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【3216字】2024.06.22(土)|🍺『アド街ック天国』の井ノ原快彦の発言に物思う

<前置き>

ここのところUPしている「桜桃忌を肴に、くっちゃべる。」だが、今日は土曜日ということで、酩酊状態にあるので、1日空けることにする。代わりに、お酒を飲みながら視聴していた番組『アド街ック天国』で、井ノ原快彦の発言をピックアップして、自分が感じたことを、徒然と書いていきたい。

なお、酒に酔った脳で視聴して、酒に酔った脳で執筆しているので、内容の正確性は保証出来ない。ただ、特定人物の名前を持ち出す以上、失礼の無いように、という意識だけは忘れぬようにしているつもりではある。

あくまでも”つもり”なので、失礼に当たる表現があれば、是非ともご指摘願いたい。該当部分は即刻削除するか、あるいは、書き換えさせえていただく所存である。


【カラオケの選曲問題】

井ノ原快彦(MC)と片渕茜(MC補佐的立ち位置の女性アナウンサー)が「上司も一緒に居る時のカラオケは何を歌うべきか?」というテーマを論じ合っていた。

井ノ原快彦は「上司の人の世代に合わせた選曲をするっていうのも『気に入られようとしているんじゃないのか?』と思われるのが嫌でなかなかねぇ…。」と言ったら、片渕茜は「えっ、ホントですか!?」と驚いた後、「私は『天城越え』を練習しましたよ!」とカミングアウトした。井ノ原快彦は「それは間違いないね~」と相槌を打った。

会話はここで打ち切られた。

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「イノッチってそんなこと考えるんや・・・。」

率直な感想である。まるで僕みたいなことを言っている。イノッチが。あのイノッチが。あのイノッチだぞ?天下のV6だぞ?『学校へ行こう!』だぞ?怖いもの無しじゃないか。わざわざ自ら上司に媚びへつらわなくとも、向こうから近寄ってくれるまであるぞ?いや知らんけど。でも少なくとも僕と立ち位置は天地がひっくり返っても違うだろ。なのにあの発言はいったいなんだったんだ。

そりゃあ片淵さんもああいうリアクションになるだろ。むしろあの流れからよく「私は『天城越え』を練習しました」ってエピソードを披露できたなと思ったわ。感心する。もしも僕だったら、相手の話に合わせているかもしれない。心の中では「えっ、俺、思いっ切り、相手に合わせてるんですけど…。」と思いながらも、「そうっすねぇ…。」とか「ほんまっすねぇ…。」などと、相槌を打ちつつ、相手の出方をうかがいながら、自分の立ち居振る舞いを見極めようとする気がする。いけ好かない。いけ好かないねぇ。我ながら。

その点、自分を貫いた片渕さんはアッパレだ。この人のことは良く知らないけれどあの一瞬で好感度が上昇した。多分、最近、代わったんだよね。女性アナウンサー枠が。前は別の人とイノッチが掛け合い漫才みたいなことやってた気がする。そこまで熱視線を送っていたわけではないんだけど。「あぁ代わったなぁ」ぐらいのテンションだったが、これを機に注目するかもしれない。「ラブストーリーは突然に」とは良く言ったもんだ。

どうでもいいけど「片渕茜」の「茜」っていいよね。好き。『らんま1/2』の「あかね」も好きだし。あの「あかね」は「天道あかね」だったと思うけど。「天道茜」でも良かった。おぉなんかカッケー。初めて字面を並べてみたかも。フルネームで漢字3文字、最後は「茜」で終わるという、このバランスの良さである。

「茜」と言えば、大学院で同じコースに所属していた女の子にも居たな。やっぱりステキな子だった。「茜」と名の付く子に悪い子は居ない。青森出身の子だった。声のトーンと話すテンポが凄く耳心地が良かった。話す内容どうこうよりも、一緒に話しているだけで、心が安らぐ気がした。あの子のおかげで「青森」に対するイメージが爆上がりした。

