【エッセー】置き配奇譚(体験談・又聞き)
【体験談】
今日、Amazonで注文していた商品が配達される予定になっていたが、予定時刻を過ぎても手元に届いておらず、「置き配指定してないけど置き配されたパターンかな?」と思い、玄関を出て確認してみるも、やはり荷物らしきものはどこにも無く、「あれ~?おかしいなぁ・・・。」と思いながら、Amazonのアプリを開き、注文した商品の配送状況をチェックしてみたら、
こんな写真が貼られてあった。
「んっ・・・。これって、どういうことだ・・・。」
僕は、しばらくの間、フリーズした。まず、そもそも、自分の家じゃない気がした。「えっ?もしかして、配達する場所、間違えたパターン?」なんてことも思ったりした。けれども、何にも触っていないはずなので、その間違いは、まず有り得ない、はずだ。
【※】
「配達する場所を間違えた」で、ふと思ったのだけど、「配達員が配達先を間違えた」ではなくて「僕が配達先の指定を間違えた」ことのみを疑っていたことに気付いた。何かしらのトラブルが発生すると、反射的に、自分に手抜かりがあったのではないか、と考える癖が、僕にはある。
あと、今見れば、「あぁこれがAmazonの荷物か・・・。」と気付けるのだけど、画像を見た当初は、「そもそもドコに荷物があるの・・・?」となった。何らかの機材が密集しているロッカー(?)を撮影してどうしたんだ、なんて思ったりもした。「これってワンチャン、配達員がアップロードする写真を間違えた説、あるんちゃうか・・・?」とまで考えた。
【※】
どこが「ワンチャン」なのか、僕自身、全く分からないのだけど、「低確率で」のニュアンスで、「ワンチャン」を用いる癖が、僕には有る。「ピンチ」の場面ですら「ワンチャン」と言ってしまう始末である。共感してくれる方が居たら、嬉しい。
そこまで思いを巡らせた僕は、これ以上考えてもラチがあかない、ということで、母親に、「Amazonからこんな画像が送られて来たんだがどう思う?」と尋ねてみると、一目見た瞬間、
「あぁ~、あそこかぁ・・・。」
と、合点がいった様子で、やにわに玄関を開けて、かと思えば、すぐに戻って来て、「ハイ」と、まるで、玄関の前に置かれていました(僕にとっての「置き配」のスタンダード)といった具合に、荷物を手渡してくれた。
「つまり・・・どういうことだってばよ・・・?」
僕はドギマギしながらも、『NARUTO』のうずまきナルトの口調を真似て、母に疑問をぶつけた・・・、というのは嘘で、「えっ?いったいどういうこと・・・?」と、軽い狼狽の色を見せながらも、置き配のカラクリを尋ねてみた。
【※】
「なんでそんなところで嘘つく必要あんねん(笑)」というツッコミ待ちで、誰も傷付かない場面&範疇で、嘘の話をする癖が、僕にはある。一種の「おどけ」と解釈しているが、人によっては、七面倒臭い性分かもしれない。いや、「人によっては」というよりも、「万人にとっては」の方が、正しいのかもしれないが。
「玄関の奥のところにあるんよ。律儀な人なんやろうなぁ。玄関の前だと盗難被害に遭いやすいから、って心配したんちゃうか。でも、ココに入れた人は初めてやけどなぁ~(笑)」
僕は、「なるほど・・・。」と返答しながらも、心の中では、「一目見て、家のドコに置かれているのかを把握して、その上で、Amazonの荷物がドコに置かれているのかも把握した、ということか・・・。」と、相手に悟られぬように注意しながら、密かに、驚愕していた。
ココで僕は皆さんに問いたい。
「配送時の写真」の画像を一目で見て、「あっ、なるほど、ココに荷物が置かれているんだな」と感じる方が自然なのか、それとも、「これはいったいどういうこと?」「もしかしてアップロードする写真を間違えたのかな?」と感じる方が自然なのか・・・。
