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【エッセー】ソースに始まりソースに終わる

<サムネイルにツボる>

「ソース」で検索をかけて目に飛び込んで来たのがこの画像だった。

「やきそば弁当ってなんやねん・・・。」

まんまである。まんまのリアクションである。これが普通の関西人だ。「関西人なんだから面白いリアクションをしてくれるはずだ!」などと思われると、正直しんどい(堂本剛風に)。

・・・なんか、メッチャ、読み応えありそうなサイトが引っかかったんやけど、ちょっと内容がヘビー過ぎるから、一旦スルーするとして…。

毎回毎回、大喜利チックなノリを求めてくる人が、一定数居られるのが、癪に障る。また、毎回毎回、大喜利チックなリアクションを取れてしまう人が一定数居られるのも、癪に障る。それは僕から言わせれば「普通の関西人」ではない。「選ばれし関西人」なのである。「お笑い芸人を志望すればええとこ行けたんちゃうん?」と思わせるほど才能に恵まれた関西人なのだ。

ちなみに僕の友達周りには一人だけそういう人が居る。ブラックマヨネーズの小杉竜一のような友達が。彼が場に居ればどんな会話でも面白トークに早変わりする。「話が面白い」というよりも「返しが面白い」というタイプ。それはもう、嫉妬を覚えないレベルで、面白い。なぜ嫉妬を覚えないかというと、逆立ちしても敵わない領域に達していると感じるからだ。

どうでもいいけど、「やきそば弁当」のロゴの上に「Yakisoba Bento」って書かれているのが、たまらなくいとおしい。「弁当」を「Bento」と表記する愛らしさ。なんかもう、このローマ字表記に惹かれて、買ってしまいそうだ。

もしも、僕のような購買層をターゲットにした、計算し尽くされたマーケティング手法だったとしたら・・・。

そうだとしたら、喜んで「マルちゃん」の手のひらの上で転がされよう。

(マルちゃん、手、生えてへんかったわ・・・。)


<そばめし欲を満たす>

※前回の内容がコチラ。

「そばめしって食べ物があるやんか。あれ、だいぶん前、小学生ぐらいの頃やったと思うんやけど、食べたいって言ったら、『あぁ、ちょっと面倒やなぁ~』って言うてたの、メッチャ覚えててさぁ…。」

(一部抜粋)

兵庫県民の僕にとってソウルフードと言える「そばめし」。念願かなって、今日、食べることが出来た。

ダダダダーン!(壇太一風に)

現れる際は「ダダダダァーン」と言うのが口癖。

久方振りに「そばめし」を食べることが出来た。感無量である。そうそう。このソース味。こういうのがいいんだよ。こういうのが。「THE・B級グルメ」って感じの味。こういうのを今の僕は求めていたのだ。

調子に乗って「追いウスターソース」をしてしまった。「追いチーズ」は割と聞くから「追いウスターソース」もアリだろう。異論は認めない。

「味が濃いか薄いか」が問題ではないのだ。「ソース味のパンチが効いているか否か」が問題なのである。ゆえに「かけすぎじゃない?」という物言いは全くの見当外れなのだ。

「なんでコイツはドバドバとウスターソースをかけてしまうのか…。」といった周囲の視線を横目に、僕は、パクパク食べた。最後まで美味しくいただいた。「味変」を楽しむかの如く「追いウスターソース」を行なった。

一応、断っておくが、僕は別に、濃い味が好きなタイプではない。たまたま、今日は、そういう気分だっただけだ。今日の舌はソース味だったのだ。

自分の味覚にはいつでも正直でありたい。体裁を気にして食欲を満たせないのは、愚の骨頂と言わざるを得ない。

・・・ていうか、冷静になって考えると「炭水化物&炭水化物」の代表例みたいなメニューだな。「そばめし」って。確かにズシンとくる重さがあった。食べてる時はそうでもなかったけど。食べ終えてからの満腹感がね・・・。結構苦しかった。シンプルに食べ過ぎたのもあるだろう。懐かしさも相まって、年甲斐もなく、パクパクと食べてしまったよ。

たまにはそういう日があっても良いじゃない。なんでもかんでも「腹八分目」で無理矢理止めることが絶対に正しいとは僕は思わない。胃袋の満腹感よりも、心の満足感を重視したい日も、時にはある。

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