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【夢日記】振られてから音信不通状態のMと何故かベッドでイチャイチャしていた

【はしがき】

僕は、何故か、Mと、ベッドでイチャイチャしていた。

「何故か」と書いたのには理由がある。なぜなら、夢の世界では、僕とMが、どういう形で、今こういう状況になっているのか、については、ほとんど描かれていなかったからだ。

ただ一つ言えることは、「淫夢」と呼ぶには、お互いの「性のニオイ」が充満していない、そんな感じのイチャイチャ度合いだった。

もしも、第三者的に、二人の行為を観察していたとしても、興奮を覚えるよりも前に、自然と笑みがこぼれる、そんな、ほんわかとした空気感に包まれていた感覚は、割と強く残っている。ゆえに「<淫夢>」の表記は適さないと判断して、一度書いたが消すことにした。

ちなみに、僕の朝勃ち度合いも、いつもと何ら変わらないぐらいで、朝の放尿を済ませた後、いつも通り、平常時のサイズへと戻っていったという、肉体的な反応を踏まえても、やはり、淫夢に分類するのは、いささか早合点であろう、とも思われた。

だが、こんな生々しい話は、わざわざ人様にお見せするものでもないので、これは僕の中だけで、そっとしまい込んでおくことにしよう。


・・・コホン。

では、今回の夢の主題は何かと聞かれると、それは、Mとイチャイチャしながらも、一人、自問自答に耽っている、そんな状況が鮮明に描かれていたため、そのことについて、詳しく筆記してみようと思う。

Mとは、大学のサークルで知り合い、あっという間に意気投合し、程なくして恋仲に発展したものの、これまたあっという間に、僕の至らなさが露呈した格好で振られることとなり、その後は音信不通状態、そんな関係性を築いた女性であった。

当時の僕は、振られる前兆すら察することが出来ない、あるいは、何らかを感じ取ることが出来ていたとしても、さすがに振られることはないだろう、などと高を括ったところもあったのか、いずれにせよ、恋仲に発展していけば、徐々に、その女性に対する扱いがなおざりになっていくという、言わば、”親しき仲にも礼儀あり”、の精神に著しく欠けていた、絵に描いたような「ダメ男」だった。

それに加えて、自身のダメな部分を修復可能な状況で気付き、自らを省みて、自らを戒めて、これからの立ち居振る舞いを見直す必要があると思い至り、実際に行動に移すといったこともまた、出来ていなかった。大抵の場合、いいや、100%、と言い切っても良いだろう、どうせ悔やんでも後の祭り、といった状況にまで追い込まれて、ようやく、自分の至らなさに気付いて、これではいけないと、はじめて重たい腰を上げようとするも、既にパートナーからは愛想を尽かされていて、モチベーションを上げるための動機付けに足り得ず、再びドスンと座り込んでしまい、沈思黙考という名の「病み期」へと移行するのが、常であった。

そして、その「病み期」もまた、喉元過ぎれば熱さを忘れる、では無いけれども、「時間」という、どんな名医でも太刀打ちすることが出来ない万能の薬を用いて、やがて、失恋によって傷付いた自分の心は、再起可能な程度には回復していき、そうなると、人間の行動原理(だと僕は心得ている)である三大欲求の一つを占める「性欲」がフツフツと沸き立って来て、また別の女性にアプローチを掛けては、恋仲に発展し、だがしかし、前述した、”親しき中にも礼儀あり”、の精神に欠けた一面が露呈してしまうトラブルに見舞われ、同じことの繰り返し・・・。そんな日々を過ごしていた。

僕は、女性と交際するようになった高校生の頃から、アラサーと呼ばれる年齢に達してもなお、同じ失敗を延々と繰り返す自分に、ホトホト嫌気がさしていた。自分で自分に呆れていた。失敗から学ぶ材料が毎回同じであることにも飽き飽きしていた。月並みな表現ではあるけれど「変わりたい」「変わらなくちゃいけない」という想いが、失恋を経験するたびに、強くなっていった。

