【エッセー】<お盆休み>飲んで、吐いて、抜いて、発熱。
まえがき
一昨日、8月14日(水)の出来事のことを、書く。本来、この手の話題は、なるべく、起きた直後に書き残した方が、僕としても、キーボードを打つ手が進むというものだが、体調不良(後述)に見舞われたため、遅ればせながらの執筆に至ったわけだ。
今こうして、注釈代わりに「まえがき」を書いている時も、イマイチ、気分が乗って来ない感覚があるのだけど、僕の経験上、書き進めるにつれて、なんだか楽しくなってきて、ポンポンと叩けるはずなので、あまり気にしない方が身のためであろう。
もう、この項で、伝えるべきことは、既に終えている。さっさと先に進もう。それがお互いのためである。どうも、いけない。一度書き始めると、それなりの量を打ち込まないと、気が済まない性分らしい。これだから「お前の話は長い」「お前の文章は長い」とお叱りを受けるのだろう。反省しないといけない。
反省したところで改善が全く見られないのだがな。
飲んで
お盆休みということで、地元の友達と集まって、ワイワイ騒いだ。一言にまとめれば、まぁそんな感じだ。ただ、これで終わってしまっては、あまりにも芸が無い。どれ、記憶を手繰り寄せて、思い浮かんで来たシーンを元に、筆記していこうではないか。
事前に、焼肉屋のコース料理を予約していたのだが、どうやらこのお店は、炭火で焼いて食べる趣向らしく、テーブルの真ん中に、薪を焼(く)べて、網を置いたものが置かれていた。「ほう、これはなかなかだ」と感心したものだが、席に座った途端、僕は、ボヤいた。
「アチイ・・・。アチイわ・・・。この席・・・。」
テーブルを眺めて「お~いい感じだね~」と思っている時は、何とも感じなかったのだが、いざ座ってみると、この炭火焼きが、なかなかの存在感を放っていることが分かった。もうね、とにかく暑い。「えっ?」「僕達、外で飯を食ってるんじゃないっすよ?」と言いたくなるぐらい、暑い。なんなら、ビアガーデンの方が、まだ涼しいかもしれない。暑さの質的な問題で。至近距離に火が燃え続けているのは、正直、キツい。
「キャンプファイヤーじゃないんだからさぁ・・・。焚き火の音を聴いてると癒されるね~なんて言ってられないぜ、コイツはよぉ・・・。」
僕は、鬼の首を取ったような勢いで、難癖を吐いていた。別に、クレーマーとしての才覚を、発揮したいわけじゃない。僕は、このメンツ、地元仲間と飲む時は、”こういうキャラ”になるのだ。それも、自動的にだ。イメージ的には、『水曜どうでしょう』の「大泉洋」といったところか。分かる人には分かるはず。ああいう立ち位置で居たいのだ。本気で「暑い!どうにかしてくれ!」と憤慨しているわけでもない。懇願しているわけでもない。ただ、僕がブツブツ言うことに対して、周りが、少しでも、アハハとなってくれれば良い、その思いで、気が付いたことは、即座に言語化に努めて、周りの反応をうかがうのだった。
僕が大泉洋を志したところで、彼のようなコメディアン的才能は持ち合わせていないのだから、単なるクレームに終わって、気まずい空気を醸成するキッカケになることも、また多いのであるが。
とはいえ、今日は久々に地元のメンツが集まっての飲み会だ。難癖を吐いたところで何にも始まらない。乾杯のビールを飲んだら、もう、何もかもが、どうでも良くなった。この「どうでも良い」は、ネガティブな意味合いではない。ポジティブな意味合いだ。間違っても「サジを投げる」みたいな意味合いではない。例えるならば、そうだな、「好意を寄せている相手と両想い関係であることが判明した」といったところか。この状況であれば、たとえ、何をされたとしても、「いいよいいよ~!」と、軽い調子で受け入れてしまうはずだから。
事実、席に座った直後は「アチイ・・・。」と、口々に言い合っていたはずなのに、酒を飲み始めれば、一切、言わなくなった。もう、目の前の、酒と肉に、夢中である。あと、話も。ただ、のべつ幕無しに喋っていた、それは確かなのだけど、うーむ、内容が、イマイチ思い出せない・・・。身にならない話しか展開していなかった、ということかしら。
僕は思う。身になる話し合いを通して、切磋琢磨し合える人間関係も大事にするべきだが、身にならない馬鹿話を通して、「あぁ~!今日の飲み会もおもろかったな~!」の感想しか残らない人間関係もまた、大事にするべきであると。
僕は、利害関係の無い人間関係こそ、大切にしたい。
僕は、「大事」と「大切」の使い分けにも、うるさいタイプだ。
吐いて
さて、しこたま飲んで、帰宅したわけだが、ココで、事件が起きた。
ノーモーションで、吐いた。
