2022/12/16(金)自分・友達A・友達B・友達C・ラファエル(YouTuber)・聴衆
【会場の熱気 → アウェー感】
会場は、なんだろう、体育館のような造りの施設だったように思われる。
とにかく「ワー!」って聴衆が大盛り上がりしているんだけど、夢の中の僕は、どうも、気乗りしていない印象だ。
「なぜみんなの盛り上がりを楽しめていないんだろう」と考えた時に思い付いたのが「アウェー感」だった。
会場の空気は最高に高まってはいるのだが、その熱気は、自分に向けられたものではない。そこにモヤモヤを抱えているようだ。
【人気者への嫉妬心】
夢の中にラファエルが出てきたのは、「広告収入が10分の1になった」というコメントが記事になっていたのがGoogleのトップニュースに上がってきたのが影響していると思われる。
また、前田健太のユーチューブチャンネルで「好きなユーチューバーはラファエルかな」と言っていたのも関係があるようにも思えた。(書いている人はカープファン)
そんなラファエルが、スペシャルゲストとして登場した途端、聴衆のボルテージが一気に高まった。それを端から見ていた自分は嫉妬心を抱いていた。
この嫉妬心は、昨日、「林修の今でしょ講座」で「歴史のプロが選ぶ鎌倉時代の偉人ベスト13(うろ覚え)」というランキングで「1位:源頼朝」「11位:源義経」と紹介されていたことに起因していると僕は解釈した。
「頼朝派 ↔︎ 義経派」は、得てして対立関係にあるものだ。そんな僕は義経派だ。「判官贔屓」という言葉を好んで使う癖があるのも、義経が好きが高じてのものである。
「頼朝の方がランクが上になるのは甘んじて受け入れよう。だけどさすがに離れて過ぎてはいないか。TOP5にも入らないのか。当時も現代も過小評価されている気がしてならない。嗚呼、悲運の武将、源義経・・・。」
閑話休題。
ユーチューバーが出てきたのは、それだけが理由ではなさそう。どうやら、夢の中の自分は、過疎実況者のような身分になっていたらしい。
「最近ロクにゲームに触れてないな。いっちょパワプロを初期の作品からナンバリングを追ってプレイしていこうかな」
「どうせプレイするんだったら録画してユーチューブにでもUPしてやろうか」
「どうせプレイするんだったら『実況プレイ』というテイで声も録音してみようか」
そんなことが頭に浮かんできて、慣れない作業に戸惑いながらも、収録出来るような環境を整えていることが関係していると思う。
※「来年になったぐらいでUP出来たらいいな」と思っているレベルのノンビリ加減なので、始める当初から、熱量の無さが気にかかるところではあるのだが・・・。
【サイコパスを自覚】
ラファエルの異常なまでの人気に「トップユーチューバーは凄いな・・・」と、力量差をまざまざと見せつけられただけでは終わらなかった。
聴衆に居た女性が泣き出したのだ。嬉し涙だ。「生ラファエル」を見れたことへの喜びが募って、感極まったのだろう。
その後、女性は、自分の身の上話をし始めた。誰に求められるわけでもなく。どんな境遇だったのか。ラファエルを知ったキッカケ。ラファエルに救われたこと・・・。
「この女の人はいきなり何を言い出すんだろう」
滔々(とうとう)と語る女性を見ていた僕は、ドンドン、心が冷めていった。熱を帯びる声に反比例するかの如く。それは、妬みから来るものなのか、それとも、共感能力の欠如なのか。ソコは、僕には良く分からない。
「サイコパス」という言葉の存在を知って以降、おそらく、片手で数え切れないぐらいには、「俺ってサイコパスなのかな?」と、自問自答していると思う。
それだけに飽き足らず、信頼のおける人物に「なあ、俺ってサイコパスだと思う?」と、ストレートに投げ掛けたこともある。
返ってくる返答は「いや、そんなことないと思うけど?」といった、やんわりとした否定ばかりだった。
逆の立場からすれば、いい迷惑だろう。僕だって、たぶん、そう答える。たとえ、サイコパスの気があると感じていたとしても。面と向かって言えるほどの胆力を、僕は持ち合わせていないだろうから。
夢の中でサイコパスが印象に残った要因はもう一つ考えられる。それは「ダークエンパス」という言葉を知る機会があったからだ。
詳しくはグーグル先生にでも聞いて欲しいが、僕なりに説明すると「共感能力に長けたサイコパス」みたいなものだと思う。間違っていたらごめんなさい。大体は合ってる、はず。
その存在を知った時「あぁ・・・」と、腑に落ちる感覚があったのは、良く覚えている。
僕は涙もろい一面がある。
「特定人物に肩入れしたくなる感情は『共感』が働いているからじゃないのか?」と考えると、まあ確かに、サイコパスではないのかもしれない。
「いや待てよ。この涙は『相手への同情心』から来るものではなくて『自分の人生に重ね合わせて自分の境遇に対して泣いている』とも取れるんじゃないのか?」
生まれつき、どこか考え過ぎるきらいがある僕は、そんなところにまで思考を巡らせて「やっぱり俺はサイコパスなのかもしれない」と、行ったり来たりを繰り返していた。
そこに来て「ダークエンパス」を知ったのだから、腑に落ちたのも当然と言えよう。そう考えたらしっくり来る。全てのピースがハマった心持ちだ。
