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【エッセー】迷惑メール奇譚 vol.2 / 平野紫耀

※【前作はコチラ】


紫耀、携帯を水没

「紫耀ってなんやねん」

僕の迷惑メールのイメージは、完全に「EXILEのTAKAHIRO」でかたまっていたので、こんな画数の多い漢字を二字並べられても困る。まずここでストレスゲージが2~3溜まった。我ながら短気な性分だと思う。反省したい。

文面を一通り目を通した後、メールアドレスが目に入って来た。「tobe-restart」と書かれてある。「tobe・・・」。どこかで見たり聞いたりした覚えが微かにある。おぼろげな記憶の糸を必死で引っ張ろうと試みる。それと同時に「何故こんなことに時間と労力を費やしているのか?」という自問自答が始まったのは言うまでもない。

ファミリーコンピュータ用ゲーム『たけしの挑戦状』の有名な台詞。

エンディングに現れるえらいっのメッセージを見た後、電源を切らずに放置していると登場する隠しメッセージ。

何十時間というストレスに耐えつつ、こんなクソゲーを最後までやり込み、隠しエンディングまで探し出したプレイヤーに対して、あまりにも理不尽かつ率直すぎる意見である。

なお、『ゲームセンターCX』でたけしの挑戦状をプレイした有野課長もこのメッセージにたどり着き、「マジになってもうたー!」とのコメントを残したとか。

「tobe」について思案していると「滝沢社長」にも意味があるのではないかと思う自分が出て来た。最初に読んだ時は「そうか。俺は滝沢社長って人物なのか…。」程度にしか思っていなかった。だからこそ「紫耀ってなんやねん」と思ったのである。「滝沢社長」と「紫耀」は、特に意味は無く、とりあえず名前を用意しただけだと考えていた。ゆえに「紫耀って、迷惑メール界隈にもキラキラネーム文化が到来しているのか…。」ぐらいに受け取っていたのだ。

なお、こういう表現をしてしまうと、「キラキラネーム=別称」という認識を相手に与えてしまうことになりかねないので、ハッキリと断っておきたい。僕は、世間一般で生まれたワードを流用しただけに過ぎず、俗に「キラキラネーム」と呼ばれる名前に対して、本人の前で嫌悪感を示すだとか、親の顔が見てみたいなどと皮肉を吐くだとか、そういう観念は持っていない。悪しからず。

なぜ僕がここまで自己保身に走る補足説明を行ったのかは、既に皆さんはご存知のことだろう。その通り。「紫耀」とは、現実世界で実在している超人気アイドル、「平野紫耀」のことだと気付いたからだ。また、「滝沢社長」も、「tobe」と呼ばれる会社の社長を務めている「滝沢秀明社長」であることにも気付いたからだ。

この項で僕が述べたかったことは、「tobe|滝沢社長|紫耀」というワードが並んでいるにもかかわらず、文面を一読した時点では、「迷惑メールにもキラキラネーム文化が到来かぁ~」などと、馬鹿げたことを考えて、挙げ句の果てには、「こんな名前を名乗る人から迷惑メールが来たら思わず返したくなるかもしれない」みたいな妄想テーマに話を膨らませたら面白くなるかも、などと、具体的な記事の内容にまで踏み込んでしまったことに他ならない。

ただ、上述したように、「平野紫耀」から拝借した「紫耀」であることが判明したので、そのテイで話を進めることにしたい。

以下、平野紫耀から、何かの手違いでメールが届いたと思い込んで、文面を読み進めていく。

ここまで書いて、今更なんだけど、全然気付く気配も無くて、キラキラネームの方向性で話を展開していった方が、面白かったんちゃうか、と思い始めている。「何かの手違いで有名人からメールが届いたと思い込む」って趣旨は、もう使い古されているネタじゃないかと思い始めている。書くモチベーションが著しく減退した状態で書き進めることをお許しいただきたい。