そういえば、番組内で、片渕さんは「佐賀出身」と答えていた。「佐賀ソングと言えば?」と言われて「はなわ」の『佐賀県』を紹介していた。みんな大好き『佐賀県』。「S!A!G!A!佐賀~♪」。一度聴いたら忘れない中毒性。それに匹敵する魅力を持つ片渕茜。一度見たら忘れない中毒性。もう一度言う。「茜」と名の付く子に悪い子は居ない。


【小中高の校歌覚えてる?】

井ノ原快彦と片渕茜が「通ってた学校の校歌って今でも覚えてる?」というテーマを論じ合っていた。

片淵茜は「そりゃ歌えますよ~。小学校も中学校も高校も」と、自信をもって答えた。井ノ原快彦は、驚いたような表情を浮かべながら「ホントに!?中学校と高校の校歌を今でも覚えてるの!?それは真面目だわ~」と返した。続けて「じゃあちょっと歌ってみてよ!」と話題を振った。

片淵茜は「えーっと…。」と考え込むような仕草を見せた。井ノ原快彦はニヤニヤした視線を送った。片淵茜は「我らの…。」と呟いた。井ノ原快彦は「『我らの』って歌詞は大体どの校歌にも出て来るんだよ!」とすかさずツッコミを入れた。スタジオ全体がワッと笑いに包まれた。

ここで会話は打ち切られた。

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「中高の校歌を覚えてたら真面目なのか・・・。」

正直、「え?なんで?」と聞き返したくなる一言だった。片渕さんは引っ掛かりを覚えなかったのだろうか。それとも「まぁ確かに私は真面目だったな…。」と特に違和感無く受け入れたのだろうか。ただ、その後の展開を考えると(「我らの…。」と呟くのがやっと)、”真面目だったはずが不真面目だった”の烙印を押されたのと同義なのであるが、それについての物言いは無いのだろうか。気になる。非常に気になる。「TVer」とか「公式YouTubeチャンネル」とかで、未公開シーンをUPしてるんだったら、見に行くレベルで見たい。まぁ今日寝たらその欲は跡形もなく消え去って居るだろうが。

片渕さんの見解も気になるところだが、イノッチが、なぜ「中高の校歌を大人になった今でも歌える人は真面目である」という趣旨のコメントを残したのかも、やはり気になる。その論理に当てはめるなら僕も真面目ということになってしまう。「なぜ今でも覚えているのか?」と言われたら「長期記憶化されており必要が無くなっても取り出そうと思えば取り出せるところに収納されている」と答える他は無い。

果たして、その状態を”真面目”と呼ぶのだろうか。僕に言わせれば、答えはNOだ。なぜなら、必要が無くなった情報をいつまでも残し続けるということは、デメリットしか生まないと考えるからだ。ではなぜ、いつまでも残し続けているのか。その答えについて僕はこう考える。新たな情報のインプットの絶対量が他の人と比べて著しく欠けているからであると。

無論、人間の記憶領域は、個人差があって然るべきだろう。ただ、どんな人間であっても、AIのように、無限の情報を記憶し続けることは不可能だ。多くの場合、新しい情報を内側に入れることで、古い情報が外側に出されることになる。そうやって、常にブラッシュアップを行なうことで、人は成長していく。”人間の進化成長はらせん状である”と言われるのはその所以(ゆえん)である。

さて、僕の場合はどうか。新しい情報を内側に入れる絶対量が少ないために、古い情報が外側に出される絶対量も同様に少なくなる。また、生まれつき有している「回想癖・追憶癖」も、それに拍車をかけている。たとえ新しい情報に接したとしても、そこから過去の記憶を呼び起こすエッセンスを抽出して、「そういえばあの時は…。」などと物思いに耽ったりする。

そんなことばかりしているから、披露する場もない母校の校歌を、いつまでも忘れることが出来ないのである。そう。僕に言わせれば、”今もちゃんと覚えている”ではない。”今も忘れることが出来ていない”と表現するべきだ。

その点を踏まえた上で、今一度、イノッチには「中高の校歌を大人になっても覚えているのは真面目な人なのか?」と、自らに問い掛けてみて欲しい。

・・・問い掛けなくていいです。すいません。

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