仕事について
(幸せ学は、書籍化を検討中で、一旦休止中です。しばらくは気まぐれにブログみたいなのを書いていこうと思います。)
お盆休みも終わりましたね。お盆中も心理学レッスンはバッチリあって、心理学テキストの再構築もやりました。あと幸せ学の書籍化は言わばマーケティングの仕事で、何が仕事で何が仕事じゃないかわからない日々でございます。これはまあ、酵素風呂のお店をやり出した時からはずっとそんな感じではあるわね。
お盆にわたしの誕生日があり、今年は今まで一番お祝いしてもらえた。本当に嬉しいし、楽しかった。愛の循環をみんなに伝えたい、と言って、ある種わがままに愛をGIVEしているのだけど、そのお返しとして、大きくてたくさんの愛のエネルギーを送っていただいた。今この瞬間も、思い出すとじんわりあふれます。自分一人じゃ、この幸福感は絶対に味わえないから。本当に嬉しい。
仕事と言っても色々な意味があると思うんだけど、一般的な解釈は「お金を稼ぐための仕事」だと思う。これはもちろん大事。そうなんだけど、もしかしたら「社会の一員としての仕事」「地球のための仕事」は、もしかしたらもっと大事なんじゃなかろうか。
自分が生まれてきた意味の、ある種答えみたいなものかもしれない。
わたしが今やっている心理学のレッスンやそれ関係の活動は、なんというか、心の奥からエネルギーが出てくるというと大袈裟かもしれなんだけど、やりたくてやっている。優先順位が高い。クリエイティブ系の趣味と感覚に近いのだろう。アーティストは言い過ぎでもっと現実的な感覚はあるけど。たくさんのインプットを集約して、整理し再構築するのがわたしは得意。それが今皆様に愛していただけている実感を感じることができていて、今の方向性は間違っていないな、と思う。
一方で、歌を歌うことについてちょっと振り返ってみると、もしかしたら心理学系以上の時間と労力とお金をかけているんじゃないだろうか。
10代の頃からカラオケで歌い、頻繁にカラオケオフ会に行き、29歳の時に初めてボイトレに行ってから数年毎週せっせと通った。頻度は減ったものの、今も定期的に歌っている。それでも、音楽的な完璧さは、遥か先にあるように感じる。録音したものを自分で聞くと、あれもだめ、ここは良くない、のオンパレード。
世の中には5、6才の天才少年少女が超絶上手な歌や楽器を披露していたりするが、過去生の何十年という積み上げがあってチート状態でこの世に生を受けたのでは?と、転生モノのファンタジー漫画みたいなことを思ってしまう。
そんなわけで今回は、向き不向きあるよね、ということが言いたかったのでした。
不向きでも、楽しいことならやり続けれる。やっているその瞬間が楽しいんだから、それはもうそれだけで最高。ちょっとずつスキルアップしていって、向いている人を越えて、人様に認められるレベルになったら、もう楽しいことをやってしかも認められるという、いいことしかない世界になる。
まずは向いていることでお金をかせぐ。
何が向いているかわからない場合は、とりあえずいろいろやってみる。
仮説、検証を繰り返し、自分の経験から、自分の哲学を構築していく。
現状に不満足な方がいたら、それに甘んじるのではなく、あきらめるのではなく、いろいろと戦略的に仕掛けていくのがよいと思われます。