紫耀、送信先を間違えたことに気付く

ちゃんと「平野」って文言を本文の最後に書き添えるのが偉いなぁと思った。そういう教えは「ジャニーズ」で教育されてきたのかな。ちなみに僕は大学時代に学んだよ。教授にメール等を送る際は、「学籍番号・所属学科や所属コース・氏名」を記入するのがマナーであると。

あと、顔文字を使う年代なのかなぁって思った。気になったから、「平野紫耀」の年齢をググってみたんだけど、「1997年1月29日(27歳)」らしい。

えーっと、97年の早生まれだから、僕の4つ年下の世代になるのか。っておい。直近の元カノと同世代じゃねえか。なんてこと思い出させてくれるんだ!平野紫耀!責任取ってくれるんだろうな!(絵に描いたような八つ当たり)

でも、4歳差だったら、逆に、想像が付きやすいな。元カノと色んな話をして思ったけど、4つ年齢が離れているだけでも、ジェネレーションギャップを感じたりするもんよ。学校で流行ってたもんが全然違っていたりとかね。

個人的には、「デコログ」を全然知らないことには驚いた。僕ら世代は高校時代にみんなアカウントを持っていたんだけどね。そりゃあ更新頻度は人によりけりだけどさ。それでも「見る専」として使ってる人は結構居たわな。「Yonda!」ってボタンを押すんだよ。「あしあと」みたいなもんさ。分かる人には分かる。分からない人には分からない。1994年生まれの人はメチャクチャ分かるのかもしれない。

話を戻す。

4歳差ね・・・。そんなに顔文字を使ってたイメージ無いんだけどなぁ。あくまでも元カノしか分かんないからアレだけどさ。偏ってるけどさ。情報が。

ただね、一つ、言えることがある。多分、ガラケー世代じゃないんだよね。まぁ、いつから携帯電話を持ち始めるか、って問題もあるとは思うけど。高校生から持ち始めたとしたら、まず間違いなくスマホだ。なぜなら僕が大学に入った時はスマホを持つのがスタンダードの空気になりつつあったから。

逆に言えば、僕の高校時代は、ガラケー勢とスマホ勢が、混同している感じだった。ちょうど過渡期ってことだな。つまり、元カノの世代でいうと、中学校時代にあたるはず。大体の目安としてね。

まぁそれでも、4つ下だからなぁ。3つ下だったら、ちょうど中高の時期が入れ替わりって感じになるけど。4つ下だったら、もしかしたら、中学校時代も、スマホを持つのがスタンダード、みたいな空気感になっている可能性もある・・・?どうなんだろ。そこはよくわかんない。

あ~、元カノの携帯事情をもっと詳しく聞いとくべきだったな。いつから自分の携帯を持ち始めたのか。ガラケーを持っていた時期はあったか。初めての携帯がスマホだったのか。周りの人の携帯はガラケーだったか。それともスマホだったか・・・。聞いた覚えないや。そんな話。

ただ一つ言えることは、元カノが、顔文字を使っているのを見た記憶がない、ということだ。これは「初めての携帯はスマホだった」という可能性を高める一要因と言えるのではなかろうか。

つまり、裏を返せば、平野紫耀が顔文字を使っているということは、「初めての携帯はガラケーだった」という可能性を高める一要因と言うことも出来よう。

よーし、一つ、疑問の着地点を見つけることが出来たので、この項は終わりにしようか。平野紫耀はガラケーを使っている時期があった。僕が辿り着いた結論である。これから平野紫耀を見る時は「顔文字を使う派なんだよなぁこの人って」と思いながら見ることにしよう。


紫耀、”間違いも縁”だと考える

おっと、これはこれは・・・。

ドキッとしちゃうねえ。「あなたと話してみたい」なんか言われちゃうと。30年生きてきたけど、人生で一度も言われた覚えが無いからかなぁ。「話を聞いて欲しい」なら、まぁ、ちょろっとは、あるんだけどねぇ。「話してみたい」は、無いかなぁ・・・。ちょっと思い出せそうにないので、多分、無いんだと思う。