そうして、具体的に行動を変化させたのが「好意を示す仕草だけで済まさずにちゃんと言葉にして好意を相手に伝える」ということだった。

今回の話に出て来た「ベッドでイチャイチャ」で例えると、相手の頭をなでなでしたりだとか、ほっぺたにキスしてみたりだとか、顔の部位、特に「口・鼻・耳」といった辺りをいじくって、相手のリアクションを楽しんだりとか・・・、そういう諸々で終わらせるのわけではなく、アナタのことが好きなんだと、ハッキリ言葉に出して想いを伝える。それも、相手の名前を呼んだ後に、好きという気持ちを、ちゃんと言葉にして伝えることを、僕は重んじた。

僕は、恋人に限らず、人の名前を呼ぶことに、億劫がる性質がある。

例えば、Aさんに声を掛ける際に「Aさ~ん!」と呼ぶのではなく「お~い!」とか「すいませ~ん!」といった具合で、Aさんの名前を呼ばずして声を掛ける、そんなところがある。

この一場面だけを切り取れば、たまたま名前を呼ばなかっただけで、もちろん名前を呼んで声を掛けることも当然あるよ、と思われる方も、多数居られるのかもしれない。

だが、僕の場合は、Aさんの名前を呼んで声を掛ける方がお互いにとっても気持ちの良いコミュニケーションが取れるはずだ、といった観念を持ち合わせながらも、どうしても、文字数にすれば、たとえ長かったとしても、せいぜい10文字にも満たない音を、発する勇気が持てず、結局「あの~」などと言って、間接的に、”私はアナタと会話をしたいと思っています”、という意思表示をする悪癖を有しているのだ。

補足しておくと、名前が分からないからそうせざるを得ない、というわけではない。というか、自分で言うのも変な話だけれども、僕は、人の顔と名前を一致させる能力には、割と自信があったりもする。その流れで言えば、人の誕生日を記憶していくことにも自信があったりするし、些細な好き嫌いの好みもまた、ふとしたタイミングで「良く覚えているね~」と言われる程度には、記憶に残っているタイプだったりもする。にもかかわらず、名前をポンと呼ぶことが、どうしても出来ないと感じることが、度々あるのだ。

この問題って、日常生活の至る所に潜んでいるのもあって、事あるごとに「なぜ?」と自らに問い掛けている自分が居たりもするのだけれど、おそらく、相手に嫌われているかもしれない、みたいな不安の念が募って、ポンと名前を呼べないんじゃないのかなと、僕は解釈している。

逆の立場で説明すると、他の人から、僕の名前をポンと呼ばれたとして、その名前を呼ばれた人のことを僕が好いていれば、「おっ、名前で呼んでくれたぞ!」といった風に、プラスイメージを増大させることに繋がったりもするのだが、それとは反対に、僕が嫌っている相手から名前で呼ばれた時には「軽々しく俺の名前を呼ぶなよ…。」といった風に、マイナスイメージを増大させることに繋がったりもする。

それを踏まえた時に、プラスイメージの増大の期待よりも、マイナスイメージの増大の不安が上回って、今よりもっと好かれることよりも今よりもっと嫌われない選択肢を優先しよう、といった結論を導き出した結果、僕は「〇〇さ~ん!」ではなく「すいませ~ん!」と言ってしまう癖が、染み付いたのではないか・・・と、内心では感じていたり、する。

注釈

【あとがき】

・・・とまぁ、取るに足らないことを、ウダウダと述べてきたわけだが、こういった「至らなさ」を直視して、受け止め、現状把握に努めた上で、「じゃあ何を為すべきか?」にキチンとフォーカスしていった結果、Mが僕に惚れ直してくれたのか、「はしがき」に記したような、甘い一夜を過ごすことが出来た、そんな、サクセスストーリーを描いた夢だったのかもしれない。

「だったのかもしれない」というオチで終わるのは、僕自身、本意では無いのだけれど、今回の夢は、当人の解釈に委ねられるタイプの内容であったので、夢日記として書き表すと、尻すぼみな終わり方になってしまうのも、また致し方ないのかなと、僕の中では思っている。ごめんなさい。

「夢解釈」という意味で言えば、これも一種の願望夢、自分のダメな部分は自分が一番痛切に感じていて、変えたい、でも変えられない、そんな(意識的にも無意識的にも)葛藤状態に苛まれている僕の心境を、夢世界での自問自答によって、ありありと描き出された、そんな解釈も出来ようか。