この場における「ノーモーション」とは「何の前触れもなく」という意味だ。この言葉が何を指すかお分かりいただけるだろうか。みなまで言わずとも想像出来るだろうが、敢えて、書こう。「嘔吐感を催すことなく」という意味だ。
単刀直入に述べる。
僕は、吐瀉物(としゃぶつ)を、辺りに撒き散らした。
正直、記憶が無い。もしかしたら、気を失っていたのかもしれない。いや、酔い潰れて眠っていた、と書いた方が正しいのかもしれないが。とにかく、前後の記憶が無いのだ。
気が付いた時には、僕は、吐いていた。吐いて、意識を取り戻したような感覚を覚えた。あるいは、目が覚めたか。この際、どちらでも良いことだ。
辺りに撒き散らす形での嘔吐は、子どもの頃に経験して以来だと思う。20代の頃に経験する方も一定数居られそうだが、ちょっと思い出せないので、おそらく、経験していないはずだ。
無論、嘔吐は、数え切れないほど、経験している(それもそれでどうかと思うが)。ただ、ノーモーションで吐くことは、なかった。大小あれど、予兆はあった。ゆえに、対策を取ることが出来ていた。また、意図的に、嘔吐のタイミングをコントロールすることも出来ていた。これは、糞便で例えると、尿意(便意)を催したがトイレが近場に無いためしばらく我慢する、といった状況と似ている。皆さんも経験があることだろう。
だが、今回ばかりは、違った。糞便で例えると、ノーモーションでの失禁、みたいなものだ。それも、尿ではなく、糞の方が、近いか。いや、混ざり合ったもの、の方が、近いか・・・。
・・・コホン。
さて、吐瀉物の話を、つまびらかに語るのは、躊躇われるので、この項は、ここまでにするとしよう。
とにかく。
ノーモーションによる嘔吐を催すほど、酒を飲んではならない。僕から言えるのは、ただそれだけだ。
また同じ間違いをどっかでやらかす気がしてならない。
抜いて
しこたま飲んで、気分を良くして帰ったら、思いっ切り嘔吐して、除去作業に追われて、多大な時間と労力を要して、なんとか一段落ついたものの、匂いが、もうとにかく酷くて、消臭剤の類いを、これでもか、これでもか、と振り掛けたりして、それでも何故か、匂いは取り除かれたはずなのに、嘔吐の記憶が邪魔をして、僕の嗅覚まで狂わせているのか、どこかに嘔吐の残滓を感じてしまい、また気分を悪くする、そんな憂鬱な時間をしばらく過ごして、僕は、退散するように、自室へと引きこもった。この空間に居れば、嘔吐のことを思い出さずに済むだろう、と考えたからだ。
僕は、異様に、目が冴えていた。本来であれば、眠りこけてもおかしくないはずなのに、なんだか、ベッドに入っても、寝付けないような気がしてならなかった。おそらく、嘔吐して、除去作業に追われて、といった時間を過ごしたためであろう。かといって、何をする気にもなれなかった。頭に浮かぶのは、自分という存在が醜く思われてならない、自己嫌悪の念、ただ、それのみであった。
ふと、物思いに耽り始めた。
「元カノのAは今どこで何をしてるのかなぁ・・・。」
こういう時、僕は、元カノの存在を思い出す。とりわけ思い出すのは、直近の元カノである、Aのことだ。彼女とは、お互いに結婚を意識し合った仲でもあった。僕自身、付き合い始めた年齢も相まって(20代後半から交際が始まった)、「この人が最後の彼女になるんだな」という思いで、付き合ってきた、つもりだ。
「つもり」と付けたのは、結果的に、離れ離れになったからに他ならない。Aに限らずであるが、僕は、恋人と別れるたびに、激しい悔恨の念に駆られる。別れるまでは、自分なりにベストを尽くしていると思っていたことでさえも、いざ別れてしまうと、ベストを尽くしていた「つもり」になる。もっとやれることがあったのではないか、だとか、単なる自己満足に過ぎなかったのか、などと、後の祭り状態になってから悔いる悪癖が、僕にはある。
現在進行形で行われている感も否めない。
僕は、Aのことが、頭から離れなくなってしまった。泥酔すると、こういう状態になることが、よくある。特定の女性のことしか考えられなくなる。たまたま、今回はAだった、というだけの話だ。Aに対する未練だとか、そういうものではない。いや、言い換えれば、僕がこれまで接してきた人物、とりわけ女性に関しては、未練にも似た感情は、誰に対しても多少あるはずなので、仮に未練感情があったとしても、大して問題視する事柄ではない、そう形容するべきか(それもそれでどうかと思うが)。
「特定の女性」とは、過去の元カノが主ではあるものの、交際手前まで進んだ人、告白して玉砕した人、片想いのまま終わった人、なども含まれる。その時々で思い浮かべる人は異なる。多情なのだろう。「女心と秋の空」なんて言うけれど「男心も秋の空」だと僕は思う。いっそのこと「人間の心は秋の空」に改めるべきではないか。
