われる。
本文で記したように、Yは、言いにくいこともハッキリと物申すことが出来るタイプ、つまり、嫌われ役をいとわない人間であったのだが、その部分が、僕は、今よりもっと未熟な高校生の頃は、真正面から受け止め切れていなかったな、と感じることが、たびたびあるのだ。
我ながら情けない話であるのだが、僕は、嫌われ役になれない人間だ、と自覚している。それは、Yと僕の関係性の原体験から来ているものだと、僕は理解している。とてもじゃないが、Yのような言動は僕には取れそうにもないと、当時の僕は感じていたし、その感覚は、十年以上経って、アラサーと呼ばれる年齢になった今も、全く変わっていなかったりもする。
だけど、今の僕は、当時の僕とは異なり、それでも良いんじゃないかな、と思っていたりもする。それはなにも、臭い物に蓋をしよう、だとか、見たくないものから目を逸らそうといった、ネガティブな意味合いではなく。言わば、良い意味で諦めてしまう、そんなポジティブな意味合いで。
つまり、当時の僕が取った行動、キャプテンと他のチームメイトの仲介役のような存在を目指そう、と考えたのは、やはり、間違っていなかったんじゃないかと、今の僕もまた、感じることがあったりするわけだ。
”適材適所”
これまでの人生体験を通して、人間はないものねだりの生き物であると、僕は思っている。だけど、自分に無い物を沢山見つけて、あの人は持ってるけど自分は持っていない、などと嘆き悲しむよりも、自分が誇れる物はコレだ、この部分は(実際にどうかは置いといて)誰にも負けないと思えるぐらい自信があるぞ、と思えるものを、たった一つで良いから見つける、それを見つけることが出来たならば、本当に誰にも負けないぐらいまで、丹念に丹念に、磨き上げていく・・・。
それが「自分らしく生きる」ことだと、今の僕は、信じているから。
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