【5856字】2024.07.05(金)|元カノと同棲中の夢 → エンドレス・イヤーワーム
僕は頻繁に夢を見るタイプだ。「頻繁」とはどれぐらいかというと、1日に1つは、90%~95%ぐらいの確率で見る。あくまでも感覚論ではあるが「あっ、今日、夢、見なかったなぁ…。珍しいなぁ…。」と感じるので、90%以上は見ると言っても過言ではないだろう。
夢の内容は、その日によって様々で、ココでは詳しく取り上げるつもりはないのだが、今朝、起きた時に見た夢は、数年間同棲した末に、別離の道を選ぶことになった元カノの夢だった。
今日の夢の内容は特殊で、同棲中の夢というよりも、同棲中に起きた出来事が、走馬灯のように流れていって、最終的に、離れ離れになって、一人、ポツンとしているところで、目が覚めた。「夢の世界ぐらいハッピーエンドにしてくれよ…。」とボヤきたくもなるが、夢の内容は自分ではコントロール出来ないので、まぁ仕方ないか。
そして、冒頭にリンクを貼った、イヤーワーム現象が起きて、起きてからしばらくは、何にも手につかず、ただただ、元カノとの思い出を回顧したり、脳内再生し続ける楽曲を聞いたり、時には涙腺が緩んだりしながら、時間を過ごしていた、というわけだ。
以下、イヤーワーム現象が起きた3曲を取り上げて、今の自分が感じたことを、つらつらと述べていきたい。
・・・と、その前に、夢の内容に関する詳細は、「HEAR」というサイトを利用して「夢ラジ」と題して、文字媒体ではなく、音声媒体で記録しているので、もしも、興味がある物好きの方がおられたら、足を運んでいただけると幸いである。
1.My Hear is Bad『グッバイ・マイマリー』
同棲してた元カノのことを思い出すと、100%の確率で頭に流れて来るのが、この楽曲。これはもう100%。断言出来る。だって他に同棲経験のある元カノは居ないもん。オンリーワンだよ。この子限定のラブソングなんだよ。僕にとっては。もしもこれから他の女性と同棲することがあったとしても、書き換えられることはないだろう。パブロフの犬みたいなもんだ。元カノを思い出すと『グッバイ・マイマリー』が流れる。『グッバイ・マイマリー』が流れると元カノを思い出す。そんな感じ。ニコイチの関係性。
そして、タイトルは「グッバイ・マイマリー」っていうね。いや、ドンピシャ過ぎんだろ。結婚したいとガチで思ってたし、なんなら、結婚するんだなって思ってたよ。「したい」じゃなくて「するんだな」だったよ。割と真面目なトーンで「子どもにどんな名前を付けるか?」も話し合ったことがあるよ。いや、多分、あの瞬間に限っては、お互いが「この人と結婚するんだな」って思ってたはずだよ。今振り返ると「思い上がりもはなはだしい」って辛辣な僕が顔を出してくるんだけど、いや、あの時は、そう思い合えていたはずなんだよ、きっと・・・。
恋人と別れると、なぜだか、どうでもいいようなことが、無性に思い出される瞬間がある。日常生活の至る所に、記憶のカケラが転がっているような気がしてならない。
同棲中、晩御飯を作っている頃、ちょっとキッチンから離れないといけなくなった僕は(来客対応か電話対応だったと思われる)、彼女に、「焼き加減だけチェックしといて~」と声をかけて、バトンタッチした。
数分後、キッチンに戻ると、焦げた肉と、困り顔の彼女が居た。「火が通ってるのかよくわからんくて、気が付いた時には、焦げてしまってた…。」と、申し訳なさそうな仕草を見せる彼女が、いつにも増して、いとおしく見えて、僕は、頭をナデナデしたあとに、ハグをした。
・・・もう目に涙が溜まって来たので、この話はここまでにしよう。
2.back number『チェックのワンピース』
これも「俺的元カノ部門」の定番曲。今回取り上げている元カノの場合だと、「STUSSY」の白いパーカー。オーバーサイズ気味で、ショートパンツを履いているんだけど、上着の丈でちょうど隠れていて「安心してください、履いてますよ!」状態になってる感じのファッションが、僕は凄く好みだった。だから、そういう恰好をしている女性を見かけるたびに、条件反射で、元カノを思い出すようにプラグラミングされてしまった。これもパブロフの犬みたいなもんだね。戌年だからかな?
