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【エッセー】「音楽なんて聴かない」ってえらい言われようやな
2軍監督時代から始めた早朝のランニングは、監督になった今も継続。ナイター翌日にも午前6時から7キロ走る。イヤホンで音楽なんて聴かない。「精神修行」と位置づけ、前日の反省と当日のゲームプランを練る。
記事の本題と関係の無い部分に口を挟むのは、僕自身、本意では無いのだが、どうしても、引っ掛かる言い回しがあって、記事を読み終えてからも、頭の片隅で、そのフレーズが繰り返し流れて来て、気になって仕方が無かったので、記事のネタにすることで、昇華させようと思う。
▶イヤホンで音楽なんて聴かない。
一読して、「阿部慎之助さんが監督になってもランニングを継続してるのは知ってたけど、無音の状態で走ってたんだな。それは初耳だった」と、新たな情報が知れたことへの感謝の念が生まれるとともに、「それにしても、もっと他に上手い書き方は無いものかしら?」と、音楽を日頃から愛聴している者への同情の念も生まれて、何とも言えない気持ちになった。
そんなわけで、僭越ながら、「こういう言い回しの方が良くないっすか?」と、添削させてもらうことにした。ただ、ココは強調しておきたいのだけど、あくまでも、ジョークとして受け取って貰えれば、幸いである。いわゆる「チャチャ入れ」だ。その場のノリ的な。それぐらいの温度感で、オナシャス。
【パターンA】
いっそのこと、これでも良い気がする。
2軍監督時代から始めた早朝のランニングは、監督になった今も継続。ナイター翌日にも午前6時から7キロ走る。「精神修行」と位置づけ、前日の反省と当日のゲームプランを練る。
「イヤホンで音楽なんて聴かない」を、丸々削除しちゃったパターン。まぁこれでも、意味が通らないことは無いと思う。ただ、読み手からすると、「ランニング中に前日の反省と当日のゲームプランを練ることは分かったけど、『ながら聴き』とかしてないのかな?」と考える人も居るかもしれない。多分、僕は、そのクチだと思う。
ココでいう『ながら聴き』は、別に何も、音楽に限った話ではない。「精神修行」という名の「自己対話・自問自答」を行なう上で、そのモードに入るためのスイッチとして、BGMが有った方が能率がUPするからイヤホンを着けて走る、そんなケースも考えられる。
もちろん、そのBGMが、音楽でも良いはずだ。僕の話をすると、高校生の当時、UVERworldの曲を、これでもか、これでもか、と聴き続けていたからか、無音よりも落ち着きを感じられたり、集中力がUPする気がして、音楽を流しながらテスト勉強をしたりもした。大学受験の勉強もしてた覚えがある。
世間一般では、「音楽は気が散るのでかけない方が良い」だとか「音楽をかけても良いが歌詞無しにすること」などといった情報を度々耳にして来たが、「どちらも自分には当てはまらなさそうだな・・・。」、と思って過ごしてきた。
僕の場合、無音状態の方が、気が散る、というか、エンドレスに考え事が浮かび上がって来る感覚があるし、歌詞無しの音楽も、例えば、ゲームのBGM集とか流したりすると、「あぁ懐かしい。この音楽。一瞬でプレイしていたあの頃に戻れるよ・・・。」と、作業どころじゃなくなる。
(ついでに書き添えておくと、ディズニー好きの元カノも、どうぶつの森好きの元カノも、「あぁ分かる。BGM聴くとテンションアガって何にも手に付かなくなるんだよね~w」と言っていたっけなぁ。)
話を歌詞有りのUVERworldに戻すが、僕の場合、これでもか、と聴いていたからか、たとえ歌詞があったとしても、文字として脳が認識しないというか・・・、なんだろう、例え方が合っているか分からないんだけど、家族が僕以外の人物と話し合っている、それぐらいのイメージで、情報処理している感覚があって。とにかく、脳のリソースをほとんど割かずに処理出来るのは、間違い無いはずだ。
