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【野球】前半戦の快進撃は夢でも幻でもない。事実だ。【カープ】
◇セ・リーグ 広島3ー5ヤクルト(2024年10月2日 神宮)
前半戦の快進撃は、夢か、幻だったのか…。広島が2日のヤクルト戦で敗れ、2年ぶりの負け越しが決定。9月1日に「14」もあった貯金は瞬く間に底をつき、5割のラインさえ割る屈辱となった。
打線は最終盤になっても、調子が上向かない。6回までゼロ行進。7回に2点を返したものの、大逆転を演じる勢いも、底力も、もう残っていなかった。
不名誉な数字は続く。これでビジター12連敗。フランチャイズ制以降の球団ワースト記録(1956、58年)に肩を並べた。野球の怖さばかりを知った終盤戦。2025年シーズンへの糧にするしかない。
▶前半戦の快進撃は、夢か、幻だったのか…。
日頃、カープ関連の野球記事に目を通す僕としては、「まさかの9月大失速」だとか「史上初の9月首位でBクラス」などは、気にならない、と言えば嘘になるが、事実だから仕方あるまい、と甘んじて受け止めるが、ちょっとこれはどうなんだろう、と思った。
この手のテーマは、一歩間違えれば、感情が爆発して、支離滅裂な内容になりかねないので、なるべく”見て見ぬフリ”をするように心掛けているのだが、さも、2024年のカープの戦いぶり、とりわけ、優勝争いを演じて来た9月頃までは「夢か幻」に過ぎず、9月以降、苦杯を嘗(な)め続けたことこそが「現実」だと受け取られかねない書き方は、カープファンとして、看過出来るものではない、との結論が出たため、取り上げた次第である。
無論、僕だって、ずっとプロ野球を見続けてきたので、前半戦と後半戦に分ければ、前半戦よりも後半戦の方が、勝敗の重みが格段に増すことは、心得ているつもりだ。その時期に負けが込んだ。これは事実。勝負所の時期に、首位争いから脱落するだけにとどまらず、Aクラス争いからも脱落することになった事実は、選手&首脳陣、忸怩たる思いを抱えているのは、容易に想像出来よう。
ただ、だからといって、それまで(9月まで)の功績を、あたかも、無かったこと(夢か幻)のように扱うのは、僕は解せない。「ソレはソレ、コレはコレ」ではないのか?
むしろ、9月までの奮闘があったからこそ、9月以降、連敗に次ぐ連敗がありながらも、141試合目まで、Aクラス入りの可能性を残すことが出来た、という見方だってあるはずだ。
「終わり良ければすべて良し」ということわざがあるが、だからといって、「終わり悪ければすべて悪し」と捉える必要は無い。良いものは良い。悪いものは悪い。是々非々を意識して、2024年のカープを俯瞰すれば、「今年のカープは悪いことしかなかった・・・」という感想にはならないはずだ。
代表的な例で言えば、こんなことがあった。
カープファンであれば、昨日のことのように思い出せるであろう、我らがエース、大瀬良大地のノーヒットノーラン。偉大な記録を達成した日は、今年の6月7日だった。
断っておくが、僕は、「あの頃は良かった・・・」という話がしたいわけじゃない。「事実を事実として見ましょうよ?」ということが言いたいだけなのだ。
どうも僕の目には、近頃のカープを取り巻く諸々は、良い面は過小評価して、悪い面は過大評価している気がしてならない。ゆえに、「良い面は良い面として見ましょうよ?」という意味で、一例を挙げているのだ。
ちなみに、当時の僕も、記事のネタにしていた。
なんだか小ボケをかましたようなタイトルで恐縮だけれども。おそらく、有頂天になっていたのであろう。それもまた良し。ノーヒットノーランを達成した時ぐらい、ハメを外せば良いと思う。いついかなる時も「勝って兜の緒を締めよ」では、身も心も持たない。人間、何事も、オンオフの切り替えが大切なのだ。
それで、一つ思い出した。
【いい結果出したら、その瞬間は満足していい】