「チェックのワンピース」ならぬ「白いパーカー」以外にも、挙げていけばキリが無いぐらいに、色々ある。
花柄のワンピースを好んで着ている元カノが居た。そしてなんと傘も花柄。日傘をさす子だったので、高確率で「ダブル花柄」だった。それを見て茶化してた頃が懐かしい。当時の僕は、なんだか、花柄というと、もうちょっと年齢層が高い人をイメージしていて(お付き合いしていた当時はまだお互い高校生だった)、もっとこう、スポーティな感じの服装を着てる姿が見たいと懇願したものだが、彼女の花柄へのこだわりは強く、笑って受け流されてばかりだった。僕も根底には「自分が気に入ってるものを身に付けるのが一番」と思っていたので、笑いのタネになれば良いぐらいの感覚だった。実際似合っている気もした。ただ、個性がハッキリしていたからこそ、別れた後の引きずり感は、なかなかしんどいものがある。その点だけは「もう勘弁してくれよ…。忘れさせてくれよ…。」と言いたい。マジのトーンで。
あと、付き合っている頃、「私はポルノグラフィティが好きで~」と言っていた子とは、なぜか、別れてから、ポルノの歌を聴くと、付き合う前&付き合っている時よりも、響き方が違って聴こえる感覚があって(亜種の思い出補正というやつか?)、一時期、好んで聴いていたり。歌手系でいうと「遊助」もそう。彼女と二人でカラオケに行った際に『俺なりのラブソング』を歌ったら嬉しそうにしていたのを思い出す。でもまぁ、この二人に関しては、そこまで、感傷的な気分に浸る感覚はないのかな。たまに見かけて、「あ~、好きって言ってたなぁ…。」とボンヤリ思い出す程度かも。
カープファンの繋がりで付き合った元カノだと、もうそれこそ、カープと触れていて、ふと思い出すこともあるし、あと、当時、好きな選手だと言っていた、岩本貴裕さんは、スコアラーとしてユニフォームを着ているので、見かけるたびに思い出すし。天谷宗一郎さんは、解説業をやられているので、声を聞くたびに思い出すし。同じ趣味で繋がると、別れた時に、こんなことになるんだなって、今でも、しみじみと感じている。これはメチャクチャ尾を引いてる。多分、今の僕が、同じように出会って、交際に発展したら、もっと上手く付き合えただろうなって思いが、そうさせている気がする。詳しく話すと長くなるので、ココでは割愛するが。
わかりみがふかい・・・。(言葉にできない/小田和正)
3.PUFFY『Bye Bye』
これは、なんかね・・・、今日、3つ挙げた中で、比較的、オーソドックスな感じに思えるんだけど、曲調っていうのかなぁ・・・、凄い、僕の中ではヒットしていて。大体、今日のような「セツナ系ラブソングメドレー」のモードに入ると、大トリを飾るかの如く脳内再生してくるのが、この楽曲なの。
うーん、魅力を言語化するのが一番難しい。ただ、身体の反応としては、曲をただ流しているだけで、泣けてくるナニカがある。「〇〇が良い」とかじゃないんだよな。心に沁みるナニカがある。それを上手く伝えられない。もどかしい。
貼った動画を見てもらえれば分かるんだけど、この曲は、フジファブリックの志村正彦さんが楽曲提供していて。で、セルフカバーもやってて、そっちも聴いたことあるんだけど、個人的には、PUFFYの歌声と、曲の感じが、凄くマッチしている気がするので、僕はPUFFY派だな。フジファブリックも好きで聴くけど。両方貼っておくね。
多分、僕が、PUFFYを良く知らないからこそ、「PUFFY=Bye Bye」になってるからかな。色々ヒット曲を出している歌手の方なのは知ってるけど、僕からすれば「Bye Byeの人」なんだよね。
改めて聴き比べながら文字を打ってるけど、やっぱ、歌声と抜群に合ってるよ。そういう意味では、志村は、さすがだなって。「やっぱセルフカバーの方がいいな」って言われたら、本人的には、内心、複雑だったりするんじゃないかな。いや、音楽に全く精通してないから、知る由もないけどさ。「もしも自分が楽曲提供したら?」と考えると、僕はそう思う気がする。だってそれは、言い換えれば「アナタは提供者の魅力を最大限生かし切れませんでしたね」と言われているようなもんと思っちゃうから。
ごめん、話が逸れたね。僕には曲の魅力を言語化するのが困難だったから「とにかくまずは聴いてくれ」とだけ言いたい。文字媒体(歌詞含む)では伝わらないナニカがそこにはあるはずだから。