それに加えて、僕の場合、これでもか、と聴いているからこそ、と言うべきか、「UVERworldを流せる状況で流していない」ということの方が、かえって、集中を阻害される感覚があって・・・。「流さない」と「流せない」の違いって、同じ状況でも、心境が全然違うんだよね。これは共感してくれる人も多いはず。
あと、シンプルに、寂しいんだと思う。TAKUYA∞の歌声を聴くことが、一種の精神安定剤的な役割を果たしていた、とでもいうのかな。ちょっと話が大きくなってき感もあるけれど、とりわけ、大学受験が迫っていた頃の僕にとっては、それぐらい大きい存在であったようにも思われる。決して誇張表現ではないはずだ。
・・・まぁそもそも、話が大きくなってるかどうか、じゃなくて、話の方向性がズレて来ていることを、問題視するべきだったな。失敬。
ともかく、この項では、「音楽なんて聴かない」のフレーズに、カチンと来てしまった、自分のバックグラウンド的な話がしたかったのだ。それが伝わっていれば100点である。
自己評価はいつも甘め。「0スキ」でもお気に入りの記事は数知れず。逆もまた然りなのだから、世の中分からないものだと、心底思う。単に僕がズレているだけ、なのも否めないが。
【パターンB】
音楽のくだりを入れた上で、僕が引っ掛かりを覚えない表現、となると、こんな書き方は、どうだろうか。
2軍監督時代から始めた早朝のランニングは、監督になった今も継続。ナイター翌日にも午前6時から7キロ走る。イヤホンで音楽を聴かないのが阿部流。「精神修行」と位置づけ、前日の反省と当日のゲームプランを練る時間にあてる。地道且つ緻密なルーティンが、悲願のリーグ優勝をもたらした。
うん。自分で言うのもなんだけど、結構、良い感じだと思う。フォーマット付きの数行の文章を、何度も何度も、繰り返し読み返して、ああでもないこうでもないと、表現を置き換えてみて、ようやく、しっくり来た。
そう考えると、記者さんって、大変な仕事だよなぁって思う。テキトーにキーボードを叩いているだけの僕とはえらい違いだ。もしも、自分が書いた文章が、メディアにUPされて、大勢の方が目にすると思うと、今のように気軽に叩けないだろう。考えるだけで、お腹が痛くなってくる。
そう考えると、現在の「フォロワー:21人」は、とても居心地が良い数字だよなぁって思う。だって、21人って、1クラスの半分ぐらいの人数の人が、僕のnoteアカウントをフォローしてくれている計算になるわけで。それって何気に凄いことじゃない?
数万フォロワーとか、数十万フォロワーとか、上を見ればキリが無いから、どうしても感覚が麻痺してくるけど、21人を、実際に想像しながら執筆すると、結構、緊張感がある。「21人の前に自分が書いた記事を差し出す」と思うと・・・。あっ、ヤバい。再びお腹が痛くなってきた・・・。
失敬、話が逸れた。本題に戻す。
「阿部流」という文言は絶対に入れたかった。たとえ「イヤホンで音楽なんて聴かない」のフレーズだったとしても、「イヤホンで音楽なんて聴かないのが阿部流。」と書かれていたら、読み手の受け取り方はガラッと変わるものだ。「あぁそうなんだ。阿部監督にはそんなこだわりがあるんだな」と感じるもの。これが「イヤホンで音楽なんて聴かない。」と書かれてあるから、「えっ、ランニングしながら音楽聴いちゃダメっすか・・・?」と感じてしまう。少なくとも僕はそう。
あと、特に入れるつもりは無かったのだけど、ソッチの方がおさまりが良さそうだ、と感じたので、「悲願のリーグ優勝をもたらした」と書き添えてみた。この記事自体、リーグ優勝の裏話的な内容で構成されているのでね。「阿部監督の一挙手一投足がリーグ優勝を果たす礎となった」的な感じで伝わってくれれば、書き手にとっても光栄である。
うん、納得、納得・・・。
うん、自画自賛、自画自賛・・・。
・・・・・。
・・・・・・・・・・。
「なんでカープファンがこんなこと考えてんねん!!!」(渾身のセルフツッコミ)
広島が4連敗で新井政権2年目にして初のBクラスが確定した。9月突入時に首位に立っていたチームがBクラスになるのはプロ野球史上初。歴史的な大失速に歯止めのかかることはなかった。
おあとがよろしいようで〜。(現実逃避)