つまり、僕の母が聡明なのか、それとも、僕がノータリンなのか、問いたいわけだ。
おそらく、後者なのだろうなと、覚悟している。
【又聞き】
「Amazonで注文したら置き配されてたんだけど、玄関の前じゃなくて、玄関の近くにあるロッカーに隠す形で置かれていた」というエピソードを語った際に、こんな話を聞かされた。
「今はもう辞めたらしいけど、ココ(地元の地名)の配達区域で、『置き配しました』って証拠になる写真を撮ってから、自分でその荷物をパクって、売って、金に変えてたヤツがおったらしくてなぁ・・・。」
と。
この時も、僕は、「なるほどなぁ・・・。」と返していた。
【※】
口癖と言って良いレベルで、僕は、「なるほどなぁ・・・。」の相槌を多用している。喜怒哀楽、どの感情を乗せても、「なるほどなぁ・・・。」で通用すると思い込んでいるフシがある。事実、そうなのかもしれないが。イントネーションやアクセントを微調整すれば、いついかなる時も、「なるほどなぁ・・・。」で会話が成立する気がしてならない。
僕は、「なるほどなぁ・・・。」と相槌を打ってからは、ただひたすら、相手の話を聞く役回りに徹していた。こういう時は、変に口を挟むことはせず、ひとしきり相手が話し終えてから、少しの沈黙が流れたタイミングを見計らって、話を聞く中で疑問に感じたことをぶつけてみる、そんなスタンスを心掛けている。
聞いた話によると、「出品者とかで対応の仕方は異なるから一概には言えへんのやけども」らしいのだが、「配送員が疑われるケースはまず無い。トラブルが発生した時には写真が何よりの証拠にもなるしな」とのこと。
僕は、「ふうん・・・。」と「なるほどね・・・。」の2パターンで会話を成立させていた。このご時世、人と会話出来るAIロボットの方が、もっとマシな返しが出来そうなものだ。
その話を聞いていた周りの人は、「じゃあ、やったもん勝ちやん!」などと騒いでいる者も居たのだが、僕は、言葉に出さないまでも、「それはどうなんだろうなぁ・・・。」と、疑問に感じていた。
少なくとも、僕は、「俺もマネしよう!」とは思わなかった。これは何も、聖人君子アピールをしたいだとか、そういう魂胆があってのものではない。ただ単純に、罪悪感に駆られることそのものが、僕は、嫌なのだ。
ここからは、人から聞いた話ではなく、想像の世界になるのだが、仮に、配達員が疑われなかったとしても、配送トラブルが発生して、対応に追われるのは避けられないわけで、その間、ずうっと、やましい思いを抱えなければならないのか、と思うと、僕からすれば、目先の利益を得ることよりも、もっと大きな代償を支払っているように、思われてならないのだ。
今、こうして、書いているだけでも、心がザワザワしている。なんだか、気分も悪くなってきた。息苦しい感じがする。「正義」だとか「悪」だとか、そういう、モラル的な話も、大切、だとは思うけれども、それ以前の問題として、僕の身体が、受け付けないのだ。「あぁ、今、僕は、悪いことをしているなぁ・・・。」という事実に、耐えられる自信が無いのだ。
ゆえに僕は、「やったもん勝ち」とは思わない。むしろ僕は、「やむにやまれぬ事情があって、こうせざる(置き配と偽り荷物をパクって売る)を得なかったのだ・・・。」という「if」の世界を空想していたりもする。
出来れば、そうあって欲しい。事情を聞かされると、「そうだったんだ・・・。本当は、悪事に手を染めたくはなかったけど、どうしても、お金を必要としていたんだね・・・。」と、相手の身の上を思いやる気持ちで一杯になる、そんな「if」があってほしいとすら、思っている。
【P.S.】
この手の話題になると、いつも思い出すフレーズを、置いときますね。
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