満足したらそこで止まっちゃうから満足しちゃダメだってよく聞くでしょう?僕は全然そんなふうに思わない。いい結果出したら、その瞬間は満足していいですよ。達成感を味わっていいですよ。だけど次に行く。だって人間だから、そんな戒めてばっかだっていうのはつまんないでしょう?いい結果を出したのに、いやまだまだって言い聞かせるのはいいけど、本当にそう思っていたら、やっていけないでしょう?だって、楽しいとか気持ちいいとかなかったら、やっていけないでしょ。でも野球は、打つのは特に3割しか…3割打てば、プロでは良しとされるわけだけど、7回は失敗するわけ。僕は満足感とか達成感を十分味わってほしいと思うんだよね。それを味わわなかったら次にいけないと思っているわけよ。
だから、そういう意味では僕は甘いですね。全然戒めてないから。その瞬間、めっちゃ喜んでますもん。出さないだけで。表現しないだけですごく喜びますよ。でも、また次があるから。次の目標が出てくるから、そこに向かっていくわけですけど、戒めてばっかの人ってそれができないんだろうね。
「イチローが言うのだからこの考えは正しい」という話の持って行き方は、僕は好かないが(意識高い系の野球好きはこの手の手法を良く用いる気がしてならない/自戒の念も込めて)、この考えに、僕も同意だ。
あくまでも僕の見立てに過ぎないが、日本人は、「欲しがりません勝つまでは」の標語に代表されるように、「喜怒哀楽」の「喜・楽」の感情に対しては、「油断していると足元をすくわれるぞ」などと忠告する一方で、「怒・哀」の感情に対しては、「艱難辛苦を乗り越えた先に見えるものがあるんだ」などと礼賛する傾向があるように思われてならない。
子どもの頃から、そのことに違和感を覚えていた。「喜怒哀楽」は、全て感じてはじめて、「人間味」に繋がるのではないかと、僕は思う。
僕は、人間味のある人が好きだ。体裁を取り繕った言葉は、耳から耳へ通り抜けてしまうが、本心本音をぶつけた言葉は、時として、グサッと刺さるものだ。
「人間は論理の生き物ではなく感情の生き物である」という言葉を聞いたことがある。その根拠としては、論理のエネルギーよりも感情のエネルギーの方が24倍強い、からだとか。
その話を聞いた時、スッと腑に落ちた。確かにそうだよな、と思った。決断を迫られた時、最終的には、「損得勘定」よりも「どっちの方が心が惹かれるか」で決めているフシがあるからだ。
「心が惹かれる」を、もっと具体的に言えば、「おもろいやん」だとか「イカすやん」になるだろうか。我ながら幼稚な行動理由だな、と思う一方で、でも好きなことをやり続ける理由って大体そんな感じだよな、とも思う。こういうことも「シンプルイズベスト」と呼ぶのかもしれない。
・・・コホン。
いつもながら、話が脱線していったが、あと2試合、事実を事実として見つめることを意識しながら、カープの戦いぶりに熱視線を送っていきたい。
今日の試合だって、坂倉将吾は、センターオーバーのツーベースに加えて、ライトスタンドに飛び込むホームランを放っている。ネガティブな空気に支配されている今だからこそ、ポジティブな部分に焦点を当てることが大事だと、僕は思う。
さらに言えば、二俣翔一は、守り慣れているとは言い難いファースト守備で、ダイビングキャッチからのスライディングキャッチ、ヒット性の当たりを2本阻止するファインプレーを魅せている。もっと取り上げても良いはずなのに、僕が見る限り、どのメディアも触れている様子が無かった。僕が彼の親なら文句の一つも言いたくなるぐらいに、だ。
見飽きるぐらい見て来た「投壊」や「貧打」を嘆き悲しむことが悪だとは言わない。それも一つの事実ではあるから。ただ、その中にも、キラリと光る活躍を魅せる選手は、必ず居るものだ。それを、試合に負けたからといって、無かったことのように取り扱うことを、僕は良しとしない。
確かに、メディアは、アクセス数を稼がなければならない、などといった事情から、「バズらなさそうな情報」に焦点を当てることは非合理的、と捉える向きはあるのかもしれない。それはある意味、仕方のないことだ。
だが、カープファンを名乗る者としては、メディアが発信する情報だけではなく、一挙手一投足に目を凝らして、一つでも多くのポジティブな情報を見つけていきたい。それこそが、苦境に立たされているチームを応援する者としての務めであると、僕は思うから。