「現金給付」 で 「必要」 を満たすことは可能か

新型コロナウイルスの感染拡大が沈静化されない中で、定額給付金の再給付を求める声が増えてきた。私は「一律」で「少額(10万程度)」の「現金給付」である定額給付金という政策自体に批判的だが、それはさておき、「現金給付で必要を満たすことは可能か」という視点について考えてみようと思う。

例えば、現在の日本は国民皆保険制度という、「誰もが自由に受けられる医療制度」が確立している。これは厳密には社会保険制度によって運営されており、いわゆる財政政策としてのそれとは制度的な背景は異なるが、仮に、この国民皆保険制度が日本に存在せず、すべての医療サービスが、その他の様々な民間サービスと同様に市場によって提供されているとして、その上で、新たに「誰もが自由に医療サービスを受けられる医療制度及び医療提供体制」の構築を検討したとしよう。

医療サービスの提供体制の基本になるのは、言うまでもなく、そのサービスを提供する労働者の存在である。具体的には医療従事者、医師、看護師、保健師、准看護師、助産師、理学療法士 、放射線技師、薬剤師…さらには医療事務まで含めた、医療に関わる労働者の数と質が確保されていることが前提となる。皆が自由に受けられる、充実した医療制度を構築するためには、それに応えられるだけの数と質を確保する必要があるのだ。

さらにいえば、その提供体制は、各地域ごとの医療ニーズ=「必要」に答える形でなければならない。極端な例を挙げれば、高齢化している、または今後高齢化が進むと予測される地域で小児科ばかりを揃えても、その地域の医療ニーズに答えることはできないだろう。

さて、このとき、政策として検討する際に「誰もが自由に医療サービスを受けられる医療提供体制を構築するために、現金給付をおこなうべきだ」という考え方は成立するだろうか。ここで問題になるのは、現金を給付することで家計・個人の消費力は向上するが、その消費力が医療サービス利用に向けられるとは限らないということだ。今必要なものや今欲しいもの、または貯蓄や投資に変わるかもしれない。

前述したように、誰もが自由に医療サービスを受けられるようにするには、そのサービスを提供する労働者の存在が不可欠であることが分かった。ということは、必要なのは家計や個人への現金給付によって消費力を向上させることではなく、医療サービスを提供する「医療従事者への現金給付」であるといえるだろう。要するに「雇用」であり「賃金」である。

もちろん、医療サービスであろうと、前述したように、その他の様々な民間サービスと同様に市場を介して消費者が「購入」する仕組みを前提とするなら、家計や個人に現金を給付し、家計や個人はその現金で医療サービスを「購入」することで、また新たな雇用が生まれ、結果として医療サービスが充実するということはあり得るかもしれない。しかしそれは反対に、消費者が一時的にでも「購入しない」場合、雇用は維持されなくなる可能性がある。需要が消えれば供給も消えるのが市場を介した民間サービスである以上、それは避けられないだろう。

需要の如何に関わらず、平時から医療サービスの提供体制を維持しておくことの重要性は、今回のコロナ禍において明らかになった。また、医療サービスに限らず、介護、保育、教育、国土、防衛、治安、その他様々な公共サービスの対象は、「需要」ではなく「必要」であり、「必要」に応えるためには、市場の民間サービスのように消費者の購入に併せて雇用=供給力を増減させるような、「消費者のその時の都合」によって供給が消える事態は避けなければならない。去年は犯罪が減ったから今年は警察の人数を減らそう、とならないのと同様に、「必要」に応えるためには、常に一定の雇用=供給力を維持しておく必要がある。

その上で、常に一定の雇用を維持するためには、市場から調達するサービスのように家計や個人への現金給付をおこない消費者に購入させる仕組みではなく、行政が直接雇用を増やし、その供給力を維持するための制度を構築する必要がある。また、初めに書いたように、その供給力を地域のニーズに応じて「分配」する必要もある。さらにいえば、それらは医療サービスに限らず、公的サービス全般に当てはまることでもある。そしてそれは、現金給付では実現できないことが分かるだろう。現金給付とはあくまでも「需要」に応える政策であり、「必要」を満たすことはできないのである。

そして、現金給付と同様の性質を持つ、「減税」という政策も、あくまでも需要を満たし必要を満たすことはできない政策なのだが、その説明はまたの機会に。

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