思索に耽るのもソコソコに、僕は、おもむろに、ズボンを脱いで、下半身を露出させる出で立ちになった。
「一発抜くか・・・。」
僕は、おもむろに、LINEのアルバム画像を開いた。ここには、交際中だった頃のAの写真が、多数、保存されている。今となっては「メンバーがいません」と表記されているのだが、アルバム昨日は、変わりなく使うことが出来る。それに関しては、LINEに感謝する他は無い。と同時に、「メンバーがいません」の状態になったら、アルバム機能も使用出来なくなる仕様であれば、過去にとらわれることなく、現在、ひいては未来に向かって、逞しく生きられたのかな、なんてことも考えたりするが、まぁ僕のことだから、大して変わらないだろうな、画像が無くても記憶から引っ張り出して来るのがオチだろうな、などと思い直していると、良さげな画像が見つかったので、その写真を、スマホ画面に大きく映し出した。
僕は、Aが笑顔で写っている写真をオカズにして、射精した。
発熱
Aをオカズに射精して、いくばくかの賢者タイムが流れている隙を狙って、僕は眠った。ある程度の時間が経つと、元カノをオカズにして射精したことへの自責の念に駆られることは、目に見えていたからだ。
Aとは別の元カノだが、大学時代に交際していたKに、言われたことがある。「オナニーをするならワタシをオカズにして欲しい」と。僕は苦笑したのち、言った。「僕の妄想世界でKを汚(けが)すわけにはいかない」と。Kも苦笑して、言った。「どんな妄想をするの?」と。僕は、しばし考えてから、言った。「子どもの頃から好きなシチュエーションは変わっていないのだけど、心から好きな女性に対しては、用いていないんだ」と。Kは「いいから教えてよ(笑)」と言った。僕は、観念して、「はぁ…。」と溜め息をついてから、ハッキリと、答えた。
「身動きが取れなくなった状態で強制的に絶頂させられるシーンが大好きなんだ。僕は、自分が、(オカズの対象に決めた)女性になったつもりで、自慰行為に耽っているんだ。コタツの脚があるだろう?あそこに自分の両足を引っ掛けるんだ。そうしたら、両足を拘束されているシチュエーションの妄想がはかどるからね。経験を重ねるごとに、クッションの角度を変えることで開脚度合いが変化することも分かった。閉じ気味に行なうのと開き気味に行なうのとでは妄想するシチュエーションも変わって来るんだ。対象に決めた女性のイメージと、僕の気分に合わせて、その都度、微調整しているんだ。あと、タオルも使うことがあるね。最初は自分の手で覆っていたのだけど、そうすると、両手で愛撫を行えなくなるから、口元を縛るのにちょうど良いサイズ&質感のタオルを用意したんだ。これで、声を出して助けを呼ぼうとしてもかき消されてしまうシチュエーションも妄想しやすくなるってわけさ」
Kは、僕の性癖について、とがめてくることはなかった。だが、それ以来、「ワタシをオカズにして欲しい」と言わなくなった。
そんなことを、思い出していたのか、思い出さなかったのか、良く分からないけれども、ともかく僕は、泥のように眠った。
そして、起きたら、これである。
「呟き」を2つ投稿したが、端的に言うと、「飲み会の翌日に37.4℃の熱が出てダウンした」というわけだ。
「Aにお熱だぜ♡」。なんつって。いや、だとしたら、もっと高熱になって欲しかったよ。まったく。37.4℃って、ギリギリ微熱やないかい。40℃ぐらいになっとけや。お前のAに対する恋慕の念はそんなもんなんか?お~ん?(岡田彰布風に)
「熱が出ました」で終わっても良い項にもかかわらず、無駄話が過ぎた。さすがに反省している。まぁ、反省したところで、何も変わることはないのだけども。(二回目)
無駄話ついでに、もう一つ。(学ばない男)
発熱に伴って、諸々のタスクに取り組めない状況に陥ったので、ひとまずベッドで安静、という運びになったのだが、泥のように眠り続けることは、意外と難しかったりもするので、やはり、手持ち無沙汰になって、何の目的も無く、スマホを開いては、見る必要も無いネットサーフィンに興じたりするわけだが、こういう時、僕は、何故だか、無性にムラムラしてくるのだ。
この感覚は、昔からある。風邪などで寝込んでいるにもかかわらず、ムラムラが抑え切れずに、自慰行為に耽ることが。そのたびに、僕は物思う。
「体調不良になると、生命の危機を感じて、子孫を残そうという本能が強く働くために、ムラムラしてしまうのか・・・。」
「体調不良になって、予定が突然ポッカリ空いて、寝る以外に何をすれば良いのか分からなくなって、ムラムラしてしまうのか・・・。」
と。
どうでもいいですよ~ / だいたひかるEND