それと、これは、プライベートな部分が強くなってしまうのだけれど、一昨日と昨日、広島東洋カープと横浜DeNAベイスターズのクライマックスシリーズのファーストステージが行われ、見事、我らがカープが2連勝をおさめ、ファイナルステージへと駒を進んだことを受けて、Mのことが夢に出て来たのかもしれないな、とも思う。

なぜなら、Mとは、同じカープファンという共通点から恋仲に発展した、という経緯があるからだ。

その勢いのまま、バカなことをのたまってみると、Mもどこかでカープの勝利を喜んでいて、その流れで、僕と一緒にカープを応援していた時のことを、ふっと思い出したりとかして、それを第六感的な何かで僕は受信して、今回の夢を見るに至った・・・、なんて妄想も、膨らませようと思えば、膨らませることは出来よう。

「バカなことをのたまう」という枕詞を、さもクッション代わりに使用しているわけだが、正直に申せば、僕の頭の中は、割と、お花畑状態だったりも、する。

そもそも、物心が付いた頃から、何かと、空想に耽っているタイプの子どもだったように思われる。

一つ具体例を挙げれば「ちゃんと私の話聞いてるの?」という注意を受けることが、結構多かった。目の前で起きている出来事とは別に、自分の頭の中で問題と向き合っていることが多い子どもだった。いや、大人になった今も、そんなタチがあるので、過去形で書くのは、厳密に言えば間違いなのだけれども。

もっと言えば、年を重ねるにつれて、大人と呼ばれる年代に突入したころには、”拗(こじ)らせた”、とでもいうべきか、空想の内容が、どんどん、”笑えない内容”、へと変貌していった感もある。

それ(空想の内容の拗らせ方)とは逆行する形で、大人の立場でこんなこと言っていてはロクな人間にならない、だとか、こんなこと言うと周りの人はリアクションに困るだろうな、などと、いつしか、自制心を働かせることも癖付いていって、しまいには、感情の抑制に歯止めがきかなくなり、どこか発散する場所を求めて、今こうして、「note」という媒体を利用して、ただひたすら、文字を打ち込んでいるのかもしれない・・・。

・・・。

なんだか、今回の夢の話は、どう足掻いても上手くまとめられないな、と思えて来たので、唐突に打ち切らせていただくことにしよう。

最後に一言だけ添えておくと、夢を見た直後の気分は、悪くなかった。Mとベッドでイチャイチャ出来たのも良かった。起きたら、Mと思ってハグしていたのは、抱き枕の白クマだったけど、Mも白クマも可愛いので、良しとする。


【余談】

夢日記を書きしたためることで気付けたのだけど、僕が、これまでの人生で、関係性を持つことになった人は、結構「M」というイニシャルの方が、多い。

今回も「M」という名前の女性が僕の夢に出演してくれたわけだが、今回の夢の内容を通して、「過去に書いた夢日記でも別の女性のMとベッドでイチャイチャしたことあったなぁ・・・?」と思い出したので、「余談」と題して、個人的な話を、徒然と書かせてもらった次第である。

参考資料的な感じで、このMとこのMは違うMなんだ、ということが分かる夢日記の記事リンクを載せておく。

※今回のMと同一人物のMが出て来る話

※今回のMとは異なる人物のMが出て来る話

付け加えておくと、二人のMは、二人とも大学のサークルで知り合っており、M同士も交流がある、僕がツーショット写真を見た記憶がある程度には仲が良い、のであるから、尚更、気になってしまったわけだ。

こんなことに思い耽っていると、僕の夢にM①とM②が出て来て、それも、淫夢的なアレ、3P的なアレが起きたりしないだろうか、と、邪(よこしま)な考えが浮かんで来たのだが、こんな夢が見たい、と思っても、なかなか見させてくれないのが、夢の難しいところでもあり、面白いところでもある。

それと、現実世界で体験に乏しいことは夢世界で描かれることは無い、あるいは、描かれたとしても、おぼろげな感じで終わってしまう、ということもまた、経験を通じて分かり始めて来た僕は、自分が一度も3Pを経験したことが無いのを踏まえれば、M①とM②で3Pに興じる夢の話は、それこそ、夢のまた夢だと思い、しょんぼりするのであった・・・。

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