「むしろ、存在を認知していないだけで、人はみんなダークエンパスなんじゃないの?」と思っているフシも密かにあるのだが、おそらくこれは、僕の戯れ事に過ぎないのだろう・・・。
【ポケモン実況(視聴者)】
現実世界で、ラファエルがゲーム実況をしているのかどうかは僕には良く分からないが、夢の世界では、彼がポケモンを実況プレイしていた。体育館のような会場で。特設ブースみたいなところで。
普通にシナリオを進めていってるだけなんだけど、彼の一挙手一投足に、聴衆が狂喜乱舞していたことは、良く覚えている。
NPCの会話に対してラファエルがひとたびツッコミを入れれば「ワッ!」と会場がどよめく。あれはあれで、プレイしているラファエル自身もしんどいんじゃないか、と要らぬ心配をしてしまうほどに。
【ポケモン実況(実況者)】
普通に考えれば順番は逆だと思うのだが、ラファエルがシナリオを進めた後、ポケモンバトルのシーンは「僕・友達A・友達B・友達C」にバトンタッチして、実況プレイを再開する流れだったらしい。
「完全ラファエル目的の聴衆の前で、特に名も知られていない男4人が、実況するのか・・・」
友達の3人が夢の中に出てきた理由は何となく察しが付く。彼らは、ついこの間、「野球選手に例えるなら〜」で、名前が出てきた人達だからだ。
具体的に書く必要はないかもしれないが、一応、簡単に記しておくと、こんな感じ。
・友達A:ロッテ / 荻野貴司
・友達B:カープ / 大瀬良大地
・友達C:元中日 / 谷繁元信(OB)
別に「4人でグループ実況ユーチューバーとして活動しようぜ!」と言ったわけでもないのだが、前述した「ユーチューブにパワプロ実況でもUPしてやろうか」と漠然と思い始めたのが、上手い具合に混ざり合ったのだろう。
・・・まあ、そんなわけで、「ラファエルが実況プレイしないんだったら見る価値無いわ」というような痛い視線を浴びながらも、僕達は、四苦八苦しながら、ポケモンバトル実況を始めたのだ。
【番狂わせ → 聴衆の盛り上がり】
実況を始めた当初は「なんでこんな空気の中、俺達がプレイしないといけないんだよ・・・」というフラストレーションを隠し切れなかった4人だったが、ゲームが進行するにつれて、徐々に、聴衆の視線が気にならなくなっていった。
奇跡的なことに、白熱したポケモンバトルが繰り広げられ始めたのだ。
それも相まって、ラファエル目的だった聴衆も、にわかに活気を取り戻し始めたのが、背中越しにも伝わってきた。
まぁ、あくまでも「ポケモンバトル」に熱視線を送っているのであって「僕たち4人」は、眼中に無いこともまた、伝わってきていたのだが。
特に印象に残っている場面は「ホエルオー」が「ふぶき」を使用して「ラッキー」をこおりづけにするシーンだ。
この場面、僕以外の3人は「なみのり」で攻撃を仕掛けるべきだと言っていた。しかし僕は「いや、ふぶきだ!」と頑として譲らず、多数決の原理を跳ね除け、「ふぶき」を選択した。
結果的に、それが功を奏する形となり、劇的な勝利に終わり、会場のボルテージは、再び最高潮に達した。
僕たち4人は、この熱量が自分たちに向けられているのか、あるいは、ポケモンに向けられているのか、そんなことは瑣末(さまつ)な問題だと思いながら、みんなで手を取り合い、聴衆に向かって一礼を交わしたのであった。
・・・。
「結果オーライ」だったとはいえ、あの場面で「ふぶき」を選択するのは、極めてリスクの大きいことだったと、僕は、後から知ることとなる。
一つ目に、僕は、「タイプ一致」という仕様を存じていなかった。
ホエルオーは「みずタイプ」のポケモンである。一方、ふぶきは「こおりタイプ」の攻撃技なのだ。よって、タイプ不一致となって、思った以上にダメージを与えられない、という問題がある。
そのことを友達の3人は知っていたから、なみのりをチョイスした。なぜなら「みずタイプ」の攻撃技だからだ。
二つ目に、僕は、「ふぶきの命中率」を間違って覚えてしまっていた。
僕の知識では「ふぶきの命中率は90%」と覚えていたのだが、どうやら「70%」に下方修正されていたらしい。つまり、攻撃が外れるリスクも高かったのだ。
それらの理由から、リスクとリターンが見合わないと判断した友達3人は「なみのり」を推したわけだ。
しかし僕としては「ここでこおりづけにしておかないと勝機がやって来ない」という直感があったので、譲歩することなく、「ふぶき」を推し続けた。
そして、狙い通り、ラッキーをこおりづけ出来たのを見るや、「ふぶきの30%(凍る確率)は侮れないのよ!」と叫んで、ガッツポーズをしていた。
・・・。
結果だけを見れば、僕の思惑がハマったわけであるが、もしも、2つの知識を僕が正しく理解していれば、「ふぶき」を推せていただろうか。いいや、おそらく、推せていなかっただろう。
「知識の無さ」がもたらした勝利と捉えると、人生に通ずるところがあるようにも思われる。「案ずるより産むが易し」とは、良く言ったものだ・・・。
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