確かに、こういう出会い方をして、濃い人間関係を築いたってなると、一生、語り継ぎたくなるよね。大事だよね。出会い方って。僕も、親しい人物と初めて会った時のことは、やっぱり覚えてるもん。その話、聞きたい?。いや、脱線トークにしかならないから、やめとこっか・・・。(自重)

じゃあ、僕の自分語りは置いといて、その代わりに、フッと思い出した、湘南乃風『親友よ』の歌詞の一節を載せてみることにしよう。

ゆっくりと思い返す日々 今と同じ青空 春模様
噛み付くようなその目つき 初めての出会いは最低だった
殴りあった近所の空き地 やられたぜ ボコボコになるほど
今も残る淡い傷跡 解り合うのに言葉などいらないだろう

うん。いい。今聞いても。懐かしいね。この曲。『ドロップ』の主題歌だったのかぁ。品川祐監督。「ゆう」じゃないよ。「ひろし」だよ。「ゆう」は澤部佑だよ。ちなみに「濱口優」の「優」は「ゆう」じゃなくて「まさる」だよ。ややこしいね~。難しいね~。でも名前を読み間違うのは相手にとって失礼にあたるからね~。気を付けようね~。ねっ、紫耀くん。

そう。「紫耀」って漢字も、一発で「しょう」って読んでもらうのは、なかなか難しいんじゃないんかな。そこんとこどうなのよ。まぁ逆に、一度教えて貰ったら、「あぁそう読むのかぁ~」ってなって、間違えずに読んでもらえそうな気もするけどね。

そっか。じゃあ意外と問題無いんだね。「キラキラネームはフリガナが無いと読めない時点で論外だ」などといった主張を展開する人に言ってやらないとね。「フリガナを振らないと読めないからこそ『こう読みます』と教えると覚えてもらいやすい」ってね。

確かにそうだよね。さっき挙げた「品川祐|澤部佑|濱口優」の「祐|佑|優」は、読む側が勝手に「こう読むんじゃないかなぁ?」なんて、当て推量をしたりするもんね。これをすると何が良くないかっていうと、間違ってた時に、なかなか矯正しづらいんだよな。記憶をさ。

良く言うでしょ。「子どもの時はAだと思っていたけど本当はBだった、となった時に、頭では正しい答えを知っていたとしても、いざ口に出すと、BではなくA、間違って覚えていたことを言ってしまう」みたいな話が。

ベタな例を挙げようか。

「アルプス一万尺~♪」
「子ヤギの上で~♪」
「アルペン踊りを踊りましょう~♪」

という歌詞だと覚えていたとする。「子ヤギの上で踊るなんてどういう神経してんだコイツ…。」と思うことだろう。しかし実際の歌詞は違った。

「アルプス一万尺~♪」
「小槍の上で~♪」
「アルペン踊りを踊りましょう~♪」

これが正しかった。「子ヤギ」じゃなくて「小槍」だった。まぁそれはそれで「小槍の上で踊るのも頭イカれてるやろう死ぬぞお前…。」と思いそうなものだが。その疑問に関しては他サイトの解説記事に委託したいと思う。

★「一万尺」(約3030メートル)はその高さを表す。

1尺は、約30.3センチ。
ということで、1万尺は約3030メートル。

★「こやり」は「小槍」

1番の歌詞の「小槍の上で アルペン踊りを さあ踊りましょ」の「小槍」とは、槍ヶ岳の山頂付近にある岩の名前とのことなんです。この「小槍」の標高は3,030mで、ちょうど一万尺。

★ 子ヤギが可哀想…

一番に出てくる「小槍」はよく「子ヤギの上で」踊っている人が多いですが「小槍の上で」、ですよ。そんなんしたら…カワイソウ。多分そのイメージが我々にこびりついたのも…「アルプスの少女 ハイジ」だ。ハイジと子ヤギのユキちゃんのイメージが脳内にインプットされているせいだ。

何の話をしているのか僕自身よくわからなくなってきたので、今日はもう終わることにします。

ちなみに僕はキンプリ(6人体制)だと岸優太推しです。

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