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【エッセー】誕生日に物思う人

30歳になりました

【原文】
「子(し)曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(した)がう。七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず」

【現代語訳】
「先生がいわれた。わたしは十五歳で学問を志し、三十歳になると、独立した立場を得た。四十歳になると、迷うことがなくなり、五十歳になると、人のいうことを素直に聞くことができるようになって、七十歳になると、思ったように振舞っても道を外れるということはなくなった。」

「眠れなくなるほど面白い 図解 論語」山口謡司 日本文芸社 2019

眠れなくなるほど面白いか否かは人によると思う。

・・・ただまぁ、僕は、気が付いた頃には、孔子『論語』が説いた年齢区分を意識している自分が居たので、眠れなくなるほど面白いと感じるタイプに属するのかもしれない。

そんなわけで、僕は、今日をもって、30歳、孔子の言葉を借りれば、「三十にして立つ」、いわゆる、「而立」(じりつ)と呼ばれる年齢に達した、ということになる。

現代語訳を確認すると、「三十歳になると、独立した立場を得た。」と書かれてある。ふむ。なるほど。独立した立場を得た、か・・・。そんな感覚は一切無い。しがらみ、しがらみ、しがらみである。とはいえ、このしがらみは、物理世界に存在するものではなく、精神世界に存在するものも混じっている、あるいは、それがほとんど、の可能性もあるのだが。ハハハ。

なにいってんだこいつ。

合ってるかどうかはさておき、個人的なイメージとして、「而立」と言われると、「自立」と「自律」の両面をクリアした状態のことを指す用語なのかな、と思っている自分が居た。多分、言葉そのものを知った時から、そんなイメージを抱いていた気がする。

僕にはそういうケースが結構ある。昔から、小難しい書籍とかを、小難しそうな表情で、小難しそうに読み進めて行くのが、好きだったようだ。そこで触れた言葉を、身勝手に解釈してきたので、自分でも気が付かないところで、恥ずかしい間違いをしていたりする。

僕も、これぐらいの年齢になると、「てへぺろ♡」では済ませないケースが増えて来たので、「あれっ、これで合ってるんだったっけ…。」と疑問に感じた時は、急がば回れの精神で、すぐ調べて、疑問を解消しようと努めるようにしている。

ただ、そこに注力しはじめると、日によっては、「じゃあアレはどうなの?」「だったらコレはどう?」などなど、種々雑多な疑問が、泉のように湧き出て来て、僕自身、どう情報を処理して行けば良いのか分からなくなって、キャパオーバーを起こすこともある。

現代社会は、極論を言うと、調べれば何でも出て来る、便利な時代になったわけだが、裏を返せば、調べれば何でも出て来てしまう、とも言えよう。

今、自分が調べようとしているのは、自分にとって本当に必要な情報なのか、今一度、見直すべきなのかもしれない。

というわけで、書いている途中に思い出した、太宰治の作品の一節があるので、紹介して、この項を終わりとする。

たまに新聞社から、随筆の寄稿をたのまれ、勇奮して取りかかるのであるが、これも駄目、あれも駄目と破り捨て、たかだか十枚前後の原稿に、三日も四日も沈吟している。流石、と読者に膝を打たせるほどの光った随筆を書きたい様子なのである。

あまり沈吟していたら、そのうちに、何がなんだか、わからなくなって来た。随筆というものが、どんなものだか、わからなくなってしまったのである。

本箱を捜して本を二冊取り出した。『枕草子』と『伊勢物語』の二冊である。これに拠って、日本古来の随筆の伝統を、さぐって見ようと思ったのである。何かにつけて愚鈍な男である。」

わかりみがふかい・・・。(首肯)


Googleにも祝われました

お前はいったい何を調べてるんだ・・・。

念のために断っておくが、スクリーンショットをする際の画面表示は何が良いのかと思案して、そうだ、太宰治『自信の無さ』をバックにスクショを撮ろう、と思い立ったわけではなく、Googleがお祝いしてくれる様子をスクショしようとしたら、たまたま、太宰治『自信の無さ』を検索しているところだった、という経緯から撮られたものなので、悪しからず。

※【注釈】
筆者は、太宰治の随筆(小説と比べて短時間でサクッと読める短編物の作品)を、思い出しては調べて、「あぁそうそうこの一文が僕は好きだったんだ」だとか「あれっ、この作品にこんな名文があったとは…。今まで琴線に引っ掛からなかったんだな。いやあ出会えて良かった」などと、一人、ニヤニヤと、楽しむ癖がある。

それはさておき。

Googleの検索画面を開くたびに、風船がフワフワと飛んで来る演出が施されていたのだけど、僕が操作している感じだと、いつもと比べて、検索窓が押しにくい、あるいは、押しても反応しづらいような気がしたのだが、果たしてこれは、単なる”気のせい”なのだろうか?

