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ひと。

つながりとは。
無性に孤独が辛くなる。かといって、ずっと誰かといたい訳ではなく1人でいる方が心地よい。

電車の中でカップルを見かけることが多くなった。口から排出される煙からも、人肌恋しい時候に差し掛かったことを実感する。

人は他者を求める

「プラトンの『饗宴』にでてくるアリストパネスの話によれば、大昔の神話世界には三種類の人間がいた」と大島さんは言う。-中略-
「昔の世界は男と女ではなく、男男と男女と女女によって成立していた。
-中略-ところが神様が刃物を使って全員を半分に割ってしまった。きれいにまっぷたつに。その結果、世の中は男と女だけになり、人々はあるべき残りの半身をもとめて、右往左往しながら人生を送るようになった」

村上春樹『海辺のカフカ 上』pp.65-66 新潮社

「全ての悩みは対人関係である」と述べたのは私の師とするアルフレッド・アドラーであるがプラトンが生きた紀元前からアドラーの生きた近代、そして今私の生きている現代まで、対人関係にまつわる問いは誰しもが抱いていたのだろう。

今これを書いている目の前ではフリーマーケットが行われている。ものを通じて見知らぬ人と人とがつながっている。何も接点のない人と人とが。

SNSとは違う、リアルなつながり。性別、年齢を超えたつながり。曇天紅葉のもと春先のような笑顔が咲き乱れている。この場限りの出会いなのかもしれない。この場において各人のコンテクストは蚊帳の外である。木の下、屋根の下、空間を通じてつながっている。これこそが平和なんだとしみじみと感じる。孤独な社会にこんな場があったのか。世の中も思うほど廃れてないのかもしれない。

ここでは人が生きている。平日の都会、満員電車とは違い、ここでは生きている。生命がある。これを書き終えた後、僕もその世界を覗きに行こう。この景色をずっと見ていたいと思う今日この頃。
やはり、人は本能的につながりから感じる生命を求めているのかもしれない

競争社会、リベラリズムはあくまで概念であり、現実を言語化した空想空間に過ぎない。そこに生命は存在しない。人はやはり生命を求めているのだろう。


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