これも、話せば長くなるので、詳細は割愛するが、僕の恋愛パターンとして、「破局=音信不通」があるので、別れた後、元カノが、どこで何をしているか、全く分からないのだけれども、風の噂で、耳にしたり、画像を見かけたりすることがある。
例えば、近頃では、別れた後も関係が続いている共通の知り合いの人に、話の流れで、ふと「あっ、そういや、〇〇、結婚するんだってよ~」と教えられることがある。僕は、全く気にしていない素振りを装いながら、「へぇ~そうなんだ~」と返したりする。内心はメチャクチャ動揺しているのだが、そういうのを隠すことだけは、子どもの頃から得意らしい。付け添えておくと、僕がひた隠しにしている感情を察して、”吐露しても良いよ”という空気感を作られると、その人のことを、一瞬で好きになる。
・・・まぁ、それは置いといて。
偶然、知ってしまった、僕と別れた彼女が、結婚相手の男性とツーショットでうつっている写真を、2組ほど見かけたことがあるのだが、2人とも、一目見るだけで、”良い人オーラ”が充満していたのを、僕は、鮮明に覚えている。
なんていうんだろう。凄く良い笑顔で笑っているのだ。それも、二人とも。「あぁ、あの子って、こんな顔で笑うんだ…。」「笑顔が絶えない家庭を築いているんだろうなぁ…。」と思ってしまうぐらいに。
芸能人で例えるならば、中尾明慶の笑顔みたいな感じ。「屈託の無い笑み」といったところか。さながら、僕は「屈折している笑み」といったところか。似ているようで大違いだね。アハハ・・・。おっと、またやってしまった。これが「屈折している笑み」の正体だね。太宰治の言葉を借りれば「遊民のニヒル」といったところか。自嘲癖をこじらせている僕に、中尾明慶のような笑い方は、逆立ちしても出来なさそうだ・・・。
・・・まぁ、それも置いといて。
月並みな表現しか出て来ないけれど、僕は、これまでお付き合いしてきた元カノ全員、なんなら、僕と、縁あって、人間関係を構築することとなった人全員、たとえ疎遠になったとしても、幸せな人生を歩んでいて欲しいと、心から、願っている。とりわけ、元カノとは、一時期、ディープな人間関係を構築してきたわけであるから、そんな想いを、よりいっそう、強く持っている。
そのたび、僕は、思うことがある。「今、知り合うことが出来たのならば、お互い、上手く行くんじゃないかな…。」と。特に、高校時代にお付き合いしてきた元カノには、別れ方が、どれもこれも、ひどいものばかりだったこともあり、「今の僕ならもっと上手くやれるはずなのに…。」という思いが拭い去れない。
ただ、その一方で、「だけどああいう恋愛を経たから今の自分があるのかもしれないな…。」とも思ったりする。自分の至らなさを恥じ入り、真正面に向き合ってきたからこそ、恋人とどう接するべきか、僕なりの考えが生まれたのではないか、と。
だが、またその一方で、「でもそうなると高校時代の恋人は『踏み台』に利用されたようなものじゃないか…。」とも思えてくる。もちろん、当時は、そんなつもりは、微塵もなかった。というか、付き合う瞬間は、そのままゴールイン(結婚)をするぐらいの気持ちでいる。少なくとも僕の恋愛観はそうだ。だから尚更「ステップアップ説」で自身を納得させるのは難しい。
この辺りまで自問自答を繰り返すと、収拾がつかなくなってくる。やがて「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということわざを思い出す。そして「まぁウダウダ言ったところで、いざ付き合うと、その関係を当たり前のように感じてしまって、別れた後、当たり前ではなかったと気付いて、悔いて、その繰り返しのような人生を送っているに過ぎないのか…。」と、自身をあわれむような表情を浮かべた後、アハハ・・・と、自嘲癖が顔を出すのだった。
やれやれ、僕はやっぱり、遊民のニヒルのようだ・・・。
【※】文字数が3倍弱オーバーしているので、太宰治『東京八景』に関する私見は割愛させていただきます。「遊民のニヒル」についての解釈は、各自にお任せします。僕は凄く好きな言葉です。一発でインプットされました。なんなら自称したことすらあります。お酒の勢いに任せて。それだけ申し添えておきます。
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