僕の仮説としては、”風船がフワフワ飛んでいる間は検索窓を押しても反応しない”のではないかと、密かに思っている。だとしたら、こう書くのは、大変心苦しいのだけれども、「この風船邪魔やねんホンマ!」ということになってしまう。

常々言っているが、僕は「善意の行動が悪なる結果を招いた」ことに対しては、一切、咎めるつもりはない。仮に、僕の仮説が正しかった場合、良かれと思ってやった行動(風船のフワフワ)が、悪なる結果(検索窓がいつも通りスムーズに押せない)を招いたわけだが、僕は、何も言えない。面と向かったら、「わざわざ祝ってくれてありがとうね~」と言う。それで終わり。心の中では「ありがた迷惑なんじゃ!」と思っていても、やっぱり言えない。こればっかりは、言えない。どうしても、だ。


誕生日を祝われる憂鬱

学生時代は、今現在と比べて、色んなコミュニティに所属していたりしたので、人間関係が「狭く深く」よりも「広く浅く」に近かったような気がする。

別にコレ自体は、どっちが良くてどっちだダメ、と論じるものでもないし、人それぞれ、自分に合う適切な距離感で人付き合いして行けば良いと思うのだが、振り返ってみると、僕は「狭く深く」の人間関係の方が、居心地の良さを覚えるタイプなんだろうなぁと思う。

学生時代の誕生日は、それほど親しくない人にも、「誕生日おめでとう~!」って祝われることが、割とあった。あの時、僕は、どういうリアクションを取るのがベターなのか、毎回、苦慮していた気がする。結果、曖昧な返答に終始して、上手く立ち回れない自分に嫌悪するわ、せっかく祝ってくれた相手にも申し訳ないわで、心がズタボロになっていたのを、思い出す。

ゼミやサークルでは、「誕生日」というよりも「誕生月」で括って、その月に誕生日が来る人(大体数名は居るものだ。居ない時はどうしてたんだろうね。「祝う側」にまわったことが無いから良く分からないや…。)を集めて、一斉に祝う、という形式が多かったのだが、アレにも、僕は心を痛めた。

ハッキリ言うと、僕は、各コミュニティの中で、どちらかと言えば、”浮いているタイプの人”だったのだ。そんな僕にとって、数人の内の一人として祝われるという行為は、これまたハッキリ言うと、”ついでにアンタも祝っておくわよ”と、思われてならなかったのだ。

祝う側の言い分としては、誕生月の人を祝うにもかかわらず、僕だけ祝わないとなると、村八分のような状態で、体裁も悪ければ、相手(つまり僕のこと)も良い気はしないだろう、といったところかと推察される。

だが、僕としては、どうぞ好きな者同士で祝ってください、僕はレクリエーション的な活動であなたたちと関わり合う気は無いのです、といったテイでいながらも、そんなことは面と向かって言えるはずもなく、「アハハ…。」「ありがとう…。」と、本当にありがとうと思っているのかすらよくわからない(まぁ事実思ってなかったわけだが…。)口ぶりで、形式上の感謝の言葉を述べて終了、そんな愚行をずっと続けていた。

思い返せば思い返すほど、ダメ人間を極め過ぎていて、自嘲が癖付いている僕ですら、ちょっと笑えないレベルの酷さで、気が滅入る。

どうでもいいけど、「誕生日おめでと~!」って祝ってくれた女の子に、「スーツ似合うよなぁ~」って、凄い普通のテンションで褒めてくれたのを、今でも鮮明に覚えている。”普通のテンションで褒めてくれた”のが、本当にそう思ってくれているような気がして、なんだか、無性に嬉しかった。

そんなことしか、覚えていない。

性欲オバケである。

AV見てシコって寝よ。

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