2024年5月13日(月)|入浴中の「ギイギイギイ」に戦慄
今日、晩御飯を食べて、お風呂に浸かっていたら、突然、
「ギギギギ・・・」
「ギギ・・・」
「ギィ・・・ギィ・・・」
みたいな音が聞こえて来て、僕は、湯船に入っている状態で、四方八方、キョロキョロと辺りを見回した。
「今の音はいったい・・・」
「何も異常は無さそうだが・・・」
「建て付けが悪いのだろうか・・・」
「でも初めてだぞこの感じは・・・」
注意深く観察したのだが、どこにも不審な点は見当たらなかった。けれども、少し経つと、また、
「ギッ・・・ギッ・・・」
「ギッ、ギッ、ギッ、ギッ、」
「ギィ、ギィ、ギィ・・・」
「ギッ」ばっか書いてたら「里崎チャンネル」で里崎智也と袴田彩会が「ギッテンス!」って叫んでるシーン思い出してもたやないか。
コホン。(閑話休題の合図)
僕は、次第に、気持ちが悪くなって来た。何にも異常は無さそうだが音は確かに聞こえてくる。こいう状況が僕は一番苦手なのだ。
“理由は分からないがいつもと明らかに異なる”
なんでもそう。「よくわかんないけど不具合直ったよー!」とかマジやめてほしい。それだったら、「○○という不具合が起きてることが分かったんだけど、残念ながら直んなかったわ・・・。」の方がまだマシ。
マシっていうか、断然良い。なぜならスッキリするから。「あぁなるほどね」と思えるから。「それだったら諦めも付くよ」と思えるから。「えっ?原因分かんなかったの?じゃあまた再発する恐れがあるってこと?」とビクビクし続けなければならない方がよっぽど嫌なのだ。
ここで僕は、太宰治『トカトントン』の終盤の部分を思い出す。さすがに文章全体を記憶してはいなかったが、大体のイメージは、記憶に残っていた。それがわざわいして、「ギイギイギイ」という、謎の異音問題を深刻化させたのは、言うまでもないが。
せっかくなので、該当部分を引用しよう。
これを今日の僕の入浴シーンに置き換えると、
湯船に浸かって、ギイギイギイ、バッと振り返ってみても、ギイギイギイ、眉間に皺を寄せてみると、アレッ、鳴き止んだ。向き直って、肩まで浸かり、心身をリラックスしようとすると、ギイギイギイ、もう気にするまいと心に誓うも、ギイギイギイ、まさか昆虫の鳴き声ではなかろうかとハッとしても、ギイギイギイ、たまらず振り返ると、アレッ、また鳴き止んだ。風呂場全体を見回す。何も異常が無い。今は異音も鳴っていない。湯船に浸かっても落ち着かなくなってしまった。忘れた頃に、ギイギイギイ。もう辛抱たまらんと言わんばかりに、僕は風呂場を後にしたのだった。
ざっと、こんな感じであろうか。
ちなみに、太宰治『トカトントン』は、こんな奇怪なメッセージを残したまま、終わりを迎えることとなる。
僕も、太宰治に見習って、風呂場で経験したギイギイギイから着想を得て、有る事無い事、出鱈目に書いて、創作の一助にしてやろうかしら、と思った次第である。
いや、それもまたウソだ。僕は何とも思っちゃいない。けれども、ギイギイギイ、この音は、今後も、いや、もっと言えば、(僕自身は誇張表現だと思っていないのだが)、一生涯、尾を引くような気がしてならない。
例えば、電車に乗ってて、ギイギイギイ、とか、喫茶店で取引先の人とお話している時に、ギイギイギイ、とか、バッティングセンターのピッチングマシーンの付近から、ギイギイギイ、とか、田舎暮らしで畑仕事に精を出している友人の家に泊まったら草むらの辺りから、ギイギイギイ、とか、挙げ出せばキリが無いぐらい、様々なシチュエーションが思い付いてしまう。
そう。「トカトントン」も「ギイギイギイ」も、ありとあらゆる場面で、“突然鳴ったらメチャクチャ気になる不快な音”という共通点があるのだ。
ここまで考えると、「不快にさせられる音のせいでせっかくのリラックスタイム(入浴)が台無しだわ…。」と不平不満を漏らすのではなく、「太宰治と同じような体験が出来たぜ!わーい!」と喜ぶことも出来やしないだろうか?
「ギイギイギイ」を「太宰治『トカトントン』」と結び付けることが出来た僕は、怖いもの知らずなのである!どうだまいったか!エッヘン!
【P.S.】
「怖いもの知らずなのである!」と書いて、みんな大好き『地獄先生ぬ〜べ〜』のオープニングテーマ、「今日から一番たくましいのだ〜♪」「お待たせしましたすごいやつ〜♪」が脳内再生されたので、曲のリンクを貼っておくことにする。
ええ歌やなぁ。(小並感)
細川美樹ええおっぱいやなぁ。(小並感)